2013年2月5日火曜日

私の話。

脚本
・明転

「でもそれで、一体どうしろって言うんだ。」

・暗転

鉄格子のようにも見える手すりに寄りかかり話をする二人。
「歌を忘れたカナリアは」
なよなよした美男子がふとつぶやく。
「おまえ歌なんか歌ったことあったか?」
中肉中背のややがっしりした体躯の男が返す。
「いやとんとないね」

場面は下へ
歯車を組む男、手にはレンチ

「精が出るね」
上から美男子が声をかける。
「そろそろ山場だ、もうちょいでこいつは動くんだ」
ひげ面の男か威勢良く返す。
「舞台美術みたいに行かないものな」
と中背の男が言う。
「あたぼうよ、こちとら中身も作ってるんだ!この発動機がどれだけ重いかわかるか」

美男子「少なくとも僕よりは重いだろうな…」

中背「俺よりも重いだろ」

ひげ面「そうだなあ、多分俺よりも重いぜ」


美男子「その、でかい歯車がいっぱい、車輪に連動して、戦車みたいに表に出てるのは、いいね」
ひげ面「ギアがかみ合って動くってのはいいからなぁ、機械ってこうでなきゃな」

美男子「出来たら教えてくれよ」

ひげ面「近いうちにテスト運転するんだ、そんときゃ知らせるよ」

美男子「よろしく」

・暗転

机で小説を書く男。
「うん、いいぞ、近年まれに見る傑作、私の才能に世界も嫉妬することだろう!いいぞ!すごくいい!すごく…はて…どこがよいのだろう、読み返してみるとさっぱりわからん、だめだだめだ!こんなもの!えーい!」
男、破り捨てるような動作をする。しかし一寸思いとどまって。

「しかし破り捨てるのも何だから、引き出しにしまっておこう。そろそろ引き出しがいっぱいになりそうだが」

「いかんなぁよく考えたらここ一ヶ月ほど家から出ていないぞ、しかたない、密室で一人で出来ることは小説を書くことぐらいというが、いかんせん経験に基づかない小説は面白くない、ここはひとつ大学にでも出かけるか。」
立ち上がる男、顔をあらい、無精髭をそりだす。

・暗転

2013年1月17日木曜日

『なる』っていうのはアライグマくんのスキなところをスキだって言うのに似てるよ。―いがらしみきお 「ぼのぼの」


 誰もがみんな、何かになりたい、と思う。僕は昔マイケルジャクソンになりたかった。舞台の上でみんなを魅了する大スター。彼に一挙手一投足にみんなが目をみはり、歓声を上げる。

 言い換えれば僕はアイドルになりたかった。人々に見られ、褒められることで自己承認欲求を充足したかった。

 幼少のこんな欲求の不完全燃焼、それが僕の制作の動機になっている。子供の頃は誰もがみんなドラゴンボールの孫悟空に憧れた。でもいつかみんな自分は孫悟空でないことに気付く。

 小学生の頃、私はセーラームーンになりたかった。中学生の頃、私は広末涼子になりたかった。美容室に「広末涼子にしてくれ」といって髪を切りにいった。高校の頃私は椎名林檎になりたかった。「ジャニスイアンを自らと思いこんでた 現実には、本物がいるとわかっていた。」と言う歌詞に感銘を受けた。そして私は、マイケルジャクソンに憧れた。アンディウォーホルに憧れた。ジェンダーという垣根を乗り越えるあの超越的な何かに憧れたのだ。僕はいつでも僕ではない何かに憧れ続けている。

2013年1月2日水曜日

The idea was to be a symbol.
Batman could be anybody.

バットマンはシンボルだ
バットマンには誰でもなれる マスクをつければ
— ダークナイトライジング

john smith


from the Voice (not We are the World)


声とはなにか。認識に必要な記号である。
我々は多くの理解を言語に頼る。原初、人は理解を、知識を世代を超えて伝えるために言語を持ったのか、何しろ私はその時代に友人がいないので定かではない。
音というものは現在存在する情報伝達手段の中で、もっともノイズの多く、情報伝達の効率も良くない。
ラジオはテレビに淘汰された。音というものは非常に伝わりにくい。しかし情報の理解の根源的な部分にかかわるものである。
たとえば小説を読むとき、文章を読むとき、「黙読」とも言うとおり、あなたは頭の中で音を再生、シミュレーションし、理解しているはずだ。
音というのは思考と理解に密接にかかわりあっている。我々の思考速度は口の動きと等速なのだ。




音というものが語られるとき、その性質(たとえば波形、高い音か、低い音か)についてのみが語られることが多いように思う。
我々は幼少のころから音楽に満たされた生活を送ってきた。たとえば昔の漫画などで極端に音痴なキャラクターという描写がままあるがこれはかつては音楽というものを再生する機器がまだ世にあふれておらず生きていく上で音楽に触れる機会が少なかったがゆえに起こる野ではないか、という考察をどこかで読んだことがある。


環境が人を変える。




5次元の存在




other
walking the city
 このプロジェクトは留学中UdKのヨアヒムザウター氏のゼミで「sensing the city」というテーマでデバイスやウェブ媒体を用いて都市情報をアートとして再構成するというクラスの中で行ったものである。
都市をセンシングする、というテーマのこの講義ではCosm(ArduinoやProcessingと連携した計測データ共有サイト)を用いて都市構成そのものを記録するような性質のものから、ベルリンの町をサーモ撮影しグラフィックを制作するようなもの、S-bahnの路線沿いのグラフィティの分布の統計を取りそれを地図上にグラフィカルに構成する作品などさまざまな作品が見られた。


walking the city

町を歩き町を音楽に。

この作品の発想の根源は、演奏というものそのものに対する疑問から生まれた。ノイズ音楽というものは往々にして人と机によって演奏される。
演奏者は机の周りを行ったりきたりし、音を鳴らしたりミキサーを操作したりパソコンをいじったりする。
ただこれらは還元してしまえばサンプリングと目盛り(或いはメモリ)の操作が複雑化したものである。
原理的なことをいえば、この作品はサンプリングを私の周りの音に、目盛りの操作を私の周りの環境に託した作品である。
首元に固定されたカメラで周囲の環境を記録しながら、帽子に取り付けられた10個のマイクで自らの周りの状況、音をセンシングし周囲の音をリアルタイムにノイズに変換する。







音の循環系

サンプリングした音源を鳴らす。
この行為の裏には録音という行為が潜んでいる。
ある人はこの音が面白い、と思ったものを録音し収集していく。

2012年12月13日木曜日

男の話4

               

