2016年8月9日火曜日

荻原楽太郎個展「失楽園」を見て

撮影:荻原楽太郎

 私自身パフォーマンスの撮影などで時々お世話になっていた楽太郎氏の展示を見に来た。大きな仕事を8月中旬から控えており、果たして私に今東京に出かけて展示を見に行く余裕があるのだろうか、などとウンウン悩んでいるうちに、そもそもこの悩んでいる時間で展示を見に行けるのでは…?と思い、一念発起して東京に足を運ぶことにした次第である。
 蒸し暑い8月の東京に向かう電車内はエアコンが大変よく効いており、むしろ肌寒かった。割と薄着で来てしまい服の選択を間違えたとつくづく思った。

 半蔵門線に乗り換え、半蔵門で降りる。半蔵門線はどうやら半蔵門駅があるから半蔵門線なのであり、半蔵門駅は近くに半蔵門という門があるので半蔵門駅というそうである。さらに言うと半蔵門はもともと徳川家の家来、服部正成、正就の通称「半蔵」に由来するそうで、本来の半蔵門は太平洋戦争で焼失し、現在のものは和田倉門の高麗門を移築したものであるという。
その半蔵門駅から、暑さにやられてぼんやり歩いているとすぐつくような距離に今回の展示の会場「ANAGRA」は存在する。

 地下1階に位置する展示会場は、全面がコンクリートで作られており、白塗りにされたコンクリートブロックに70枚以上の写真が展示されていた。展示会場中央にぽっかりと空いた穴は、狭い地下のスペースにつながっており、かつて貯水槽であったその狭い空間にも写真が展示されている。この展示空間はまさに楽太郎氏が今回展示している「失楽園」(と今回の展示ではぼかして呼称されている)と似た雰囲気を醸し出している。

 私自身も彼が被写体として撮影する「失楽園」に所属していた時期があり、私がこの展示によって最も大きく揺さぶられた感情は一種の「郷愁」であった。
 それは私がかつて子供だった時代、若者だった時代のフラッシュバックであり、立ち込めるタバコの煙や、燃え爆ぜる生木の臭い、炎に艶かしく照らされる人間の肌の性的な魅力であったり、家ではない空間、つまり居住スペースではない一種の共有スペースで解放される他人のだらしなさ、人が最も獣に近づく瞬間であったり、暗闇の中での友人との語らいであったり、半袖の腕に感じる湿度、肌に当たる水の冷たさや、肌寒さの中で感じるマフラーのぬくもりであった。
 私は、私達は、かつてこのように生きたのだ、という記憶が、そこにはあった。

かつて私はあそこにいて、そして私はあそこを思い出し、実際に訪れることはできても、もはやあの楽園の一員になることは永久にかなわないのだ、という小さな絶望。
若かりし時の、未来への不安や希望、よくよく考えたら、私などあの「楽園」を失ってからもそもそも本質的には大して変わっていないのではないか、という落胆。
この展示会場には、確かに「楽園」があった。

 私は楽太郎氏の写真を眺めるとき、まるで自分自身の古い日記を読み返した時のような郷愁にかられるのだ。私がかつて持っていて、今は無くしてしまった何かを感じるのだ。それは何もあの失ってしまった楽園の写真にとどまらない、彼の撮影するライブの写真であっても静物の写真であっても、そこには私がかつて持っていて、今は失ってしまった何かが宿っているように思われる。

 彼に出会ったのは、いつのことだったかもう忘れてしまったが、年上のようにも年下のようにも感じられる不思議な男であった。
 彼はどんな場所にでも当たり前に居て、彼の持つ擦れてボロボロになったCanon5Dのレンズを通して、彼を取り巻く人々を記憶していくのだ。

 彼はいつまでも彼自身の情熱と、そして彼がモデルとする被写体に内在する情熱を、関係者として、被写体との親密な友人として、そばに立ちながら記憶していくことだろう。

 それは彼が、美術大学という場で多くの友人の作品や制作を記録する、というところから歩み始めた写真作家であることにも起因しているようにも思う。
 私は、彼の生きる限り、誰かの情熱に溢れた生の記憶を彼の写真を通して感じ続けるのだ。

 私は今回の展示で改めて彼の写真について考えた。

 私は自分の周りの環境を記録することで、ここまで自分自身をさらけ出している写真作家を見たことがない。

 そして、彼の写真を見ることは、誰かの人生を、そばに立つ友人として眺めることと同じことのように思えてきた。
 それは、荻原楽太郎その人にしかできないことであり、彼自身の人間性に由来するものであるように感じるのだ。
 彼の写真は彼の持つカメラのファインダーによって区切られ、光学的に現像された、切り取られた空間というだけのものではなく、荻原楽太郎という人間とその被写体との関係性までを想起させ、またその集団やコミュニティの関係性を追体験するようなものとなっている。
 カメラを持っている荻原楽太郎は一切写真に写らないが、彼の写真から強烈に匂い立つイメージは、荻原楽太郎という男の人生の記憶なのだ。

 だから彼の写真が好きだ、という人たちは、きっと荻原楽太郎の写真だけではなく、荻原楽太郎という人間の人生が好きなのだろうと、そのように感じた次第である。


 そして、私たちが彼と共に同時代を生きる限り、彼の記憶した楽園の風景は、また、やがて失楽園と呼ばれることだろう。


荻原楽太郎tumblr

レポート:
パフォーマー、研究者、無職
johnsmith