2017年12月13日水曜日

愛はさだめ、長門有希は死

 朝倉がカナダからお土産として持ち帰った200万バレルのメープルシロップによって発生した洪水で北高が崩壊し、ハルヒが糖尿病になって死んでから2年ほどの月日が流れたが、今日もいつもと変わることなく、俺たちは文芸部室に集まり、そこかしこの床や壁の木材にほんのり残るメープルシロップの甘い香りを嗅いでは軽い頭痛を憶えるのだった。

 ところで読者諸氏は「マリオテニス64」をご存知であろうか、この話をするためには膨大な前提知識の話をしなければならないのであるが、まず、ドンキーコング、というキャラクターは三代にわたって続いている、ということをご承知おきいただかねばなるまい。
 俺たちの世代だとドンキーコングと言われて一番に思いつくのはスーパーファミコンの「スーパードンキーコング」に出て来たドンキーコングその人であると思うが、実はこいつは初代のドンキーコングではない。
 初代ドンキーコングは、その俺たちがドンキーコングだと思っているゴリラを杖でぶっ叩いて叱ったりするクランキーコングの方である。厳密にいうと「スーパードンキーコング」におけるドンキーコングは、初代ドンキーであるクランキーの孫なのだ。
 なるほどガッテン、と思っていただけたかもしれないのだが、ここからさらに話が一段と複雑になるので覚悟して聞いていただきたい。
 孫というからには、クランキーコングの子供の子供、ということになる、孫ドンキーは一般には2代目ドンキーコングと呼ばれているのであるが、このわかりやすくジョジョで例えるならジョナサン・ジョースターの孫のジョセフ・ジョースターの父親に当たるジョージ・ジョースターのポジション、ここにはドンキーコングJrというキャラクターがいるのである。本来ならこいつが2代目な気がするのだが、一般には孫コングの方が2代目と呼ばれている。
 さて、ここまで理解していただいたのであればやっと本題に入れるというものである。「マリオテニス64」俺は最初にこのゲームの名前を言ったと思うがこのゲームはなんと、この、子ドンキーコングjrと孫ドンキーコングが共演する非常に珍しい作品なのだ。それだけ聞くと、家族のほのぼのとした団欒のワンシーンをご想像の方もいるかと思うのだが、なんとドンキーコングJr、ファミコンゲーム登場時の子供の姿で登場してしまうのである。
というわけで、孫ドンキーは明らかに自分よりも年齢の低い父と共演することに相成ってしまうわけなのであるが…
 やはりそれはハルヒが時間平面破壊爆弾で世界のいたるところに時間断層を引き起こし、東京で江戸幕府と警視庁の内戦が起きたり、中国が三国志の英雄たちによって地域ごとに蜂起し中国共産党と内戦状態に入ったり、チェ・ゲバラがカストロと再会して共産主義革命の世界的拡大を宣言したり、リシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシーによってユグノーが弾圧されたり、未来人が光線銃で恐竜と格闘していることと大きな関係があるのだろう。

全く、ドンキーコングもとんだとばっちりを受けたもんだ。


「愛はさだめ、長門有希は死」完

2017年12月11日月曜日

デューン 長門有希の惑星

人類と宇宙人とのファーストコンタクトは、「野球をしたいから校庭を貸して欲しい」という、近所の草野球チームの陳情のような形でやってきた。
朝倉涼子という宇宙人の投げた外角低めのフォークボールを受け、長門有希という宇宙人の放ったホームランボールによって、北高の校舎は跡形もなく消失し、涼宮ハルヒという人物もまた、この時にボールと空気の摩擦によって発生した5の28乗ギガジュールの熱によって跡形もなく蒸発してしまったのであるが、季節はずれの風邪で寝込んでいた俺にとってそれは、後で聞いた話になる。谷口は「仰天動地だ…」と言っていた。

その宇宙人は「人間が死ぬ」ということに大変な不思議を感じた。なぜならば、本質的に時間的存在ではない情報統合思念体という概念である宇宙人たちにとって、時間とともに常に死んでいきつつある人類という物質的な種そのものが理解できなかったからだ。
進化にまつわる進歩的な情報を遺伝子のみではなくミームとして外部に依存するということも、情報そのものの集積体として生きる情報統合思念体には理解できないことだった。少なからず、人間という生き物は、死ぬ、ということによって消失するらしい、ということは理解できるのだが、この、消失する、という性質が情報統合思念体にはうまく理解できなかった。
物質は、例えば原子レベルで言えば物質の総量は変化していないのにもかかわらず、血流が止まるであるとか、それによって細胞への酸素供給が不足して分子構造が変化するとか、そういうことによって、人間は死んだり生きたりするらしい、ということに大変不思議を感じていた。

