2016年12月6日火曜日

長門有希の水陸における驚くべき旅行と出征と愉快な冒険


かつて俺はハルヒに、長門は宇宙人で、朝比奈さんは未来人で、古泉は超能力者であるという真実を伝えたことがあるのだが、とんでもないほら吹きだと馬鹿にされ、一笑に付されてしまったことがある。
それからもいくら不思議なことが起ころうとも、ハルヒは世の中の不思議を頑なに認めようとしなかった。不思議探索で毎週末不思議を求めて足が棒になるまで街を歩き回っているというのに、現れた不思議に目もくれないのは、いささか不思議である。
そして、今日も今日とて、俺たちは不思議探索にやってきていた。
今回はハルヒと朝比奈さんと長門と未来の朝比奈さんのチーム、長門と俺のチーム、古泉のチームの三段構えで不思議を探そうという算段だ。というかくじ引きでそういう組み合わせになった。ハルヒが明日の不思議探索は3組に分かれる、と宣言した際に、団員を3で割るとひとりぼっちのチームができてしまうということで朝比奈さんと長門が気を使い、別の時間軸の自分を呼んできたり、二人に増えたりしたのだが、その気遣いも偶然のいたずらで無為になってしまっていた。
朝比奈さんが軽率に未来の自分とコンタクトを取ったために、タイムパラドックスが起きて数億の未来の可能性が潰え、この世界が唯一残った世界だった、と未来の朝比奈さんが俺に言ったのだが、話が難しすぎて一向に理解できなかった。
「有希が二人に見えるけど最近乱視が進んでるしそのせいかもしれないわね」とハルヒが言っていた。
こうしてハルヒたちは地下世界の商店街へ向かい、俺たちは船で大海原へ出て、古泉は閉鎖空間で不思議探索をすることになった。
あまり大きな船ではないが、なかなかしっかりした作りに感心すると、俺と長門は大海原へオールを持って力一杯漕ぎだした。
波風は心地よく、時折舞う水しぶきがひんやりとして夏の強い日差しを感じさせない、なかなかに爽やかな船出だった。
昔から冒険には美女のお供が定番であるが、長門は谷口曰く、Aマイナーの美少女であるらしいので、早くもその条件をクリアしたと言えるだろう。やがて見渡す限り水平線、どこにも島影が見えなくなったあたりで、空気はなんだかひんやりとし、空は薄暗く曇ったように機嫌を損ねだした。一雨来るだろうか、などと思っていると一人の船幽霊が船の舳先に現れた。
「柄杓をくれ」
というので、長門がどこから取り出したのか、船幽霊に柄杓を差し出すと、幽霊は柄杓で海の水を船の中へ汲みいれだした。
船底が水でいっぱいになり、あわや俺たちの冒険はここで終わってしまうのか、と絶望的な気持ちになった時、長門は船底に電動ドリルで穴を開けだした。数回の工程を経て船底に大きな穴が開くと、みるみるうちに組み入れられた水は穴から海にこぼれ出てしまい、どれだけ柄杓で水を汲み入れようとも、なんの効果もなくなってしまった。
「これは一本取られた」
というと、船幽霊は柄杓を長門に返して、海の底へ帰っていった。
目下沈没の危機を免れ、俺は少し落ち着いてきたので、かねてからの疑問点を長門に尋ねてみた。
「長門、船の底に穴が空いたら、普通は穴から海の水が流れ込んできて沈んでしまうんじゃないか?」
俺がそう長門に尋ねると、長門は少しばかり考えるような顔をしてから
「どうもそうらしい」
と言った。
するとみるみるうちに穴から船の中に水が流れ込んできて、船は沈んでしまった。
こんなことになるなら、不思議は不思議のまま、確かめようとするんじゃなかった、と思ったが、覆水盆に返らず、俺は海の波に飲み込まれてろくに息もできず、やがて意識を失ってしまった。