 生きて行く上でコスト管理というのは非常に重要な問題である。例えば本を買うときに考えることがある。この本棚にあるルーブル美術館の目録は1万円もするもので購入するときに大変に悩んだものだ。しかし例えばルーブルに直接行くのであれば渡航費だけで往復10万円前後かかる。ルーブルの入館料は10ユーロと大変お安い訳であるがなかんずく上野の国立科学博物館さえ一日で見て回れないわたしには、かの有名なルーブルを一日で全て見て回るというのも厳しかろうと思うのでまあ見て回るのに二日、パリ絵の到着時刻その他諸々を考えても4日は滞在するとするとそれだけの宿泊費も発生する訳でとてもではないが1万円そこらでルーブルの絵を見るという訳には行くまい。モナリザは想像よりもずっと小さい、ということはよく耳にするが、別に本であればそんなことは心配する必要はない。ペラペラとめくる、イタリア中期の宗教絵画のあたりが私は好きで、この時期に描かれたキリストはなんと言うか不思議な雰囲気を持っている。やせて、瞳はどこかうつろで寂しく、そしてやや中性的なような感覚、それはどちらかというと肌の質感に由来するのではなかろうかと思う。油絵の具で描かれたキリストの皮膚はどこか艶かしく、うつくしい。そんなことを言っても、写真が本物に勝る訳がない、と人々は言うかもしれない。その場所で見るからこその感動があるのだ、という人があるかもしれない。しかしそのわずかな差を体験するために果たして10倍以上の金をだれが出そうか?わたしはかつて中学高校の頃修学旅行と称して京都の伝統的な社寺仏閣を巡ると言う偉業を成し遂げた男であるが、その当時のことなどこれっぽっちも役になど立っていないし、もはやそのとき見たお寺や神社のことなど、ほとんど忘れてしまった。
もしわたしの根本的な人格形成にその経験が生かされたのだ、という人がいたならば、その人に言ってやりたい。では京都に住む人間は今頃悟りをひらき仏になっているであろう、と。もしかしたらそういうことを言う人は、全てに悟りをひらいた仏なのかもしれぬ。ナムアミダブツナムアミダブツ。

               

 太陽は常に東からのぼり、放っておいても西に去って行く。そのときわたしは太陽を背負って運ぶ必要もなければ、台車に乗せて引きずって行く必要もない。太陽というのはできた奴である。奴はわたしに負担をかけることなく、そしてわたしが心配せずとも世界は平常運行して行く。わたしが我が部屋に引きこもり、もはや外界との積極的な交流を断って、約半年が経過していた訳であるが、その間に世界は何か変わったであろうか。
 何も変わっていないのである。否、様々な変化はあったし、わたしの知らぬ間に様々な季節が移ろったであろう、しかし今日も太陽は西からのぼって東に沈むことはなく。世はこともなく平安でありをりはべりいまそがり。
かくて我々は山奥の養鶏場にて一羽の鶏を入手し、一路山道を下った、目指す先は私の家であると言う。なぜ私の家で?理由は簡単であった。
「きみの快気祝いだからだよ」先輩はそういってにんまり笑った。
出雲絵里は無表情であった。

               

Don't care if you do 'cause it's understood
you ain't got no money you just ain't no good.
                Ray Charleshit the road jack

               

「カタン」
とポストに何かが入った音が聞こえた。私の家はなんてことのない六畳と四畳半の二間のアパートである。ポストはドアと一体になっており、風通しのよい、夏はいくらか過ごしやすいが、冬にはやや、いや,ものすごく寒い部屋に投函物がポストの中に落ちる音がきれいに響くのである。
さてはてなんであろうか,と思う。
わたしは今家で寝ている。木目張りの天井がわたしの目の前には広がっている。どれ一つ確認に行くか。と思い布団から出る。
寝起きの頭は全身にうまく指令を出せず、いくらか体の末端まで力が入らず、ふらつく。道中一度入り口の横にあるキッチンの角に腕をぶつけ、大変痛い思いをした。理不尽である。
ようやっとドアの前迄たどり着くとそれは切手も何も貼っていない一通の手紙であった。
「本日午後5時駅前喫茶店西武にて待つ。」
と汚い筆跡で書いてあった。

               

 久々に大学に出た私は、とりあえず頭を抱えて単位の計算をした。思いのほか一、二年次にまじめに単位を取得していたおかげもあって、後期のみの通年でない講義にこれからうまいこと出席して行けば,どうにか留年は免れそうである。ありがとう一、二年次の私よ。しかし大学というところはあまりにも人が多くて、めまいがする。私は家から出る段で一度日光のあまりのまぶしさにめまいを起こし、バスに詰め込まれた人々の圧力でめまいを起こし、大学でははて知り合いに会ったらどんな話をするか,などといらんことをつらつらと考えてしまったが故にめまいをおこした。
 目頭を押さえて大学の図書館でうずくまっていると、後ろから肩を叩くものがいる。はて,と思って顔を上げ振り向くと、そこには先日の鶏解体騒動のとき喜々として小林とともに鶏を解体していた柄沢くんであった。
「やあ、どうもこんにちは」
と彼は笑顔で言った。
はて彼は厳密に言えば後輩に当たる訳であるが、後輩というものにどういう風に接したらいいのかわからぬ。王様のように,慇懃に対応すればいいのであったろうか、どうも年下というのは苦手である。
「ああ、うん」
となんとも釈然としない返事をしてしまった。彼は手に動物の図鑑のような本をもっている。
「それ…」
と私が言うと、彼はああ、と続けてこう言った。
「先日の感触を忘れないうちにいろいろ確かめたり、記録したり、しようと思いましてね。」
と言ってにっこり笑った。小林といい、こういうことに躊躇のない奴らの笑顔は,なぜかまぶしい。なぜだろうか。
私たちは二三たわいもない話をして。またどうせ近いうちに、先輩に呼ばれて顔を合わせるであろう、という話をして別れた。
図書館という空間はあまり会話するのには向かないし、そんなものである。
ただ人は時に意味もない、他愛もない会話をしたがるものだ。こういうときに行われるのはたいてい、事実の確認である。ああいうことがあったよね。ああ、あったあった!という、脳のなかにある記憶の再確認、思い出の答えあわせを求めるのである。そうすれば少なくとも、私の記憶は肯定されたのだ、と自己承認欲求を満たすことができる。承認されたのは自分自身でなく、その過去の環境の記憶であり、その過去そこにいた自分であるが、本人に取っては関係のないことだ。そういえば昔どこかで聞いたが、人間の脳というのは、厳密には未来過去現在を区別できないという。過去の事実を想起させ、脳にまた快感物質を分泌することによって、人はその時の幸せと同じ幸せを獲得するのだという。何となく後ろ向きである。そんなことでいいのか,とも思う。しかし多くの人はこの快楽に溺れることを一つの人生の目標としているし、我々が同窓会などで集まるのは、この思い出す快楽の想起の幅に関して日常生活の範囲では満足できなくなり、より遠く過去を思い出すためにあの頃は何だ、とか、昔はよかった、と言う話をするのである。
「昔はよかった…か」
と思わず私は口に出した。
今がよかったことなど全ての人間にとって、一度たりとてないのではなかろうか。常に,今よりまし、と言う意味合いで、昔はよかった、と発話する。
未来のことなどまるでわからない。