あわよくば、自分自身も「死んでみたい」と願ったのかもしれない。
そして宇宙人たちは、自分自身の血の流れを止めて、みんな死んでしまった。

その時、古泉には富士山という概念に成り果て、もはや自我というものが存在していなかった。そこにあるのはまごうことなく富士山であった。富士山が人間として存在しているという矛盾は、古泉の常識的な精神を次第に蝕んでいき、ついには富士山を演じる古泉は、中途千代の富士などを経由するなどの回り道はあったものの、古泉を演ずる富士山となり、最終的には富士山そのものとなったのだ。日本に富士山が二つある、という大きな問題が依然としてそこに横たわっているわけではあるのだが、これは観測者が人工知能になることで解決する。つまり数学の探索アルゴリズムにおける局所的山登り法を用いて、日本で一番高い山である富士山を探すために現在地よりも高い位置へ移動し続けることによって、たどり着いた頂点を富士山だと仮定する方法である。局所解は大局解から見ると大きな誤り含んでいることが明確であったりするのであるが、この方法によって導き出された富士山は、観測者にとって常に一つである。だから、富士山が二つあっても、富士山は常に一つしか観測されないのだ。

「デューン 長門有希の惑星」完

2017年12月10日日曜日

憂鬱な遺伝子を長門有希につけて

「“人間は根源的に時間的存在である”って言葉を知ってますか?」
ハイデッカーだか何とかと言うドイツ人が言った言葉である、と言うのは何となく知っていたが、なぜその時朝比奈さん(大)が今そのようなことを言ったのかは理解できなかった。
「私たちの存在は基本的に時間と言うものの流れから外れることはできません。例えば、私とキョンくんが長門さんの家で三年間時間凍結されていた時がありましたよね。世界では三年の時間が経っていたのに私たちはあの三年を知覚できませんでした。一瞬で三年が経過した、と、そう感じたはずです」
確かにあの時の三年を知覚出来ていたとしたら俺は朝比奈さんと同じ部屋で三年を過ごしていた訳で、朝比奈さんのようなエンジェルと二人きり同じ部屋で過ごすと言う夢のような生活を知覚できていなかったのだとしたら、俺はナイアガラのごとく滂沱の悔し涙を流すことだろう。
「私たちの主観で考えてみてください、私たちは存在しているのに私たちが世界を観測できたのは時間が凍結されてない間だけ、つまり、時間のない世界では私たちは存在していなかったのかもしれない」
それはシュレディンガーの猫であるとか、エヴェレットの多世界解釈であるとか、そう言う話のような気もするのだが、難しい話はあとで長門に聞いてみるとしよう。
「私たちは基本的に時間というものと共に存在しています。でもそうじゃない存在が、私たちの知る身近な人の中にいるはずです」
そこまで言われて俺はピンと来た、随分昔のことになるが、長門が情報統合思念体について話していたことを思い出したのだ。
「情報統合思念体は、時間的存在じゃない…?」
俺が疑問の声をあげると、朝比奈さんは小さくうなづいた。
「情報統合思念体は、時間の外側にいる存在なんです。もっとも、TFEI、つまり長門さんたちのような存在は、情報統合思念体が私たちにアクセスするための手段として、時間的存在にならざるを得なかった所があります。それが、長門さんが感情を持ったことの一つの原因なんじゃないかと私は考えています」
生物の感情というものは人間の自由意志であるとか、脳細胞のシナプスの接続経路とか、そういうものではなく「時間」に由来するものであるではないか、という朝比奈さんの仮説は一定の信頼を置けるような気がした。

 人間は物事を常に時間を付随して観測せざるを得ない。仮に一秒間に正三角形の線の上を1cm進む点Pが頂点Aから時計回りに出発して5秒後にどこにいるか、という問題を考える時に、いや、今ここで三角形の一辺の長さを定義していないことに関してのツッコミは置いておくとして、5秒後という「瞬間」に時間が存在していないか、というと、それは誤りなのだ。断続的に続く時間の一点を写真のように切り抜いたとしても、写真がシャッター速度によって定められた露光時間の光の反射の記録であるのと同じように、「今、その時」という一瞬も時間とともにあることは変わらないのだ。
 人は、常に時間とともに歩む、そして過ぎ去った過去が二度と戻らないものであり、これからくる未来というものが予測不可能なものだからこそ、人は悲しみ、喜び、不安に怯えるのだ。
 情報統合思念体にとって時間というものは過去未来現在全て同時に訪れるものなのだ。長門だって異時間同位体と常に同期していた時は、まさにそうだったのだろう。
つまり、長門は。宇宙開闢から宇宙の終わりまで、もっと言えば長嶋監督の国民栄誉賞の受賞や、誰も予想すらしなかったニューヨークメッツの優勝や、人類の滅亡や、俺と図書館に行ったことや、ドラクエⅢの発売日の大行列や、国鉄民営化と郵政民営化を同時に経験している訳である。3歳児なのに。

 人間、つまり時間的存在にとって、観測も行動も、全ては時間と共に存在するものである。つまり、死とは、人間が時間的存在という制約から解放されて、その人の生きた期間、という時間にとどまることなのではないだろうか。
だとすれば、死とは、人間を時間という枷から解き放つための唯一の道なのではあるまいか。
 死、その時から、観測者にとって時間の概念は消失する。古代エジプトの神官は、これを肉体と霊魂の分離と考えたが、それがそもそも間違いなのではあるまいか。
霊魂が戻って来るために肉体を保存する、という行為そのものが、時間という概念に縛られる愚かしい行為だ。

