「紅白初出場!少年隊!『仮面ライダー』です!」
−加山雄三「第37回紅白歌合戦」
図書館に行きたい、と言われたので、俺はたまの休日をこんな真面目な場所で消化している訳である。長門は俺の隣で黙々と電話帳を読んでいる。なあ長門、それ面白いのか?
「まずまず」
どうやら長門は俺の心の声を読んで返事をしたらしい、こうなってくると俄然やる気を出して心の声を大にして長門とコミュニケーションをとってみたい、という願望が湧き上がってきた。えーと、なんにするかな、いいお天気ですね、なんてのはどうだ。
「今日は曇りでこれから台風の上陸で荒れることが予想される、おそらく閉館時刻になる頃には、あなたが家に帰れないほどの豪雨になることが予想される」
そういえば今日は随分とどんよりした雲模様だったことを思い出す。
「そして私は閉館時間まで梃子でもここを動くつもりがない」
しばらく長門が何を言っているか理解できずにいたが、それは長門が、俺がびしょ濡れになって家に帰れなくなろうが、本を読み続ける、という宣言であることに気づいた。俺の存在価値は今読んでいる電話帳以下なのか、長門よ。
「問題ない、あなたは私の家に来て一晩泊まっていけばいい」
藪から棒の発言に俺は正直驚いてしまったのである、俺が驚いたということは、この地の文で長門に知れてしまっている訳で、これは大変恥ずかしい。なにより長門年頃の女の子が男を家に泊めるなんてことをしてはいかんぞ、そういうのは好き合ってる相手を見つけてしかるべき段階を踏んでからだな…最も過去に俺は3年ほどお前の家で寝たきりになってたことがあるが、あれは朝比奈さんも居たしノーカウントだ!
「問題ない、あなたはおよそ3時間42分後に私の家でシャワーを浴びている」
一体3時間42分後の俺に何が起こったというんだ。
「それに4時間16分後には家に谷口の家に泊まる、という連絡を入れるし、4時間57分後には私と一緒にレトルトカレーを食べている」
なぜそこで嘘をつく必要があるんだ、いや、あるか、さすがにおふくろに女の子の家に泊まるとは言えないしな。
「それに8時間23分後には一緒の布団で寝る。」
やれやれ、あの高名な長門大明神様が言うからには今長門が言ったことは、全部実現しちまうんだろうな。
「それに私はあなたのことを『本文が始まってから句読点、鉤括弧も含めて190文字目』と
『本文が始まってから句読点、鉤括弧も含めて1077文字目』している。だから問題ない。」
地の文がわからない俺にはそんなことを言われてもちんぷんかんぷんだがな。そう地の文で思うと、長門は少し頬を赤らめてそっぽを向いてしまった。
しかし長門は随分未来のことを知っているな、どれくらいさきのことまでわかるんだ?
「あなたは今からおよそ18250日後に死ぬ」
そうか、それは教えてくれなくてもいいぞ、長門。
「あなたの人生の長門有希」完
2016年10月21日金曜日
ヒッチハイカーズ・ガイド・トゥ・長門有希
涼宮ハルヒという女は、なんと言っても不思議な女である。やれ「士農工商って、お金を持ってる商人がそんなに身分が低いわけがないじゃない」などと言いだして歴史を改変し、教科書を書き換えさせたり、「鎌倉幕府がいい国って、じゃあ他の国はどうなんのよ!」とヒステリーを起こしてまた教科書を書き換えさせたり、宇宙旅行をするためには現状のニュートン物理学に支配された世界だけでは不十分であることを知り、アインシュタインに相対性理論を発見させたりした。近い将来、相対性理論では光速を超えることができないという事実に不満を持ち、また教科書は書き換えられることになるだろう。
このようなことができるのも、やはりあいつが『願望実現能力』というとんでもない能力を持っているからで、なんでも願望で済まされるなら、今ここで生きている俺の意思というのは本当に存在するのだろうか、などと疑いたくもなるが、その件については考え始めるとキリがないので、この辺りで思考を置くことにする。そういえば先日久しぶりに出会った佐々木のことを、俺はどうやら高校に入学以来すっかり忘れていたようだが、これは果たして本当にそんなことが起こりうるのだろうか。古泉は世界5分前仮説などというたわけたことを言っていたが、なんだか俺もその辺りを信じてみてもいい気がする。
何は無くとも、俺たちの世界では東西冷戦は未だに続いているし、ベトナムではアメリカが勝ったし、キューバ危機でアメリカ全土の7割と、ソビエト全土の6割が消失している、というのは動かしがたい事実である。
「ちょっとキョン聞いてるの!?」
ハルヒが大きな声で俺を呼んだ。
「いや、すまん聞いてなかった」
渋々俺は謝る、なぜなら謝らずにその場で爆発四散した人間を俺は何人も見てきたからである。
「明日の不思議探索は、エアコンの室外機を見に行くわよ!」
「ヒッチハイカーズ・ガイド・トゥ・長門有希」完
