でも、いささか、見るに堪えない。
—森見登美彦「四畳半神話大系」
男がただ一人悶々と悩んでいる、これはなかなか絵にならぬ、しかも理由がメールの返事が来ないから、などと言う女々しき理由ではまったく様にならん。男はどんと、もっと大きなことで悩むべきである、具体的には世界平和とか、あと世界金融情勢とか。
私がベルリンで生活を初めて、早くも3週間を過ぎようとしている。今借りている家は来週には出なければいけないので、次に住む家が見つからねば宿無しである。いろいろな所にメールを送って見ているがなかなか決まらぬ、しかも送ったメールに関して英語の分かるものに聞いてみた所、之では失礼に当たる、返事が来ぬのも当たり前、等と言われたからには私のセンチメンタルな、それこそ水に浸けて7時間の経過したでろでろのポッキーよりも脆い私のメンタル(重複表現)は、甚大なダメージを被った訳である。この世に無知によって行われる無礼や過ち以上にあってはならぬことがあろうか。いや、なくはないだろうが、これはなかなか据わりの悪い、居心地の悪いことである。しかもいわんや言い訳もなかなかうまく英語で出来ぬので困ったものである。
とりあえずもっとダイレクトに自分がどうしたいかをメールで送れ、とアドバイスを受け、「明日暇でしょうか、出来ればお会いして家のことなど細かくお話ししたく存じ上げます」等と言う内容のメールを送るも、明日はちょっと急きすぎではあるまいか、などと送ってから後悔する始末。恋愛相談じゃないんだからさぁ。
しかし何より面倒なのは現在借りている家でインターネットが使えないと言うことである。これは何とも面倒で、腹立たしい。腹立たしいが今借りている相手も私の通う先の大学生であるので、わざわざ文句をつけて悶着を起こすのも面倒だ、波風を起こさず、唯唯その隙間を飄々と生きたい、と言う私の信条に反する。そうして飄々と生きるのを望むが内に、徐々に伸されて乾燥し、スルメのような薄っぺらな人間になることであろう。しかし諸君、よく噛んでみてくれたまえ、スルメとは如何に深く、深遠な味(重複表現)のすることか。いや、私の腕は噛まないでくれたまえ。
と言う訳で最近はもっぱら大学のパソコン室へ忍び込んで(正規の利用方法は知らぬのでドアが開いてる時に勝手に入って居座っている。)インターネットをしている。何事もやってやれ、である、怒られてから考えよう。それに怒られたとしても、どうせドイツ語はわからぬ。
こう僕はこちらに来てから、やたらと「different」と言う単語を使う。本当に何もかもがディッファレントである。外人と言うのは理解しがたい所があって、しかも私の今まで生きてきた世界で通用してきた常識が通じないようである。
私はかつて留学を希望した理由を述べよと言われた時に「肌の色も違う、主義主張も異なり、そして何より私の通じない言語でもって私から見えない所で文化を形成している外国と言うものを一度この目で見てみたい」という旨のことを言ったように思う。
本当にあったので驚きである、外国。
いや、むしろこれは私がわざわざ飛行機に乗って遠くヨーロッパまで観測に来たからこそ生じたのやも知れぬ。北京で蝶が舞うと、どっかでハリケーンだか黒死病だかが起こるという(北京に生息する蝶の数を考えればいまだ世界が滅亡していないのは不思議である。)が、私が飛行機に乗るとヨーロッパが産まれる訳である。神は22年と9ヶ月目にヨーロッパをお作りになった。
そう思えば世界はなんと簡単なることかな、私が眠れば世界は死ぬのである。
いや、寝るな!この寒さの中寝たら死ぬぞ!
かくてベルリンとは何だか兎角寒い地域である。それにしてはここの人たち、ランニング一枚だったりTシャツにちょっとしたパーカーでうろうろしたりしているので、たぶん違う人種なんだろうなと思う。そうだ、違う人種だった。
駅や道ばたには浮浪者、物乞いが驚くほど多く、電車では一駅ごとに車両に物乞いが入ってきてはコーヒーの紙コップに施しを、と言って回ったり、楽器を演奏したり、演奏したあと紙コップを持って回って施しを求めたり、声高に何やら政治的なことかな、いや、政治的なことじゃないかも知れないけど、私はドイツ語はさっぱりなので、もはやそれは単に騒々しい雑音なのだが、演説して回り、演説しながら紙コップを持って施しを求めたりしている。私は日本人的な高潔さ、施しをあたうることは罪悪である、という何だか偏った価値観でもって、未だ一度も施しを与えたことは無い。私が欲しいくらいである。
いや、それでもまだ、夜道で絡んでくるアラブ人や、スキンヘッドの白人よりはましである、治安が良い悪いの問題じゃない、ここの人間は他人に関わりすぎなのだ、私は出来ればあまり人とは関わりたくない、相手に親切にされればされるほど、私の不勉強によって相手を煩わせてしまっているのではあるまいか、と思ってしまうのである。英語が不出来であるが故に、相手を困らせてしまう、しかも善意で接してきてくれていた人間も、途中でじれったくなってイライラし出す、ならはじめからほっておいてくれたまえよ。
誰も僕を知らず、僕の方でも誰も知らない所でありさえしたら、とはよく言ったものである。こんなに住みにくい所は他に存在しないだろう。より住みにくい所があるとしたら、それは推そらく誰もいない所である。
…いや感謝していない訳ではないのだ、ただ私の不勉強故、勉強勉強また勉強である。
ああ、望郷に咽ぶこと頻り、そろそろ書くこともつきたのでこのあたりで切り上げるとする、もしここまで読んでいただけた殊勝な読者が居たのであればここでお礼申し上げる。あとは感想を書簡に書いてヨーロッパまで送ってくれたまえ。エアメールは高く付くがよろしく頼んだよ。