               

「いったい——いったい宇宙はどんなふうに滅びるのですか?」
「われわれが吹きとばしてしまうんだ——空飛ぶ円盤の新しい燃料の実験をしているときに。トラファルマドール星人のテスト・パイロットが始動ボタンを押したとたん、全宇宙が消えてしまうんだ」そういうものだ。
—カート・ヴォネガット・ジュニア「スローターハウス5」

               

かつて小林と居酒屋で流し込むようにアルコールを摂取していたときに見知らぬおっさんが話しかけて来たことがある。おっさんはデパートで働いている営業マンらしく、談笑のなかに仕事の愚痴を織り込むのが大変うまかった。そのとき小林と私は漫画の話をしていた。おっさんが話すのは結構昔の漫画か、あるいは俗にいう青年漫画と言うサラリーマン向けの漫画などの話であった。私はさっぱりだったのだが、小林は結構その方面にも詳しいので、さいとうたかおやら名前も知らないような時代もの漫画の話に花を咲かせた。私は当時出雲絵里との関係がうまくいっていなかったのでせっかくの小林とのやけ酒を邪魔され不機嫌であり、黙々と酒を飲んだ。
「漫画ってのはいいよなぁ、そうそう、最近の若い人は漫画を描いたり結構するみたいじゃないか?きみなんか、漫画も詳しいし描いたりするんじゃないかい?有名になったりしてな、ははははは」
おっさんは赤ら顔でそんなことを言う、調子のいいものである。このようなおっさんという生き物は自分のやっている仕事以外の苦労や難しさをまるで理解しないのだ。漫画だって描くのは大変であろうし、ましてやプロとしてやっていくのはとてつもない労力だろう。年配の人間というのは想像力に欠けているのではないか、と常々思う。
「そうだ、君たち二人でコンビを組んでやったらいいんじゃないか、藤子ええとなんだっけ、あの、二人組みたいに、そう、無口な君が原作をやってさ!ははははは、案外人気が出るかもしれんよ、コンビ名はこの皿の上のちくわとはんぺんから取ってちくわはんぺんなんてのはどうだ?いいなまえだとおもうなぁ、わたしは!」
と卓上のおでんを箸で示しながら一気にまくしたてると
「お姉さんウィスキーみっつ!」
と店員さんに叫んだ。
「おれのおごり」
とニッと笑った。おごってもらえるのであれば、と小林と私はそれなりに呑んだ。徐々に我々は打ち解けたがそれがおっさんの話術故か、アルコールの過剰摂取で脳の機能を阻害されたのかは、もはやアルコールの過剰摂取で判断できなかった。おっさんは、
「いけね、奥さんに怒られちゃうから、わたし、先に失礼!たっしゃでなあ!」
と言って今迄の分の会計をすませてそそくさと帰っていった。
迷惑だけどありがたいことではあったので我々は払わなくてよくなったここの会計の分でさらにもう一軒別の飲み屋へと行った。
小林はある程度以上呑むと最寄りの人にべたべたと触ってくる癖があるので大変に面倒くさいが、その辺りの挙動が怪しくなるだけで、基本的に奴はどれだけ呑んでも思考は明晰である。逆に私は呑めば呑んだだけ思考を疎かにするので私が発する種々の愚痴や放言に、小林が明晰かつウィットに富んだ返答をすると言うパターンに陥りがちだ。ただ私が酔って同じ愚痴を繰り返すと、奴も奴で前回とまるで違う答えを返すので端から見ると明晰に見えるだけで、本人は相当に酔っぱらっているのかもしれない。
我々は結局、その二軒めの飲み屋でもしこたま呑み、ゲロを吐きながら帰宅し、最寄りの私の家の玄関を開けるや二人で玄関にぶっ倒れた。

               

Well, I guess if you say so
I'd have to pack my things and go. (That's right)
Ray Charleshit the road jack

               

「あ、やっと来た。5時って言ったでしょう、いま何時だと思ってるんですか?5時20分ですよ?」

               

 生物学科の研究棟へぶらりと足を運ぶと、生け垣からジーンズを履いた足が生えている、なんであろうと覗き込むとそこになぜか先輩がいた。先輩は道ばたの生け垣に身を埋め空を見ている。端から見たらとんでもない光景である。
「なにやってるんですか?」
「空を見ているんだ」
そうであろう。
「空を観察しているとだいたいこれからどんな天気になるか、わかるものだよ、夕方に一雨来そうだな。」と先輩は言った。
「ほう、さすが先輩ですね」
と、うやうやしくうなずくと
「まあこれは今朝天気予報を見たんだがね。」
拍子抜けである。
「実は小林君に頼まれごとをしててね。」
と私を笑いながら言った。
あいつは先輩もうまく使うな、見習いたいものだ。などと考えていると少し奥の生物学研究棟の扉を開けて白衣を着た小林がやって来た。
右手にはアタッシュケースをもっている。
「ん、なんだ、めずらしいな、いや、そもそも学校にいるのが珍しいのか」
余計なお世話である。
「おお、ちゃんと計っておいたよ。」
ありがとうございます。と言って小林は先輩から紙切れを受け取った。よく見ると先輩の足下には実験室で使うようなシャーレが8個程並んでいる。そのなかには何やら青色の物体がかたまっている。
小林は手慣れた手つきでシャーレを回収してアタッシュケースの中にしまった。
「しかし、太陽が雲に隠れてた時間とそうでない時間なんか計らせて、何をしようというのだね。おそらく感光とか、薬品硬化とかそういう感じのことだろうが。」
と先輩が言った。
「そこまでわかってれば特には説明することもないですよ。紫外線で硬化する薬品の濃度の検査です。ちょっと次の実験で必要でしてね。」
ふうん。と先輩は言った。
「僕がたまに趣味でやるシルクスクリーンで使う薬品と同じ色だったからね。」
さすがの観察力である。しかし読者諸兄、お気づきであろうか、私のこのコミュニケーション能力の無さ、一対一での会話でならいいが、複数人での会話となると、私は急に会話の表舞台に出ることが億劫になるのである。当人達が楽しそうに話しているのであれば、何も私がそこにしゃしゃり出ることは無かろう。世界は私抜きでも回っているのだし、そこに私が無茶に出て行く必要は無いのだ。なんだか鬱々とした気分になって来る、このままではよくない。どうにもよくない。ちょっとコーヒーを買って来る。とその場を離れようとすると、なんだじゃあ僕も研究室の戻ろうかな、と小林も立ち上がった。
「先輩はどうします?」
と小林は言った。
「わたしはもうしばらく、こうしてようかなぁ。」
そういって先輩はまた生け垣にごろりと寝転がった。
結果的に私は小林と生物学研究棟へ向かい入り口に入ってすぐの自販機でコーヒーを買いコーヒーをちびちび飲みながら、小林と少し談笑した。
コーヒーは少し苦かった。