目覚めるとどうやらここは海の上ではないらしい、背中にしっかりと砂浜の感触がある。空は快晴で、視界をさえぎる黒い影は、俺を覗き込んでいる長門の顔だということが、だんだんとわかってきた。
「ここは
と俺がつぶやくように言う。
「トラック諸島」
と長門が答えた。どうやらずいぶん流されてしまったようだ。
島の方を見渡してみると、鬱蒼とした森となっており、人が住んでいるような気配はない、ただ、遠くになんだか大きな彫像のようなものが見えたので、長門と俺はとりあえずそこへ向かって歩くことにした。人工物の近くに行けば、人に出会える可能性も高くなるだろう。砂浜を大きく迂回して数キロほど歩くと、どうやら近くにあるように見えた彫像は、随分遠くにあることがわかった。想像していたより随分と大きいようだ。まるでロドス島の巨像のごとき大きなそれは、近づくにつれ、どうやら像などではないと言うことがわかった。
「小さきものよ、こんなところに人間がやって来るのは、何年ぶりかな」
両手を高く掲げた巨人は、俺たちに随分上の方から話しかけてきた。
「あなたは何をやっているんですか?」
と俺はおっかなびっくり尋ねると、巨人は
「私の偉業は、世の中で語り尽くされていると思っていたのだが、どうもそうではないらしいな」
と少し残念そうにため息を吐いた。
「ひょっとするとあなたは、空が落ちてこないように支えていると言われるギリシャ神話のアトラスさんでは?」
俺がそう言うと、巨人が自尊心を満たされたようににっこりと笑って話を続けた。
「そうとも、私は随分前からギリシャから西の果てのここで空を支えているのだ」
ギリシャから西の果てが極東のアジアというのは随分おかしな話だな、と思って聞き返す。
「ここはギリシャから見てどちらかといえば東に位置してると思うのですが」
巨人は随分重いものを何千年も支え続けて、疲労困憊という様子で、言い返した。
「地球は丸いのだから、東であれ西であれ、いずれは西の果てになるだろうよ」
俺はふと疑問に思って聞き返した。
「地球が丸い、ということを理解しているなら、あなたはどうやって丸いものの上で空全体を支えているのですか?」
巨人は困ったような顔をしてこう答えた。
「ガリレオというやつが、地球は丸い、ということを証明してから、私も随分疑問だったんだ、ひょっとすると、俺のやっていることというのは、随分昔から無駄だったんじゃないか、と」
長門は、
「科学的見地で考えれば、あなたが空を支えなくても、空は落ちてこないということが理論的に証明できる」
といった。
「しかし、考えても見ろ、もし私が手を離して、万に一つ、いや、億に一つの可能性で空が落ちてきたとする。そしたらどうだ、ネット上で大炎上。新聞もテレビも、アトラスは何をやっていたんだ、と大バッシングの嵐、もうまともに社会では生きていけないだろう」
と伏し目がちに巨人は答えた。
「もし、仮に空が落ちてきたとしたら、人類は全滅、誰もあなたをバッシングしないのでは?」
と、助言をしてやるが、
「いや、自分でその引き金を引くかもしれない、という状況はどうしても怖くてね。それに人類は最近、冷戦というのでいつ世界が滅んでもおかしくないという状況にある、という話を聞いた。もう数百年もすれば、核兵器が世界中に発射されて人類は滅亡するかもしれない。これまで数千年、ここで空を支えてたんだ、あと数百年なんてちっぽけなものだろう。改めて、人類が滅んでから、空を支えるのをやめるかどうか、考えてみることにしようと思ってな。それに、給金も悪くないし」
俺は随分と、その冷戦は数十年前に終わった、ということを伝えるべきか否か、悩んだのだが、
「冷戦は30年近く前に終わっている」
と長門が言ったので、慌てて長門口を塞いだ。
「なんと、それじゃあ人類がいつ滅ぶかなんて、わかったものじゃないな
巨人はがっくりと肩を落とすと、ついでに高く掲げていた腕を下ろしてしまった。
巨人は「しまった!」と言って空を見上げたが一向に空が落ちてくる気配はなく、首を傾げながら二度、三度、空を撫でるように確認してから
「どうやらここ数千年の私の仕事は無駄だったらしい」
と悲しそうな顔をした。
「いや、少なくとも、地球が丸い、ということが証明されたのは、数百年前、あなたの無駄は、数百年ということでしょう、なら、先ほどの人類の滅亡を待つ期間分、得をしたと考えればいいんじゃないでしょうか」
と俺が慰めると、
「しかし、随分な虚業に時間を費やしたものだなぁ」
と、あっけらかんとした様子だった。
「とりあえず、職をなくしてしまったので、これから職安に行って仕事を探そうと思う。最寄りの職業安定所は、どのへんか、君たち知っているかね」
と尋ねるので、
「ここからだと、神奈川県川崎市川崎区南町の職業安定所が、距離的に一番近いと思われる」
と長門が答えた。
そうして長門と俺は、巨人の肩に乗せてもらって、一路川崎の職業安定所に向かって海を渡って行ったのだった。
川崎で巨人と別れて、電車で帰途についた俺たちは、いつもの駅前で地下世界の商店街から帰ってきたハルヒたちと、閉鎖空間でボロボロになった古泉と合流し、この巨人との遭遇譚を語って見せたのであるが、ハルヒは怪訝な顔をして、
「作り話なら、もうちょっと現実的な話を持ってきなさい!リアリティがないのよ!リアリティが!」
と怒り出した。職を失ったので職安に行くというくだりなどは、神話の巨人なのに随分現実的な話だ、と思ったのだが、ハルヒはお気に召さなかったようで、またしても俺は全員分のファミレス代を持つという罰ゲームに処される羽目になったわけである。

