2018年1月28日日曜日

「普通の長門有希」として存在したくないあなたへ。

 3歳になって「イヤイヤ期」を卒業した長門は、現在では俗にいう「なんで?どうして?期」に差し掛かり、情報統合思念体によって生み出されたことにより持って生まれた博識を携えた上で古泉を質問責めにし、古泉が開示した情報に不備があれば質疑応答でそこを執拗に追求するということを繰り返していた結果、古泉は胃潰瘍をこじらせて全ての内臓を胃酸で融解させてしまったのであるが、そんな時ハルヒはというと、3ヶ月ほど前に「本当に日本の裏側にブラジルがあるのか確かめるわよ!」と言い出して、今日も校庭のど真ん中をシャベルで掘り続けている。いずれマントルにぶち当たってドロドロに融解することだろう。朝比奈さんはPTSD(だったと思う)と呼ばれるタイムマシン概念を応用して事象の地平面へ到達し、5次元の存在となって、本棚を通じてモールス信号で俺たちと交信を行なっている。俺としてはあの朝比奈さんの愛らしいお姿をもはや見ることが叶わない、という事実に若干打ちのめされたものの、5次元の存在となった朝比奈さんは時間、空間を超えてどこにでも偏在し、また歳をとることもない、という説明を長門から聞いた時には、永遠に美しいマイスイートエンジェルの姿を想像して幾分か気分を紛らわせることができた。

 実質メンバーが3人欠けてしまっているような状況であるので、最近のSOS団の活動はもっぱら長門と二人で図書館に行くことである。長門はここ20年間に発刊された電話帳を何度も何度も読み返し、各年度版における違いを発見しては喜んでいるようであるが、俺としてはもう少し健全な楽しみを見出してもらいたい。しかし俺たちSOS団と出会う前の長門は、3年間自分の部屋で正座をしたままじっと待機していたそうであるので、その頃に比べれば幾分かましになったと思いたい。ちなみに待機状態が終わり立ち上がろうとした長門の足を襲った三年分の足の痺れは1.21ジゴワットに達し、そのエネルギーによって三年前にタイムトラベルをしてしまった長門はそれからさらに3年間正座をし続けたという話である。正座をしても痺れない強靭な足を手に入れるまでにおよそ624年ほどこの工程を繰り返したという。実際過去の長門の家に行った時は、部屋が凄まじい数の長門ですし詰め状態になっており、俺と朝比奈さんは部屋に入るにすらずいぶんと苦労した記憶がある。そんなに長門がいっぱいいたら、今世界は長門で溢れて困ったことになっているのではない、とも思うが、長門曰く、「サマータイムマシン・ブルース」理論とやらで問題ないらしいのである。実際に問題なかったので、問題ないのだろう。

 夕暮れまで長門は黙々と本を読んで、俺はというと長門の横に突っ伏して惰眠を貪っていたわけである。季節は冬だが、先日ハルヒが掘り当てた溶岩脈が破裂し、そこかしこに温泉や溶岩が湧いているので、街はいつもの冬よりもずいぶん暖かかった。それはそうと、ハルヒが親指を立てながらマグマの中に沈んでいくのを俺は偶然目撃してしまったのであるが、あいつのことだからそのうちひょっこりマグマ怪人として復活を果たすだろう。長門が図書カードを活用して電話帳を借りようとしているが、電話帳は新聞などと同じく貸し出し不可の資料扱いらしく図書館司書とずいぶん揉めていた。結果は、開始3分サミングからの連続ボディーブローによる昏倒、マウントをとった長門による顔面への乱打中にセコンドの俺と通報で到着した警察によって制止され、判定によってテクニカルノック・アウト勝ちとなった。

 長門がしばらく刑務所で過ごすことになったので、長門のいない部室はなんだかがらんとしてしまった。でも、すぐになれると思う。だから心配するなよ、長門…。

「長門有希の新しい心」完

2018年1月27日土曜日

限りなく長門有希に近いブルー

「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた。私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった」 −ユーリイ・ガガーリン

ガリレオ・ガリレイは「地球は青かった」と言ったという。当時の学術界、宗教界は彼の論を否定し、彼は島流しの憂き目に逢うわけであるが、その際に見た海の青さを見て「それでも地球は青かった」と言ったのだという。それからおよそ300年後に、人類初の有人宇宙飛行に成功したユーリイ・ガガーリンは「地球は動いている」と言って当時天動説が主流であった天文学会を大いに震撼させたのだった。
 そして、天才バカボンのエンディングテーマでは「その日は朝から夜だった」と言ったのであるが、これは本筋に全く関わることがないので、この際、脇によけておく。ガリレオ・ガリレイは一説によれば「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた。私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった」と言ったとも云われるが、どちらにせよ、当時の教会がこの言葉に激怒するのは火を見るよりも明らかであろう。