               

 いいえ。唯一の意味は、それを声に出して読んだときのものです。
                —マルセル・デュシャン ピエール・カバンヌ
                「デュシャンは語る」

               

とても眠い。でも寝てはいけないので、ぼんやりとしたあたまのまま、そこかしこをながめる。ふわふわと眼前に白いもやのようなものが浮かんでいるような気がする。そのもやはじょじょに広がって視界の全てを覆ってしまう。ゆめなのかもしれない。ゆめかうつつか、うつつという言葉は実にいい。うつつと言う言葉をイメージしてこのうつつと言う言葉の現実感の無さに思いを馳せてほしい。なんだうつつって、夢よりも言葉の響きとして現実感が無いだろ。

               

 はて、今朝私の家のポストに投函された手紙をあらためてひらいてみる。
午後5時はもはや刻一刻と迫り今から指定の場所に急いでも間に合わない程である。本心を言えば行きたくない。しかし私はあの文字が誰のものか知っているので、そう無碍に扱う訳にも行かぬ、しかし今更になって、何だというのだ。一体何があるのか。それは私に得な話であろうか?
今から行ってもどうせいないのではないか、ただ罵られるだけではあるまいか。しかしかといって約束を破るのもなんだか気が引ける、しかし帰りたい。
よく考えたら今日はなにか用事があったのではなかろうか、等とうんうん唸りながら街を行く。気がついたら私は約束の喫茶店の方へと歩を進めていた。

               

まったくもって浅はかなおばはんだ。おばはんに死を。呪いつつ歩いていくと、誰かを待っているような格好で銀の策を背にして赤いスカートを着た中年の女が立っていた。権現への道順を尋ねようと近づいていったが駄目やった。女は芝居の稽古でもしているのか、傍らに誰もいないにもかかわらず、「そうなのよね、それでね」とか「うん実はね、それがそうなのよ」と
—町田康 「権現の踊り子」

               

2012年10月23日火曜日

男の話3



 「いずれどっかへいくだろうさ……。それともどこへもいかないのかもしれないぜ……。どっちでもいいさ。このままで、とてもたのしいじゃないか。」
—トーヴェ・ヤンソン「ムーミンパパの思い出」

               

 肉食というものが禁止されている文化、風習というものがなぜあるのか。
端的に言ってしまえば肉は野菜や豆、麦などの他の食品に比べて、劇的に保存が難しくかつ、鮮度の劣化によって人体に害を与えることが多かったからであろう。一説には豚の肉は人間の肉と味が似ているからイスラム教では禁止されたのだ、だとか何だとか諸説もある訳であるがこれらの問題を一括で解決する方法というのがある。いかにして無知蒙昧な人民に、そういうことはしちゃいけないよ、と理解させるか。「それは神がいかんと言ってるからいかん」と言う便利な言葉に集約されている訳である。科学というものが存在しなかった過去に食中毒や寄生虫などの害をどのようにして回避するのかということが宗教の一つの課題であったからだと思う。
宗教の規則をいかにして守るか、そして守ったことによってどのようにして神のご加護、つまり仏教で言う現世利益を信者に与えるか。食中毒にならないというのは毎日人々が食事をしなくてはならないという点で非常に重要な点を占めるであろう。
端的に言ってしまえば、教育の行き届いていない世界でどのように法律を浸透させるか、と言った問題である。実際法律というのはあれはいかんこれはいかん、これをやったら罰すると言うのを人間の尺度で人間が実行するものであってこれは非常に面倒くさいし、大いに反感を受けることが多い。神は過たず、と言うが過ったものには罰を与えよ、と言うのが法の精神であるが故に、これは大変都合が悪いのである。宗教であればその神のお告げの運用を誤った実行者、つまり司祭などが糾弾されるのであろう。何より神は裁こうとしてもなかなか人間の側からは裁けない。なぜならば居ないからである、居ないものにはカフェでコーヒーをおごろうと思っても無理だからだ。しかしこれが王様になって来るといろいろと問題が起こって来る。なぜなら王様というものは国の頂点であるが、実在するからである。確率は非常に低いが、場末のバーにやって来た王様にスコッチをおごる、と言うことは不可能とは言い切れない。王様とて人である。
 王権神授説、と言うものをご存知であろうか、つまりある程度時代を経ると、王様がなぜ偉いのか、というものを神様に選ばれたからだ、という理論付けで正当化して行ったのである。これは極端な言い方をしてしまえば、神が天下って人界に顕現することと同じで、かつてリーダーとして、一種の神として存在していた王が、神の勢力つまり「教権」の台頭に対して、いかに対抗するか、という実際的な問題に大きく突き動かされていたようである。「くそう神様ってずるい!」そして結果的に王も神をヨイショすることになる訳である。王権は教会と同じ神の出先機関に堕したのである。
この辺りは、ヨーロッパの一神教文化が大きく影響していて、新興国のルターやらイギリス王朝やらがいちゃもんをつけるまでキリスト教権力はローマ教皇が一極で掌握していた。この辺りの経緯も、極端な理由を挙げれば「お前らばっかりずるい」と言うのが原動力となっているように思う。
 日本の天皇制というのも大変面白くて、時代は移り変われど征夷大将軍という役職において天皇から統治の大義名分を賜るというシステムがずっと続けられて来た。この辺の類似も、人間の思考の類似性に寄るのかもしれない、つまり、人は常に許されたがっており、またこれをしなさいと命令されたがっており、もっと言うのならば、人は行動に常に理由を求めたがるのである。
Why? なぜ?
人は言う「嗚呼、神よ!なぜ私はこんなにも苦しみを受けなければならないのか!」
「それはおまえの生活がなんか、こう、悪魔的で、なんか、その、あれだからだよ」
「なるほど!」
かくてめでたしめでたしである。人は常に理由を求める。なぜ苦しい目に遭うのか、なぜ悲しい目に遭うのか、なぜ牡蠣を食って食中毒を起こすのか。それは牡蠣の保菌するノロウィルスに寄って説明できる訳である。しかしウィルスというのは目に見えない。人々はもっとシンプルな答えを要求する。「それは神が罰をお与えになったのだ」
もう一声!
「それはおまえたち人間がみな罪を背負っているからだ」
ベストアンサー!私たちが皆を背負っているのであればもうそれは仕方あるまい、我々は罰せられるべくして罰せられたのである。
 人は理不尽を嫌う。なぜならば理解できないということがとても不安だからだ。とにかく答えを得て、安心したい。たとえそれが間違っていたとしても。そして場所が変わって高温多湿で食物が腐りやすいインドネシア、タイなどの地域では食事に大量に香辛料を使用することなどで食中毒の問題を解決した。(香辛料には殺菌作用がある)