「長門有希の水陸における驚くべき旅行と出征と愉快な冒険」完

2016年11月20日日曜日

100万回生きた長門有希

100万回生きた猫という絵本をご存知だろうか。
俺は子供の頃この本を読んでボロボロと泣いたという思い出があるのだが、しかしこの100万回という数字を落ち着いて考えてみるといささか盛りすぎではないか、とも思うのである。
猫の平均寿命というのは大体10年前後であるらしい、端数が面倒なので仮に10年としてみよう。
100万回生きた猫が果たしていつから生きていたのか、これは単純な掛け算でわかる話であるが、1000万年前である。
1000万年前がどれくらい昔なのか、というと、これはとんでもない昔で、俺たちが中学校で教わったアウストラロピテクス発生ですら420万年前だという話なので、ヤツはとんでもない太古の昔から生きていたことになる。
猫の歴史はどうだろうか、と思って調べて見たが、ネコ科の発生はおよそ1200万年前であるらしい。もしヤツが平均十二年生きていたとしたら、ネコ科の発生とともに生まれ、猫という種族の歴史そのものを体験しているわけで、これはとんでもないことだ。
そう考えると、手塚治虫の火の鳥未来編のマサトと同じくらいの狂気と孤独に苛まれていてもおかしくないのではないか、と思うが、やはりマサトは周りに人間がおらず、かつ死ぬことができなかったからこそあそこまで追い詰められてしまったわけで、そう考えるとこの猫は恵まれているような気さえしてくるから不思議である。
まあそんな創作の話はさておき長門が過ごしたあの終わらない夏休みは638年と110日に渡ったという話である。
いくら同じことの繰り返しとはいえ、それだけの年数を経験すれば、仙人のような老成した風格を身につけそうなものだが、その点に関しては長門がそんなに変わらなくてよかった、と俺は胸をなでおろすばかりだった。
さて、ここで638年という年数について思いを巡らせてみよう。
およそ638年前といえば、日本は南北朝時代の真っ只中でありヨーロッパでは第199代ローマ教皇のインノケンティウス6世が亡くなった頃である。テレビもなければラジオもなく、それどころか、活版印刷や平賀源内のエレキテルすら存在しない時代だ。そんな時代から現代までに流れた時間と同じ時間、長門はあの夏で過ごしたのだ。
638年間常夏の世界で暮らしていたということを考えると、長門はもっと南国かぶれになっててもいいはずだよな、などと考えながら、アロハシャツを着て右手にトロピカルドリンクを持ち、サングラス越しに本を読む長門をぼんやりと眺めるのだった。
長門、サングラスはない方がいいぞ。ここは室内だしな。

「100万回生きた長門有希」完

2016年11月16日水曜日

さようなら今まで魚を長門有希

棲星怪獣ジャミラは宇宙でたった一人だった。
ハルヒの感じた孤独などは、ジャミラの感じた孤独に比べたらサハラ砂漠VS公園の砂場のようなものだろう。
俺は朝比奈さんに勧められたお茶を飲みながら死んでいくジャミラを見て、そう思ったのだった。

「さようなら今まで魚を長門有希」完

空の光はすべて長門有希

マーチンゲール法というものをご存知だろうか。
なにやら賭け事における法則で、無学な俺では到底理解も及びつかないものであるのだが、部室に着くやいなや今日はちょっと違った戦略を試してみたい、と言った古泉が採用した理論がこれであったという。
簡単に長門に説明してもらったところ、マーチンゲール法というのは、賭け事に負けた場合前回の賭け金の2倍を賭ける、という法則に従って賭け続ければ、絶対に負けることはない、という法則であるらしい。そもそも必勝法などが存在したら世のギャンブルはすべて胴元が潰れて存続しているはずがないだろうし、どうも胡散臭い理論である。
という訳でジュース一本分で始めた俺たちの勝負は古泉が一回戦から27回連続で負け続けたことによって、掛け金は倍々ゲームで13,421,800,000円というとんでもない桁に突入していた。もし古泉に無限の支払い能力があると仮定するならばこれはとんでもないことだ。そして俺の手元にはすでに勝ち分の数十億円が積み上げられている。
長門は「わかる!経済学の本」という本を黙々と読んでいる。
それから78回古泉が連続で負け続けたところで、長門が本を閉じたので部活はお開きとなった。
俺がビルのごとく積み上げられた紙幣を眺めて呆然としていた。
金というものは、ありすぎるとなんだか何に使えばいいのかわからなくなるものだ。
ハルヒは「そんなおもちゃのお金邪魔だから明日までに片付けといてよね」と言った。
そうしてハルヒの願望実現能力によって翌日には消滅した大量の日本円によって日本は壊滅的なデフレに陥り、デフレの影響でハルヒは死んだ。


