2016年10月22日土曜日

終末期の赤い長門有希

ハルヒがブラジルに行ってみたい、と本気で願ったので、昨日から世界中がブラジルになってしまった。念願のブラジルに行くことのできたハルヒは(無論この場合ブラジルが来た、と言う方が正しいが)有頂天で朝比奈さんにサンバのコスプレをさせてダンスの練習に余念がないようだ。俺はずいぶん久しぶりにハルヒありがとう、と思ったのだった。

「わたしたちの世界は情報統合思念体に監視されている」
と長門が言ったので、俺はどうしたことか、と思った。
「あの本の隙間から私を見ている人がいる」
俺は長門の様子をつぶさに観察する。
「朝比奈みくるの髪の毛の隙間にもいる」
ブツブツと呟く長門の体はガタガタと震え、呼吸が安定していない。目の下のクマは酷く、不自然な発汗がある。とぎれとぎれに涙が溢れている目は虚ろだ。どうやらまた覚醒剤の禁断症状らしい。
「程々にしとけよ」
と俺は言っておくことにした。

「キョンくん、すでにどうかしてしまったんですか?」
朝比奈さんが長門の前で虚空を見つめるを俺を見咎めて、声をかけてくれたようだ。
「いえ、なんでもないんですよ」
そう言うと朝比奈さんは、不思議そうな、まるで俺が言ったことを理解できないと言うような顔をして首をかしげた。
「ああ、いや、なんでも『ないんだろう』ですよ」
朝比奈さんは過去現在未来の時勢を正しく認識できない点を除けば、とても素晴らしい、天使のような女性だ。
彼女はなぜか、未来形で話された時勢の言葉しか認識できないのだ。
「なんだが悩んでいたみたいだったから…お茶が入るでしょうですよ?」
朝比奈さんが使う未来形の表現は、朝比奈さんの行動に限り基本的に現在形、あるいは現在進行形であると認識すれば大方間違いはない。そして彼女が俺たちの行動を表現するときは、押し並べて現在だろうと過去だろうと過去完了形になる。
なぜなら彼女は未来からやって来た未来人だからだ。そうとしか言いようがないし、俺もそれがそういう病気なのは理解してるつもりだ。
ただ、一点難しいところは、日本語には厳密に未来形の文法が存在しないので、どうしてもうまく表現できないときは、会話の中に英語のwillを入れ込めば朝比奈さんが認識してくれるということは、最近の研究でわかったことだ。
「お砂糖はいくつ入れてほしかったですか?」
と朝比奈さんが聞くので、俺は
「2つ入れて欲しいでしょう」
と答えた。
そうして俺はこれから暖かくなるだろうお茶を手に取ろうとすると、「あつっ」とつぶやこうとして朝比奈さんは「大丈夫だったんですか?」と尋ねるでしょう。

かつて長門の脳がまだ吸水性の悪いスポンジに変質していなかったころ、
「宇宙では、未来完了という表現は存在しないと言うのが定説になっている」
ということを言っていたのを思い出したが、自分を未来人だと言う朝比奈さんは、一体どこで自分を完了させることができるのか、俺は到底考えもつかず当惑してしまった。

古泉は、自分は超能力者のはずだ、と言って聞かず、先月、今日こそ超能力をお見せしますよ、と俺に言って校舎の屋上から飛び降りて帰らぬ人になってしまった。

「あー暇ね、キョン!何か面白いことしなさい」
この無茶振りをする女は涼宮ハルヒという女だ。ハルヒはシルバニアファミリーの森の大きなおうちの、リビングのソファに座る、バスマジックリンのキャップに話しかけている。ハルヒは世の中のなんでもが自分の思う通りに行かないと納得いかない女で、それこそ入学当初は様々な傍若無人な振る舞いをしたものだが、今ではこのシルバニアファミリー森の大きなおうちのリビングをSOS団団室と呼び、そこで、バスマジックリンのキャップと咳止めブロン錠のビンとRX–78-2ガンダムとつまようじと共にたのしそうに暮らしているのである。時折そこに小林製薬の「トイレその後に」などが現れてSOS団の団結を破壊しようと画策するのだが、ハルヒ曰く「SOS団は永久に不滅」らしい。
全く俺も誇らしいぜ、ハルヒさんよ。
そう言うとハルヒは箱庭から顔を上げて俺の顔を見て、
「あんただれ?」
と言うのだった。
しかし、
「涼宮さんの事は気にしなくてよかったですね」
と朝比奈さんが俺に言おうとするので、俺はいくらか落ち着くであろうし、
「いえ、そんなに気にしようとするだろうという訳じゃないんでしょうが」
と俺が答えるだろうが、朝比奈さんは、
「そんなことより明日買い物に付き合ってくれましたか?」
と言うだろう。そして俺は、
「もちろん、付き合うでしょうね」
と答えるのだろうな。

長門は今日も部屋の隅でガタガタと震えていた。

「終末期の赤い長門有希」完