               

 夜が明ける。西から上ったお日さまが東に沈み、また西から昇って来たのだ。
「太陽が昇るのは東からだよ」
小林が言う。そういえばそうだ。
我々はとにかく西に進んでいるらしい、ということだけはわかった。我々の背には朝の青白い太陽が朝の気持ちよい光を発し、その光が我々を追いかけて来る、長い間引きこもっていた私には太陽の光はもはや毒である。
「もし直射日光にさらされた私がドロドロに溶けて灰になり風に乗って四散しそうになったら、すかさず集めて袋にでも入れて、いつかグランドキャニオンの上で撒いてくれ。」
と私は小林に言った。
「今の所当分オーストラリアには行く予定がないな。」
「じゃあそこらへんの山で撒いてくれ。」
私は妥協した。
「じゃあ今そのまま風に四散するままにしたって、同じじゃないか。」
もっともである。
 道はどんどん田舎道になり、ついに山道になった。もしや我々はこのまま姨捨山に捨てられるのでは、と思った。こんなに若くてぴちぴちしているというのに!しかし、かれこれ何時間くらい走ったであろうか。乗り物というのは乗っているだけで目的地に連れて行ってくれるので、大変に便利である。ただトラックの荷台はいささか環境が良くない。だんだん足やら手やら尻が痛くなって来る。私は少し大きな声で運転席の先輩に5度目のあとどれくらいでつくんです?という質問をした。帰って来たのは先輩の、5度目のもうすぐつくよ。であった。

               

               
Now baby, listen baby, don't ya treat me this-a way
Cause I'll be back on my feet some day.
                Ray Charleshit the road jack

2012年10月19日金曜日

保存されていない変更があり、それらは失われます。

男の話。2

               

 どんどんと扉を叩く音が聞こえる。
「おうい。」
のんびりとした声が響く、先輩だ。
先日来の久々の来訪である。私は寝ぼけた頭に活を入れ、考えをまとめようとした。せっかくの来訪者を無碍に追い返すのも無礼であろう、しかし私はと言えばもはや半年近く人と話という話もしていない。もはや今先輩と相対してもまともに話すことができるかどうかすら怪しいのである。ではここでドアを開けずに先輩を追い返すことよりも、このような失態を人にさらすことの方が無礼ではあるまいか。
「うぅん、困ったな。」
 先輩は腕組みをしてそちらからは見えもしないのに覗き窓を覗き込んでいる。相変わらず我々はこの一枚のドアを隔てて互いの距離を測りかねていた。私は果たしてここで表に出るべきか否か。
私は人生の分岐点に立たされているのではあるまいか。人前にかれこれ半年も出ていない私に、そのような体裁を気にする必要があるのか、というご意見もあろう、しかし私は体裁を機にするが故に、家から出ないという選択をしたのではあるまいか。誰からもよく思われたい、そう思うが故に私は人前に姿を現さないと決めたのではあるまいか、人付き合いをしながら常に好かれようなどということができるほど、私は器用な男ではない。だから、私は外界を拒絶したのだ、外界から拒絶される前に。
 なにかを期待して裏切られるくらいならば、はなから期待などしない方がよい。私には期待をする資格などないのだ。そしていわんやその資格を取得できる教習所があるとしても、そんなところに通いたいとは思わない。

               

美少年 何も言うな何もかも見たくないんだ……愛してほしくなんかないんだ。
—寺山修司 「毛皮のマリー」

               

彼女は実にかわいい人であった。
出会いは大学の学園祭の最終日にさかのぼる。学園祭が終了し、大学生のみとなった構内の、宴の後の不可思議な雰囲気の中、私は彼女と隣り合って缶チューハイを飲んだ。私は薄手の服のすそから大きく露出した彼女の肩周りの赤らみをみて、ちょっといいな、と思った。そのとき彼女も私のことをちょっといいな、と思っていたということは後に知ることとなる。

               

言葉なんて信じられない。
心の中身が本当だということを信じるためには、外側は全部、嘘でできてると言わなければならない。と何かの台本で寺山修司は美輪明宏に言わせた。
私はこの言葉を机上の空論だと思う。今も思う。しかし、外側は嘘で、中身は本当。信じるためには外側は嘘で、信じるためには中身は、信じるためには中身は…

               

「こんなこと話したのはあなたが初めてよ。」
僕は彼女の手を握った。手はいつまでも小刻みに震え、指と指の間には冷えた汗がじっとりとにじんでいた。
「嘘なんて本当につきたくなかったのよ。」
—村上春樹 「風の歌を聴け」

               