「空の光はすべて長門有希」完

103歳になった長門有希

人気のない夕暮れの丘の上で、私は今にも沈みそうで、なかなか沈まない夕日を眺めている。彼が私を選んだ時、涼宮ハルヒは地面に頭をこすりつけて咽び泣いた。そしてその日から涼宮ハルヒの存在はこの世界から消えてしまった。きっと、彼女は終わらない時の迷宮の中で、どこかの世界の自分を選んでくれる彼を探し続けているのだろう。
隣に座る朝比奈みくるは、時間遡行を経ていない、まさしくこの時代に生まれた朝比奈みくるだった。
「お互い悲しい身の上ですよね。」
と朝比奈みくるが言ったので、私は少しの間灼熱に燃え盛る太陽から目をそらしてその言葉の意味を考えてみた。
悲しいという気持ちを、私は未だにどこか心の中でちゃんと理解できていない気がする。
そもそも私は、感情というものを本当の意味で理解することはできたのだろうか。
彼が教えてくれた様々な感情の断片を学習していった私は、果たして入力に対するレスポンスを試行錯誤しながら学習していく人工知能とどう違ったのだろうか。
おはよう、という言葉に、おはようで返す、ということは、感情を持っていなくても可能なことなのだろう。
人工知能に人間の言葉を理解させようとするときには、新聞コーパスを活用することが有用である。文法の成り立ちをいちいち教えるより、たくさんの例文を読み込ませて「こんにちは」の後には「いいお天気ですね」という言葉が続く確率が高い、という形で学習をさせた方が、何十倍も効率がいいのだ。
私の獲得した感情は果たして人工知能のそれとどれだけ違うのだろう。
「キョン君が亡くなってもう40年にもなるんですね…」
朝比奈みくるは独り言のようにそう続けた。
私は沈みゆく赤い太陽を見つめていた。彼がいなくなったとき、私は果たして悲しかっただろうか。今感じるこの感覚は、寂しいという感覚であると考えて差し支えないのだろうか。
やがて、隣にいる朝比奈みくるも私を残していなくなるだろう。赤々と燃えたぎる太陽でさえも、およそ55億年後には私を孤独な存在として残して、燃え尽きて消え去ってしまう。
私は朝比奈みくると別れて、家に帰った。103年住んできたこの家はかつての無機質な様相を見せることはなく、かつての彼との思い出の品や、刻まれた細かな傷によって私が存在した103年間をしっかりと記憶してくれている。
ふと、無造作に置かれた「ハイペリオン」の書籍を手にとってパラパラとめくってみる。
これは彼との初めてのつながり、思い出の本。頁の間から一枚の栞と、図書カードがこぼれ落ちた。
『午後7時 光陽園駅前公園にて待つ』
栞に書かれた文字は、確かに100年前の私が書いたものだった。
図書カードを拾い上げ、じっくりと眺めてみる。
「また図書館に」
という、思い出深い言葉を、ふと思い出した。
無論、忘れていたわけではなく、ただストレージにバックアップされた記録がそれをトリガーにしてサジェストされたに過ぎない。

私はかつて通っていた高校の正門前に来ていた。
あの選択を彼に否定された場所。朝倉涼子がそれを必死で止めようとしたあの場所。

102回目に初めて朝倉涼子の『やらなくて後悔するよりも、やって後悔したほうがいい』という言葉の意味を理解できた気がする。
懐かしいあの部室を思い浮かべながら、私はいつか手に入れることができるかもしれない、感情というものに想いを馳せる。