死とは、救いであり、救済なのだ。

 なぜ、俺は死というものを恐れていたんだろう、今、考えてみれば、死とは時間という人間を縛る檻から解放する唯一の手段なのだ。
死こそが、俺たちが目指すべき、神へと至る道なのだ。

「憂鬱な遺伝子を長門有希につけて」完


2017年12月2日土曜日

二十世紀の長門有希

涼宮ハルヒはこの世界に存在していない。
俺はなんだか気を使われているような、ギクシャクした会話を谷口や国木田としながら、自分の後ろの席の机に置かれた花瓶に刺された花が窓から吹き込む風に揺れるのをいやでも意識せざるを得なかった。

という訳で、ハルヒは先日不意のトラック事故で異世界に転生してしまい、この世界にはいないのであるが、俺たちにとっては今日も今日とていつも通りの日常が過ぎていくというのは、至極当然のことであった。

古泉は盤面が真っ白に染まったオセロを前に長考の姿勢であるが、もはや俺の勝ちは確定したようなものである。朝比奈さんは2036年から第三次世界大戦を阻止するために現代にやってきたのであるが、ハルヒの存在が消えたことによってミッションを達成し、未来人としての役割を終え、未来へ帰ってしまった。古泉は機関としての仕事がなくなり、これ迄自身にのしかかっていた超能力者としての重荷をおろして、学生としての生活を謳歌している。後で聞いた話になるのだが、古泉は機関のいざこざで学校に潜入したエージェントであり、実は26歳であるということを聞いて随分と驚いたものである。古泉自身、閉鎖空間での神人への対応でまともな学生生活も送れておらず、遅くもやってきた青春を謳歌しているという訳だ。全く、ハルヒが周りにどれだけ迷惑をかけていたかが如実に現れた話であろう。

情報統合思念体はハルヒの消失によって自立進化の可能性が断たれてしまったとして、ハルヒを観測するために派遣されていた長門の立場は大変危ういものになってしまったのであるが、長門自身に生まれた感情というものに新たな可能性を見出し、長門は継続して高校に通うこととなった訳である。

「しかし古泉、俺はてっきり、お前のボードゲームの弱さは一種の演技だと思っていたんだが…」
古泉は白一色に染まったオセロの盤面に目を落として難しそうな顔をしている。
「いえ、どうも、人と競うというのが苦手でして…」
古泉は恐らく、人を蹴落とすというような行為がすべからく苦手なのだろう。人間は一種の苦手意識によって無意識に自分自身の行動に制約をかけてしまったりするものであるが、恐らく古泉のボードゲームの弱さもそれに由来するのだろう。でなければこれだけ頭の良い奴が万年成績中の下の俺よりも弱いはずがないのだ。

長門は隅の椅子で「究極超人あ〜る」を読んでいる。長門の本の趣味は随分と幅広くなってきており、最近は漫画から何から種類を選ばない。しかし、読む本読む本、基本的にアンドロイドものなのはどういうことであろうか。アンドロイドとして暮らしていく処世術のようなものを学ぼうとしているのかもしれない。もしかしたら近いうちに、自分から電源をとって炊飯器でご飯を炊き出すかもしれないな。

ともあれ、ハルヒと朝比奈さんが抜けて若干の寂しさはあるものの、平穏な日々というものは大きな安らぎを俺たちに与えていたのだった。

しかしその平穏も、部室に突っ込んできた一台のデロリアンによって長門に情報連結を解除された朝倉よりも粉々に破壊されることになる。

「キョンくん!今すぐ未来へきてください!」
デロリアンから飛び出してきた朝比奈さんは慌てた様子でそう言った。
「未来のキョンくんたちが大変なんです!」

朝比奈さんに連れられて、古泉、長門、そしてあまり役に立たない俺というメンバーで向かった未来を、俺たちはデロリアンの車窓から眺める未来は、まさしくディストピアと言って然るべき状況であった。

SOS団のマークを腕章につけた軍人の様な出で立ちの集団が街を闊歩し、人々はその姿に怯え、街と呼んでもいいかどうか判断に困る様な荒廃した家の並びにひっそりと息を殺して暮らしている。
「異世界に転生した涼宮さんが願望実現能力で世界を繋ぐ大穴を開けてこの未来では異世界との大戦争が起こったんです」
朝比奈さん曰く、この世界の人口はもはや戦争前の一割にも満たず、そこかしこで大規模な虐殺や異世界から持ち込まれた病原菌による対処不可能な疫病によってその残り少ない人類ですらもはや絶滅の危機に瀕しているという。ハルヒ、いつかやると思ってたが、ここまでとは…

そこからの描写はめんどくさいので色々省くが、長門が宇宙人パワーでハルヒを100グラム127円の合い挽きのひき肉よりも細かいミンチにし、情報改変能力によって全てをなかったことにして、朝比奈さんの能力によってまた俺たちは現代に帰ってきたのだった。

古泉は何の役にも立たなかった。

「二十世紀の長門有希」完