2013年9月25日水曜日

2013年9月13日金曜日

アルスエレクトロニカ 2013
なんちゃらかんちゃら


日本からの招致作品
メディア芸術祭特設スペース

IAMASの前田先生が企画した作品。
Between Yesterday And Tomorrow
http://solchord.jp/byt/index.html

初日にデータが壊れてたようで動いてなくて大変そうでした。

ライゾマティクス
http://rhizomatiks.com/
Perfume
パフュームフィギュアにプロジェクションマッピング。
プロジェクションするグラフィックを横にあるPCでドローイング、プログラミングして制作し、会期中にどんどん増やすことができる。

企画展
「Total Recall」

和田永
http://www.steamblue.net/
時折織成 -落下する記録

オープンリールカセットデッキに記録された音がゆっくりと落下していく。
何かをスロー再生したかのようなジリジリとした低音が響き渡る空間で、記録はどんどんと地層のように積み重ねられていく。やがて記録が落下し終わったときテープは一斉に巻き戻され、早送りとなったその音声が「美しく青きドナウ」の一節であったことに気付く。

友人とICCに行ったとき、とにかく友人が、この作品を「怖い」と言っていたのがとても印象に残っている。

畠中さん曰く、今回のテーマがtotal recallであることもさることながら、流れる楽曲が「美しく青きドナウ」であることが今回の招致の一番大きな理由だったとのこと
現在同じものが初台のICCにて展示中。細かい説明についてはICCに見に行くと展示の横の壁に描いてあります。

右から2番目の柱の影にいるのが和田さん。

池内啓人
プラモデルによる空想具現化



実は多摩美で同年卒業の池内君の作品。
パソコンの外装を改造しジオラマにする。2013年ICCオープンスペース、エマージェンシーズでの展示ではPCの他にRaspberry Piを使った小型パソコン、プリンターなど様々な日常のコンピューター機器を軍事色のあるジオラマへと改造し展示していた。展示している作品は外装こそジオラマになっているものの、すべて機能はそのままに使用できる。

ART+COM
http://www.artcom.de/en/home/
Mobility

たくさんの石膏で作られたかのような手が鏡を持っておりそれらをモーター制御か何かしらの方法で動かし、鏡の反射光によって対面の壁に文字を映し出したり、幻想的な光の交差を描き出したりする。

UdK留学時代に所属したラボのProf. Jussi Ängeslevä と Prof.Joachim Sauterの関わっている作品。後のトークイベントで偶然Prof. jussi会えた。IAMAS卒業生の菅野さんが今年からいくレジデンスは、彼の研究室とのことで、菅野さんにも同時に会えました。
奥にいるのがjussi 手前はビール。

タバコファブリック
タバコ工場でのオープニングイベント

Neubauten/FM Einheitのパーカッション

パフォーマンス
Huang Yi & KUKA

ロボットアームとダンサーのパフォーマンス。
ロボットの存在を人が再定義するという意味では三輪先生の兄弟deピザ注文を彷彿させる。

フォルマント兄弟
兄弟deピザ注文


受賞作品
OK im OÖ Kulturquartierにて展示

rAndom International
Rain Room

人がいるところだけ雨が降らない、と言う海を割るモーセみたいな気分になれる作品
今回は映像のみ。

Louis-Philippe Demers
The Blind Robot


盲目のロボットという意味合いらしい。
椅子に座ると二本のロボットアームがゆっくりと身体を触り鑑賞者の存在を確認するかのように身体に手をおく。ロボットとの限定的なコミュニケーション関係を作り出す空間を設定することで、さもロボットに意思があるかのように、或はロボットとコミュニケーションが成立したかのような錯覚に陥る。

受賞作品についてはここを参照に

shu lea cheang
Live Code Live SPAM.