私は栞を手に取ると、涼宮ハルヒの能力の断片を使って、103回目の彼との再会のために世界改変を行ったのだった。

『103歳になった長門有希』完

2016年11月5日土曜日

ブギーポップは長門有希

『シュレディンガーの猫』という話をご存知であろうか、箱の中に猫と、なんかランダムに毒ガスが出て猫が死んでしまう装置を仕舞って隠してしまえば、そこには生きている猫も、死んでいる猫も同時に存在する。だとかなんとか、そういうやつである。『シュレディンガーの猫』が説明していることというのは、そう、つまり猫の生殺与奪の権利は人間が持っている。ということに他ならないだろう。
という訳で古典物理学では説明できない物理法則を説明するために生み出された量子力学という学問は、猫の生殺与奪の権利を人間が手中に収めることから始まったのは想像に難くない。猫だって好き好んで死にたい訳じゃないだろうから、やはり猫をシュレディンガー式ランダムガス室にしまう際には、相当の反対があった事だろう。
しかしながら、俺たちは人間によって猫の権利が侵害され虐げられている世界で生きているのだ。猫たちの犠牲によって太陽表面の黒点が磁石になっているという現象を解明できたり他にも色々あったのだ。俺は今も毒ガスで死んだり死ななかったりしている猫に思いを馳せ、感謝とともに一筋の涙をこぼすのだった。
のちに長門が、生きた猫と死んだ猫が重なりあった状態で同時に存在しているということは、猫の質量は箱にしまう前の2倍になっているはずである、という論理的帰結に気づいた。この論理に基づく猫を危機的状況に置くことで熱力学の法則を無視してエネルギーを2倍にできるエネルギー機関は今までのどの様な方法よりも効率がよかったため、猫は熱核エネルギーに変わる新しいエネルギー資源としてまた一歩絶滅への道を歩んだのだった。


『ブギーポップは長門有希』完

さもなくば海は長門有希でいっぱいに

野球場というのはとても広い。広すぎてもうなにがなんだかわからないくらいだ。

そしてハルヒを除く俺たちSOS団の面々はいま、マウンドに立ち、野球に興じている訳である。何が何だかわからんが、どうやらこれは夢ではないらしい。対戦相手はダイエーホークス、迎え撃つは長門有希アオアシカツオドリズこと、俺たちだ。
王貞治の采配の元、7番の大道がバッターとして出て来た。
サードコーチャーの古泉は俺の方を見て右のきんたまを2度、左のきんたまを一度握った。これは『ジョン・レノン対火星人』のサインだ。俺は三塁を守るバルタン星人とライトを守る朝比奈さんに同時に目配せを送った。2人は頷くとさらに隣の選手に目配せを送る。どうやらマイケル・ジャクソンとアンディ・ウォーホルにも伝わったようだった。
ベンチから戦況を見守る長門とビオランテはそんな俺たちを見守りながら『チェコ・スロヴァキア併合』を行うとビオランテは隣にいるガメラをバットで滅多打ちにし始めた。ホークスの大道はその様子に困惑することなくしっかりと俺の右手の中に握られたボールに標準を合わせている。アンディウォーホルが二塁ベースでハンバーガーを食べ始めると、それを合図とする様に、一塁を守る『19世紀後半の印象派風絵画』と赤瀬川源平の『宇宙の蟹缶』は手と手を握りあい、チェ・ゲバラと共に『共産主義の為の大祖国戦争』の作戦会議を始めたのだった。チェ・ゲバラを慕って集まったゲリラは200人を超えていた。そいつらがグランドに立っているし、マリリン・モンローの扇情的なダンスもあったものだから観客席の人々は理性を失ってどんどんグランドに降りてきて収集がつかなくなりつつあった。ゲリラは暴徒と化したファンに向かって発砲し、スペイン国粋派のフランシス・フランコ・イ・バアモンデ将軍はスペイン共和派に対して戦術爆撃機による空爆を始めたのだった。バルタン星人は巨大化し、地球防衛軍はホームベースから出撃したミレニアム・ファルコンに搭乗するハン・ソロの対応で後手に回っている。
球場の上の制空権の確保は困難を極めていた。
そして、アンディ・ウォーホルはハンバーガーを食べ終え、今度はシャカシャカチキンの袋を開けようとしている。
俺は焦っていた。なぜなら、これはもう野球と言えるのか怪しくなってきたぞ、と思ったからだ。
ヤケクソになって策もまとまらないまま内角やや低めに投球すると、大道はバットを大きく振って高らかにボールを打ち返したのだった。どこまでも伸びるそのボールはナイター照明を背に受けて輝き、広がる銀河の星空へと吸い込まれて一つの星になるのではないかとでも思わせる様なホームランとなった。そうしてホークスは2回表にして2点の先制点を得たのだった。

その日、球場にいた1人の少女は『自分が1億2000万人の中のちっぽけな1人』であることを知ったのであるが、それはまた別の機会に本人の口から語られるべきことだろう。
俺は4年後のお前の言葉を覚えている。
『未来で待ってる』そう呟くと、キャップをかぶりなおし、次の投球のためにボールをしっかりと握るのだった。

『或いは長門有希でいっぱいの海』完