 ぱくぱくと先輩は土産だと持ってきた酒饅頭を食べている。私はまだ一つと半分しか口にしていないが、先輩は24個入りの饅頭を、もはやすべて平らげんとしている。
「大変な犯罪が計画されてるんだ。しかし、うまくくいとめられると信じてよい理由もある。ただし、今日が土曜なので、いささか面倒な問題になった。今夜、きみに手伝ってもらうかもしれないよ。」
先輩は何かを諳んじるかのように、朴訥に台詞を吐いた。
半年以上前に会ったときよりいくらか痩せ、以前よりもあごには立派にひげを蓄えている。ちょっとした英国の探偵と言ったような出で立ちだ。
私はしばし考えて
「確か、シャーロックホームズの台詞ですね、五粒のオレンジの…いや、たしか赤毛連盟の台詞でしょう」
先輩は饅頭を咀嚼し終えると
「勤勉だ、それにおまえ、推理小説やミステリのたぐいは、いっさい読まなかったろう。」
と関心げに言った。
「それに今日は、確か、月曜日でしょう。何せここ半年、家から出ずに本ばかり読んでたもんだから、ホームズやら、京極夏彦やら、エドガーアランポーなんかもずいぶん読みました。」

「本なんか読んでも、なんにもならないぞ。」
先輩は言った。

私は少し考えて
「…まったく、そうかもしれませんね」
と答えた。

               

「己も実は面白くないんだよ」
「じゃ御止しになれば好いのに。つまらないわ、貴夫、今になってあんな人と交際うのは。一体どういう気なんでしょう、先方は」
—夏目漱石 「道草」

               

 描くべきことはいくらでもあるが私の経験をそのまま記載するのであればそれは多くの場合著作権の侵害になるであろう。私の経験のほとんどは他人の経験であり、私の経験は他人の経験の寄せ集めであると言える。

               

だれしも幽霊についてかたるが 幽霊を見たものはいないように
だれしも愛についてかたるが 愛を見たものはない
—ジョージ秋山 「デロリンマン」

               

 愛について語った小説というのは、この世に銀河の星の数ほども存在する。銀河の星の数ほども存在するものは恋愛小説と銀河の星以外にあるとすれば、地球上に存在する海の砂と、この世に生まれてきた人々が思いついたけれども生涯一度も口に出さなかったくだらないダジャレの数くらいのものだろう。

 なぜ愛についてそんなにも語りたがるのか、お前らにはそれしかないのか。
愛というのはこの自分が主役でない世の中において唯一自分が主役となれるイベントだからこそこんなにも人に好まれるのではなかろうか。ただ、実現するか否か、ということで考えれば、世界の存亡をかけた戦いも、見知らぬ女性とのアバンチュールも同等に夢物語であることには変わりない。私に取っては宇宙怪獣に侵略され、滅亡の危機に瀕した地球の方が、私に好意を寄せる女性などというものよりも、よほどリアリティがある。
感情移入というのは、そこに手が届くか否か、というよりも、それが想像に難いか否かによって行われる。手の届かない夢物語よりも、電車で隣に座っている人間の人生の方が、理解不能で複雑怪奇なものである。

お前はいったい誰なのだ。

               

 現実とは偶然の連続であるが故に、リアリティを極限まで追求した小説はもはや伏線も何も存在しない、一種の不条理小説の体裁をなすようである。
文学の先生はそう言った。

               

「先輩は最近、どうでした?」
会話に詰まると近況を聞く。人は会話に詰まると近況を聞くものである。
「ああ、僕のことか。」
先輩は饅頭の甘さを押し流そうとするかのように、私の入れたほうじ茶をぐいぐいと飲んだ。少しおいて言った。
「ちょっと留学をしていたんだ。」

「はあ、留年ではなく、留学ですか」
私は心底驚いた、先輩の語学力は前述の通り、四年生になっても一年生の英語の授業を受けているようなレベルのものである。
「この饅頭はそのお土産だよ」
先輩は空の饅頭の箱を指差してそういった。
「はあ、新潟にでも留学してたんですか」
饅頭の箱には確かに、「新潟名産八海山酒饅頭」と書いてあった。

「いやドイツで土産を買うのをすっかり忘れていたものだから、土産は全部東京駅の物産展で買ったんだよ。」
先輩は低く響く声ではっはっは、と笑った。

               

 その日先輩は饅頭を食べて満腹になったら帰ってしまった。
「またくるよ。」と一言言い残した。

 再び私一人の世界となったこの部屋で、布団に寝そべり私は世界を股にかける先輩を想像した。人にかまを掛け、法螺を吹き、必要とあればただ語らぬことで人を納得させるあの不思議な話術で外国人と渡り合う先輩を夢想した。なんだか考えれば考えるほどに、不思議な情景だった。私が家から出ずにいた半年間を先輩は日本からもちょいと足を伸ばして出て行ったという。私はああはなれまい、しかし、ああなりたいと思うか、と言われても素直に、はいとは言えぬ。

 時刻は夕刻を回っていた。

 私は一眠りすることにした。なんだかとても疲れた。人と話すというのはとても疲れるものなのだ。かつてはそうは思わなかったかもしれない、しかし、今はそうだ。沸々と浮かぶたわいもない物思いの中にたゆたいながら、私はカーテン越しに床に落ちる、うす赤色の輝きを眺めていた。やがて私の視界はぼやけ、考えるのもおっくうになった。私は私に閉じこもった。

               

 私は迷路の中、くらいくらい道、道は奥へ続き、ぼんやりとした常夜灯の下のような明るさの中、私はただゆっくりと歩いてゆく。こんなにもくらい中、不思議と何かにぶつかったりすることもなく奥へ奥へと進んでゆける。わずかに閉塞感のようなものを感じる。胸が押さえつけられるような。私は夏のようなじめじめと湿った空気に取り囲まれている。夢の中に居るような感覚で、現実感がない、歩調に合わせて視界が揺れているのはわかるが、それも霞がかかったかのようにぼんやりとしたものだ。でも確かに、私は暗がりの中をゆっくりと、前の向かって進んだ。

               

そのときにしか書けないもの、というのは確かにある。そのとき、その状況で、その精神状態で、その年齢だったからこそ書けたものというものはあったはずだ。

               

 トンネルを抜けるとそこはトンネルの向こうであった。
私は先輩の運転する軽トラックの荷台の上でまだ夏になる前の、何とも言えない、暖かくもなければ、肌寒くもない風を浴びている。トラックの荷台には私以外に三人の人間が積載されている。自分が果たして今どのような状況に置かれているのか、全く訳が分からない。三人の内二人は面識があった。
私は顔見知りの二人の中でも、以前仲の良かった小林に声をかけた。
『これはいったいどういうことだ』
トラックの荷台の上をいう話すのに適さない環境下で、自然と声が大きくなる。
「どうしてこんなことになったのか」