台湾のノイズアーティスト。アルスエレクトロニカセンター横のNight Lineのクラブでのライブ。


こっちの広告は大体網点。しかも点が見えるくらい荒い。

2013年9月11日水曜日

書評 「Body Art/performing the Subject」 Amelia Jones "Introduction"

書評


Body Art/performing the Subject Amelia Jones  Introduction


本書は身体を用いた芸術について、モダンおよびポストモダンの時代を中心とした作家の紹介および筆者の論考を記述した本である。


 前半部分ではその時代の身体芸術と切っても切れない問題としての、ジェンダーおよび女性のヌードというセクシャルな面での身体美の西洋、アメリカでの確立についてを創成期をキャロリー・シュニーマンや草間弥生、その後をヴィト・ア・コンチ、アンディー・ウォーホル、ローリーアンダーソン、さらにはハンナ・ウィルケなどの種々の作家の例を上げ、ひもといていく。


 この本の記述は1938年からはじまる。それは残酷劇というフランスのアントナン・アルトーによる、既存の演劇ジャンルに分類できない身体表現の始まりであった。現状のパフォーミングアーツと言う言葉が、既存の演劇、オペラ、ダンスに分類されないものを取り扱っていると言うことを考えれば、これは現在のパフォーミングアーツと言うジャンルの運動の始まりであると捉えることができるだろう。これをふまえた上で、次章から戦後のアーティストたちを取り上げていく。


 冷戦さなかの保守的な時代、女性の側から性を取り上げ、社会に提示することというのは旧弊的な社会では一種のタブーであっただろう、これらのありのままの「性」、社会の中での女性のあり方問う作品群。シュニーマンの女性器からメッセージの書かれた紙編を取り出していくパフォーマンス「Interior Scroll」(1975年)に始まり、赤裸々な女性そのものを見せつけるパフォーマンスについて言及する。


 次章ではシュニーマンの作品についての話を下敷きとし、草間弥生のハプニングなどの初期のパフォーマンスについて言及する。つまりストロングな女性性から、ファルスとしての男根などを用いた男と女の関係性、つまり性=セックスを取り上げたジェンダー論へとシフトしていく。彼女は確実に社会に消費される女性というイコンを意識して作品を形作っている。つまり社会の中で女性がどのように位置づけられていくのか、ということの葛藤、男性、女性という二分化されたジェンダーのなかでここにきて生きていく個人へとスポットが当てられていくことになる。ここには自分自身として在る女性と男性、あるいは社会から「見られる女性」という存在、立ち位置についての言及がなされる


 この本で次に述べられるのはこのようなアートの時代性に置ける必要性、および、その周辺の作家たち、そしてその後出てきたヴィト・ア・コンチらの異性愛者敵趣向を持つ男性側からジェンダーを再定義するかのような身体芸術の動きに話しはクローズしていく。


 これらの流れで大変面白いのは、これらの作品がすべて承前の作品のアンチテーゼになっているように感じられるところにあると思う。つまり男性社会へのアンチテーゼであるシュニーマン作品群に対し、草間弥生がその行き過ぎた女性主義を男女の関係性という視野まで広げ、それに対するヴィト・ア・コンチによる男性主義のぶり返しのような、男性中心主義への回帰、つまり、強くなった女性への恐怖や警戒を内包する(かのように見える)社会の中での男性の再定義というような傾向を持つパフォーマンスへとつながっていく。


 次章でわずかに触れられているが、これらの流れは、その後アンディ・ウォーホルらの行ったようなホモセクシャル的な傾向を持つパフォーマンスへとつながっていく。世界はメトロセクシャルな方向へと移行していく。さらにはローリーアンダーソンなどの男性的傾向を持つ女性パフォーマーの登場によりジェンダーの問題は撹拌されていきつかみ所のないものへと変容を遂げていく。


 だからこの本の表紙にもなっているハンナ・ウィルケがその後に取り上げられていることには一定のメッセージ性があるように思う。つまり彼女は、ある程度人々がジェンダーという概念から自由になった時代に、改めてジェンダーを再定義した作家だったのだ。彼女の代表作「Intra Venus」(1995年)は癌になった彼女自身の身体を撮影し記録していく。そこにはジェンダーという攻撃的な要素は排除されただ一人の生きる人が映し出されるばかりである。