 ハルヒが、このガリレオの逸話を何かの本で読んでガリレオに哀れんだのか、それからというもの地球上にすべてのものは、人間の皮膚に至るまで青色になってしまったのであるが、元々青かった朝倉と、元々宇宙に存在した超知性を持った青色は依然青いままであった。
 しかし、これによって信号機の色はすべて青になり、青は「進め」、青は「気をつけて進め」、青は「止まれ」という非常に難解なものになってしまった。それによって発生した交通事故によって世界中の輸送機能が麻痺し、寒冷地などではすでに100万人以上の死者が出ているという。また、世界中が青一色に染め上げられてしまったせいで、レーザープリンターのトナー切れランプが青色になってしまい、トナー切れにとても気づきにくい、という問題なども発生していた。それによって1000万人以上の死者が出たという。
 古泉が尊い犠牲になったのも、このレーザープリンターのトナー切れによるものであったというのは、後で聞いた話になる。

 鯖の鱗も真っ青になってしまったため、鱗を見て鯖の鮮度を判断することができず、7万人の寿司職人が失職の憂き目に会い、白物家電は青物家電になり、桃色吐息も青色吐息になり、青色吐息は青色吐息になった。ピンク動画はブルーフィルムになり、特に意味合いは変わらなかった。

 「青は藍より出でて藍より青し」ということわざも、今回の騒動によって「青は青より出でて青より青し」ということわざになり、もはやなんの意味もなさない言葉となり、「朱に交われば赤くなる」ということわざに関しては、常々、「朱」と「赤」は、色鉛筆に「しゅいろ」と「あかいろ」が別々にあるのだから、違う色なのでは?と思っていたのであるが、晴れて「青に交われば青くなる」ということわざになり、俺の疑問は解消したわけである。

 かくして世界は青くなり、共産主義の脅威は世界から消え失せた。しかしガリレオを島流しに追いやった宗教を許すわけにはいかない。こうして、俺たちSOS団のメンバーは、地球上に存在する宗教の全てを根絶するために、旅立ったのだった。それが薄汚いアカどもの歩んだ道と同じ道であったとしても、俺たちは、ガリレオ・ガリレイの無念を忘れることはないだろう。
「Поехали!」俺たちは鬨の声をあげ、この世に存在するすべての宗教に、宣戦布告をしたのであった。

「限りなく長門有希に近いブルー」完


世界の終りとハードボイルド・長門有希ランド

終末時計が0時2分前である、とテレビのニュースでやっていた。「終末時計」がどう言うものかと言うと、その時計の針が業界用語で言うところの「テッペンをこえる」と、世界に終末が訪れると言われている伝説のオーパーツである。かつてはソビエト社会主義人民共和連邦の総書記とアメリカ合衆国大統領が凌ぎを削ってこの時計を手に入れようとしていたと言う噂がまことしやかに囁かれていた。そして厄災をもたらす「終末時計」は、かのインディアナ・ジョーンズの活躍によって冷戦の終わりとともに永久に葬られたと聞いていたが、どうやらアカ狩りを逃れた共産主義勢力の暗躍によって再び現代に甦ったらしい。

などと長々と語り口上を述べたが、この様な事例が発生した場合、10中108、109はハルヒが原因であることは言うまでもない。先日108つの不思議が集まる時「失われし聖櫃(アーク)」の力によって、再びヒトラーが復活し、共産主義勢力を地上から殲滅するという伝承が古代アッシリアの碑文から発見されたらしいのであるが、今回の件とどの様な関係があるのかは一切不明である。

長門は、来るべきの終末に備えて、キャンプ用のコンロや、寝袋、非常用の水、テントなどの準備に余念がなかった。

何しろ、あと2分で世界の終末がやってくるというのだから、急いで準備するに越したことはないだろう。

そして、ニュースのきっかり120秒後に、世界は終末を迎え、俺たちと共にこの世界の全てはまるで書籍の余白のように、真っ白に塗りつぶされて消えてしまったのだった。

「世界の終りとハードボイルド・長門有希ランド」完

2018年1月25日木曜日

クルツィウスとメディア考古学とトポスと部屋とワイシャツとポプテピピックとデビルマンと覚書

 ・メディア考古学における「トポス」概念

エルキ・フータモはメディア考古学において、クルツィウスの「トポス」概念を援用するが[フータモ,2015]、ここにおける、トポスとはどのようなものであるか。

 クルツィウスの言う「トポス」というのは、ぼんやり理解しようとすると、コンテクスト、であるとか、オマージュであるとか、これは少しニュアンスが離れるが、パスティーシュであるとか、そういう考え方に近いもののように理解できる。
これはより厳格なアリストテレスの「トポス論」と比較すると、幾分かフランクな理解であるように思う。