「そんなこと僕が知るか」
と小林は大きな声で答えた。
運転席からは先輩の愉快そうな鼻歌が聞こえる。
夜の田舎道のオレンジの街頭が次々と頭上を通り過ぎてゆく。

どうしてこんなことになったのか

               

 なんでそんなことを気にするんだろう。と彼女は思った。
気になることがなぜ悪いことなのか、と私は思った。

当時の彼女の心持ちなど私にはわかるはずもない。
ただ、たくさんの小説を読むにつけ、大学生というものは、皆こういう悩みに直面するものなのだと知った。

みんなそんなものを読んで面白いのか。


そうですともたのしいということには反対しませんが、私はもっと遠いものにあこがれて、なにかあたらしいことがおこるのをまちこがれていたのです。
—トーヴェ・ヤンソン 「ムーミンパパの思い出」


 小林との関係はさかのぼるととてつもなく大変なので要約して話す。
奴との友人関係は幼稚園の頃から続き、この大学まで一度も途切れることなく続いた。なぜならば我々は小中高大学と、特に一貫校でもないのに同じ学校に通い続けたからである。大学になってやっとこ私は非生産的な経済学部へ、奴は理学部へと歩を進め、袂を分かつかのような形になった、ただし校舎は隣であった。
 私がぶつくさと大学の講義に文句を垂れ、留年ギリギリの取得単位で二年生に上がった頃、奴は実験用のラットを次々と殺さざるを得ないことに疑問を感じるような繊細な人間であった。私が引きこもる前に最後にした会話では、奴は免疫学から加齢研究に研究室を移り、主な実験が細胞の培養になってしまったためにあまり頻繁にラットで実験できないことを残念に思う、と言うような内容だったと記憶している。長髪に整った顔だちの小林はもはや立派なマッドサイエンティストであった。しかし奴は和菓子を愛好し、早朝にトランペットを吹きならし、焼き肉屋で食事の最中に臓物の色つやからその持ち主である豚の健康状態を気遣ってやまない奴である。我々が長らく良き友人でいることができたのは、飯の最中にそのような話をされても動じない私の懐の広さ、もとい鈍感さと、それ故の奴の友人の少なさもあったと思う。

               

 ガタガタと揺れる、手元の鉄の感覚。鉄板の上に乗せられた私たち。トラックという物質の頑丈さ、堅牢さに感心する。耳元にぶつかっては後ろへ流れ去って行く空気の音が心地よい。道はどんどん田舎道になってゆく。道端の木々がざわざわ揺れ動く。木陰は真っ暗で、空はいくらか明るかった。夜空とはこんなにも明るいものであったか。瞬く星々の下、我々は幻想的な気分になった。しかし、こうも思った。なぜ、我々はトラックにゆられて、黒い木々に縁取られた星空を眺めているのか。

こんなことになったのは、いったいなぜなのか?

               

 人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの。 —寺山修司 「毛皮のマリー」

               

 とかくこの世は生きにくい。とはだれの言葉だったか。
我々のような気弱な人間は、常に力の強いものに引きずられ、どんな無茶な要求に対してもただうなずいて同意しながらそのものの手足となって生きていくしかないのではあるまいか。
ことの発端は先輩の「鶏を一匹、生きてる状態から解体して食べてみたい。」という、ちょっとした思いつきであったらしい。トラックのヘリの方に座っている小柄で華奢な男が教えてくれた。彼とは今夜の面子の中で唯一面識がなかった。柄沢と言う名で、先輩と同じ文学部の学生であると言う。
「医学部の解剖の授業を見学しましてね、それで、裁断された肺やら取り出した肝臓やらを触らせてもらったりしましてね。きれいだったなぁ。肝臓って言うのは、重いんですね。血がいっぱい入ってるからかなぁ」
などと、とりとめのないことを言うこの少年じみた顔の青年は、一年生であるという。先輩を焚き付けたのは、どうやらこの青年らしい。
「肝臓が重いのは多分血抜きしてないからだよ、僕たちが一般に食卓で食べている肉って言うのは基本的に血抜きって言う行程を経てるんだ。ほら、今日もやるだろうけど、鶏は首をへし折ったあとに足から吊るして、首から血を出すでしょ?」
えへへ、と笑いながら、小林の女顔が歪む、こういうことにかけては、こいつに一日の長がある。
「首をへし折るって言うのがいいですね、やってみたいなぁ」
柄沢くんがにこにこ笑って言った。こいつらはきっと仲良くやっていけるだろうな、と思った。
「いざやってみようと思ったら、以外と力が入らないもんだぜ、生きているものを殺すってのは結構すごいことだぞ」
と私が言った。

「いくじなしね」
トラックのガタガタと言う騒音の奥から凛と響く声が聞こえて来た。

「カブトムシだって恐くて触れないんだから、当然かしら」
と続けた。
「そういえばおまえ、昔からカブトムシ苦手だったね」
と、小林が言う。お前らにそんなことを言われる筋合いはない。と思いながら、私はこう言い放った。
「お前ら、もし俺が腹で呼吸をする生き物だったらおっかないだろう

…そういうことだ」

どういうことであろうか。

これが出雲友美との久々の会話であった。

               
 その日先輩は饅頭を食べて満腹になったら帰ってしまった。
「またくるよ。」と一言言い残した。

 再び私一人の世界となったこの部屋で、布団に寝そべり私は世界を股にかける先輩を想像した。人にかまを掛け、法螺を吹き、必要とあればただ語らぬことで人を納得させるあの不思議な話術で外国人と渡り合う先輩を夢想した。なんだか考えれば考えるほどに、不思議な情景だった。私が家から出ずにいた半年間を先輩は日本からもちょいと足を伸ばして出て行ったという。私はああはなれまい、しかし、ああなりたいと思うか、と言われても素直に、はいとは言えぬ。

 時刻は夕刻を回っていた。

 私は一眠りすることにした。なんだかとても疲れた。人と話すというのはとても疲れるものなのだ。かつてはそうは思わなかったかもしれない、しかし、今はそうだ。沸々と浮かぶたわいもない物思いの中にたゆたいながら、私はカーテン越しに床に落ちる、うす赤色の輝きを眺めていた。やがて私の視界はぼやけ、考えるのもおっくうになった。私は私に閉じこもった。

               