 そもそもフータモも自著において言及する通り、クルツィウスは「ヨーロッパ文学とラテン中世」において、文学と美術を大きな隔たりのあるものとして考えており、文学は思想を担うのにたいし美術は思想を担わない[クルツィウス,1971]とまで言い切っている。
この限定的な論をメディア“アート”に接続することには、幾分かの疑問が残るが、この話に関しては、フータモの「メディア考古学」第二章に詳細に記されているのでここではこの程度で終わるものとする。

 クルツィウスの“トポス概念”というのは、表現というものには一種の作法、というか、文法(言語学的なニュアンスではない)のようなものがあって、それは表現における決まりごととして度々文章の中に現れる、と言ったような考え方と言えるかもしれない。
例えば、クルツィウスは「知識を所有した場合、これを他人に告げる義務がある」という表現をトポスと捉え、この現代ではプログラミングにおけるオープンソースで提唱されるような思想はテオグニス、ホラティウス、セネカなどの文章、また聖書の「隠された知識、埋められた宝は、何の役に立とうか」という記述まで遡りうることを指摘している。

 フータモの論考では、この記述されたものにおけるトポスを、例えば広告のイラストレーションや、映像にまで応用可能であることを指摘している。フータモが提示した様々な例は、“考古学的”な検証によって視覚表現という言語によらない表現がどのようなトポスによって構成されているかという豊かな事例を示している。
 フータモの言うメディアの考古学的視点とはつまり、メディア表現におけるこのトポスの参照事例との接続と捉えることができる。詩、文学と同じく、視覚メディア、あるいはスターンの論考するような聴覚メディアにおいても[スターン,2015]、この“トポス概念”は応用可能なものであることを示すとともに、それらの現れは、表現と、そしてハードウェアの考古学として体系化できることを示していると言えるだろう。

 フータモはこのトポスの形成が、必ずしも太古の、すなわちクルツィウスの言うようなラテン中世にまで遡る必要はなく、より近い時代においても起こりうることを指摘している。スターンは音響再生機器の歴史を紐解きながら、人類がその歴史において、聴くという行為をどのように変遷させてきたかを論じたが、これもまた、いうなればハードウェアの考古学であると共に、聴覚文化というものが、どのように“聴く”という行為の中でトポスを形成してきたかを示していると言い換えることもできるだろう。

 ・メディアの異なる用いられ方
フータモはメディア考古学においてフーコーの「知の考古学」[フーコー,2014]を参照しながら「勝利を収めた」テクノロジーを中心に構成された直線的な歴史観に異をとなえ、その学術的役割をその直線的な歴史(言うなれば工学文化における効率、生産性等を重視する神話[久保田,2017]に由来するもの)から抜け落ちてしまっていたものの再発見に見出している。それはすなわち、過去から見ればスペキュラティヴ・デザインにおける「望ましい未来」[ダン&レイビー,2015]の積み重ねである現在を、過去の様々な考古学的な結節点から「起こりそうな未来」「起こってもおかしくない未来」そして「起こりうる未来」までを再考すると言うことに他ならない。フータモがデマリニスと岩井俊雄を並べて論述しているように(この二人の作家を並列に語ることにもいささかの疑問が残るものの)、メディア考古学的な作品と言うものは、ハードウェア的にも、そしてトポスの形成の仕方としても、考古学的な検証を元にした“ありえたかもしれない”メディア表現の形を示していると言えるだろう。(もっとも、作品として成立した時点で、それはもう“ありえた”ものであると捉えるべきなのかもしれない)

項が足りないので、ポプテピピックとデビルマンについては、次の機会に論ずるものとする。(項 (ページ)と言う概念の存在しないインターネットにおいて、このような文面を用いるのも、また紙の時代から続くトポスの一つであろう)

参考文献
E.R.クルツィウス,南大路振一,岸本通夫,中村善也,ヨーロッパ文学とラテン中世,みすず書房,1971

アンソニー・ダン,フィオナ・レイビー,久保田 晃弘,千葉 敏生,スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。—未来を思索するためにデザインができること,ビー・エヌ・エヌ新社,2015

エルキ・フータモ,太田純貴,メディア考古学 過去・現在・未来の対話のために,NTT出版,2015

久保田晃弘,遙かなる他者のためのデザイン ―久保田晃弘の思索と実装,ビー・エヌ・エヌ新社,2017

ジョナサン・スターン,中川克志,金子智太郎,谷口文和,聞こえくる過去 音響再生産の文化的起源,インスクリプト,2015

ミシェル・フーコー,真改康之,知の考古学,河出書房,2014