 私は迷路の中、くらいくらい道、道は奥へ続き、ぼんやりとした常夜灯の下のような明るさの中、私はただゆっくりと歩いてゆく。こんなにもくらい中、不思議と何かにぶつかったりすることもなく奥へ奥へと進んでゆける。わずかに閉塞感のようなものを感じる。胸が押さえつけられるような。私は夏のようなじめじめと湿った空気に取り囲まれている。夢の中に居るような感覚で、現実感がない、歩調に合わせて視界が揺れているのはわかるが、それも霞がかかったかのようにぼんやりとしたものだ。でも確かに、私は暗がりの中をゆっくりと、前の向かって進んだ。

               

そのときにしか書けないもの、というのは確かにある。そのとき、その状況で、その精神状態で、その年齢だったからこそ書けたものというものはあったはずだ。

               

 トンネルを抜けるとそこはトンネルの向こうであった。
私は先輩の運転する軽トラックの荷台の上でまだ夏になる前の、何とも言えない、暖かくもなければ、肌寒くもない風を浴びている。トラックの荷台には私以外に三人の人間が積載されている。自分が果たして今どのような状況に置かれているのか、全く訳が分からない。三人の内二人は面識があった。
私は顔見知りの二人の中でも、以前仲の良かった小林に声をかけた。
『これはいったいどういうことだ』
トラックの荷台の上をいう話すのに適さない環境下で、自然と声が大きくなる。
「どうしてこんなことになったのか」

「そんなこと僕が知るか」
と小林は大きな声で答えた。
運転席からは先輩の愉快そうな鼻歌が聞こえる。
夜の田舎道のオレンジの街頭が次々と頭上を通り過ぎてゆく。

どうしてこんなことになったのか

               

 なんでそんなことを気にするんだろう。と彼女は思った。
気になることがなぜ悪いことなのか、と私は思った。

当時の彼女の心持ちなど私にはわかるはずもない。
ただ、たくさんの小説を読むにつけ、大学生というものは、皆こういう悩みに直面するものなのだと知った。

みんなそんなものを読んで面白いのか。


そうですともたのしいということには反対しませんが、私はもっと遠いものにあこがれて、なにかあたらしいことがおこるのをまちこがれていたのです。
—トーヴェ・ヤンソン 「ムーミンパパの思い出」


 小林との関係はさかのぼるととてつもなく大変なので要約して話す。
奴との友人関係は幼稚園の頃から続き、この大学まで一度も途切れることなく続いた。なぜならば我々は小中高大学と、特に一貫校でもないのに同じ学校に通い続けたからである。大学になってやっとこ私は非生産的な経済学部へ、奴は理学部へと歩を進め、袂を分かつかのような形になった、ただし校舎は隣であった。
 私がぶつくさと大学の講義に文句を垂れ、留年ギリギリの取得単位で二年生に上がった頃、奴は実験用のラットを次々と殺さざるを得ないことに疑問を感じるような繊細な人間であった。私が引きこもる前に最後にした会話では、奴は免疫学から加齢研究に研究室を移り、主な実験が細胞の培養になってしまったためにあまり頻繁にラットで実験できないことを残念に思う、と言うような内容だったと記憶している。長髪に整った顔だちの小林はもはや立派なマッドサイエンティストであった。しかし奴は和菓子を愛好し、早朝にトランペットを吹きならし、焼き肉屋で食事の最中に臓物の色つやからその持ち主である豚の健康状態を気遣ってやまない奴である。我々が長らく良き友人でいることができたのは、飯の最中にそのような話をされても動じない私の懐の広さ、もとい鈍感さと、それ故の奴の友人の少なさもあったと思う。

               

 ガタガタと揺れる、手元の鉄の感覚。鉄板の上に乗せられた私たち。トラックという物質の頑丈さ、堅牢さに感心する。耳元にぶつかっては後ろへ流れ去って行く空気の音が心地よい。道はどんどん田舎道になってゆく。道端の木々がざわざわ揺れ動く。木陰は真っ暗で、空はいくらか明るかった。夜空とはこんなにも明るいものであったか。瞬く星々の下、我々は幻想的な気分になった。しかし、こうも思った。なぜ、我々はトラックにゆられて、黒い木々に縁取られた星空を眺めているのか。

こんなことになったのは、いったいなぜなのか?

               

 人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの。 —寺山修司 「毛皮のマリー」

               

 とかくこの世は生きにくい。とはだれの言葉だったか。
我々のような気弱な人間は、常に力の強いものに引きずられ、どんな無茶な要求に対してもただうなずいて同意しながらそのものの手足となって生きていくしかないのではあるまいか。
ことの発端は先輩の「鶏を一匹、生きてる状態から解体して食べてみたい。」という、ちょっとした思いつきであったらしい。トラックのヘリの方に座っている小柄で華奢な男が教えてくれた。彼とは今夜の面子の中で唯一面識がなかった。柄沢と言う名で、先輩と同じ文学部の学生であると言う。
「医学部の解剖の授業を見学しましてね、それで、裁断された肺やら取り出した肝臓やらを触らせてもらったりしましてね。きれいだったなぁ。肝臓って言うのは、重いんですね。血がいっぱい入ってるからかなぁ」
などと、とりとめのないことを言うこの少年じみた顔の青年は、一年生であるという。先輩を焚き付けたのは、どうやらこの青年らしい。
「肝臓が重いのは多分血抜きしてないからだよ、僕たちが一般に食卓で食べている肉って言うのは基本的に血抜きって言う行程を経てるんだ。ほら、今日もやるだろうけど、鶏は首をへし折ったあとに足から吊るして、首から血を出すでしょ?」
えへへ、と笑いながら、小林の女顔が歪む、こういうことにかけては、こいつに一日の長がある。
「首をへし折るって言うのがいいですね、やってみたいなぁ」
柄沢くんがにこにこ笑って言った。こいつらはきっと仲良くやっていけるだろうな、と思った。
「いざやってみようと思ったら、以外と力が入らないもんだぜ、生きているものを殺すってのは結構すごいことだぞ」
と私が言った。

「いくじなしね」
トラックのガタガタと言う騒音の奥から凛と響く声が聞こえて来た。

「カブトムシだって恐くて触れないんだから、当然かしら」
と続けた。
「そういえばおまえ、昔からカブトムシ苦手だったね」
と、小林が言う。お前らにそんなことを言われる筋合いはない。と思いながら、私はこう言い放った。
「お前ら、もし俺が腹で呼吸をする生き物だったらおっかないだろう…そういうことだ」

どういうことであろうか。

これが出雲友美との久々の会話であった。