このようなことができるのも、やはりあいつが『願望実現能力』というとんでもない能力を持っているからで、なんでも願望で済まされるなら、今ここで生きている俺の意思というのは本当に存在するのだろうか、などと疑いたくもなるが、その件については考え始めるとキリがないので、この辺りで思考を置くことにする。そういえば先日久しぶりに出会った佐々木のことを、俺はどうやら高校に入学以来すっかり忘れていたようだが、これは果たして本当にそんなことが起こりうるのだろうか。古泉は世界5分前仮説などというたわけたことを言っていたが、なんだか俺もその辺りを信じてみてもいい気がする。
何は無くとも、俺たちの世界では東西冷戦は未だに続いているし、ベトナムではアメリカが勝ったし、キューバ危機でアメリカ全土の7割と、ソビエト全土の6割が消失している、というのは動かしがたい事実である。
「ちょっとキョン聞いてるの!?」
ハルヒが大きな声で俺を呼んだ。
「いや、すまん聞いてなかった」
渋々俺は謝る、なぜなら謝らずにその場で爆発四散した人間を俺は何人も見てきたからである。
「明日の不思議探索は、エアコンの室外機を見に行くわよ!」
「ヒッチハイカーズ・ガイド・トゥ・長門有希」完
2016年10月20日木曜日
プレデターVS長門有希
マッドマックスという映画をご覧になったことがあるだろうか、最近「怒りのデスロード」という続編が公開されたアレである。劇場で「怒りのデスロード」を見た俺は、興奮冷めやらぬままに、前作に当たる作品のDVDをすべてレンタルして来て、見たのである。
そして1を見たときに、俺は思わずこう言ってしまった「世界観全然違うじゃねーか!」
長門有希はご存知の通り宇宙人であるが、実のところトンデモ超能力以外にこいつの宇宙人らしいところを見たことがない。粉になって消えたり、粉にして消したり、というところは見たことがあるが、そこだけ見るとやはりこいつは宇宙人というよりも超能力者と呼称した方が良いのではないか、とさえ思う。もっと言うと、長門は未来も知っているのでなんだかんだで『禁則事項』の多い朝比奈さんよりも未来を見据えて行動しているようにも思う。つまり、超能力者も、未来人もなんとなく宇宙人の下位互換のように感じられてしまうのだ。それはそうと、俺はまたぞろ授業を終えて惰性で部室へ向かう途中であった。冬に差し掛かりつつある外の情景は、なんだか肌寒そうで、このまま帰ると言う選択肢を選択できなかった結果とも言えるだろう。早く部室に行ってストーブで暖をとりたい、などと思ったが、よく考えたらSOS団御用達のストーブは二ヶ月ほど前にハルヒの提案したストーブはガソリンでも動くのか、と言う実験の元に爆発四散してしまったことを思い出し、なんだか部室に行ってもよくないことが起きるのではないかと、そんなちょっとした予感に足取りを重くしながらも部室への道をトボトボと歩いていた。そういえばあの日からハルヒを見ていないが、どうしたことだろう。
部室の扉をノックして開けると、そこには相変わらず長門が窓際で本を読み、古泉が俺が来ることを察知していたのか、将棋の盤を用意し、朝比奈さんは最近凝り出したハーブティーを吟味して入れたお茶にシナモンを振りかけていた。二ヶ月前の爆発事件により、窓ガラスをダンボールで代用し、ところどころ黒焦げになった備品が転がっていることを除けば、いつも通りの部室であった。どうやら俺の心配は杞憂だったらしい。古泉はにっこりといつもの微笑みを浮かべると、
「一局どうですか」
と俺に問いかけてきた。
「お前は王手になると王将を盤外に逃がすからやらん」
古泉の命と俺のお気に入りのシャーペンをかけたオセロは白熱の一途を辿っていた。古泉が紫とグレーの駒を使い始めたあたりで戦略性が4倍にも5倍にも増したからである。
朝比奈さんは、三ヶ月前の事件でブラジルから自分の足一つで帰ってきた経験を生かしてサバイバル生活術の本を執筆している。長門は『涼宮ハルヒの消失で英文法が面白いほど身につく本』と言う本を読んでいる。
「長門、その本は面白いのか?」
駒を打つ手を止めて長門に問いかけて見た。
「普通…」
長門はいつもの調子で答えた。おそらく本当に普通なのだろう。
目を離している隙に、盤面は四色の駒がうずたかく積み上がり、三次元的な戦略性も内包した高度な頭脳戦と化していた。
「じゃあ、4-3-9紫だ」
俺は平気な顔で紫の駒を8枚積み上げられた駒の上に乗せた。
「おやおや…これはこれは…」
古泉の顔に若干だが焦りの色が見える。それはそうだ、この手が決まったことで73手先でのチェックメイトが確定したからだ。
「…ところで古泉喉が乾かないか?」
古泉はひたいから伝う汗を袖で拭った。
「そうですね、僕が買ってきましょう」
そう言うと古泉は部室から出て行った。俺はこの隙に5-1-4の黒を白にすり替え、うずたかく積み上がった駒の上に絶妙のバランスでドラえもんドンジャラを乗せた。
コーラと午後の紅茶を買って戻ってきた古泉は、この盤面を見て愕然としていた。
「4-0-8、5-2-6のドラえもんドンジャラで今回は引き分けだな」
古泉は俺にコーラを投げて渡すと、「んっふ」とも聞き取れるような笑い声をあげた。
コーラを投げるな。
案の定フタを開けると同時に吹き出してしまったコーラでびしょ濡れになる俺を見て、古泉も、長門も、朝比奈さんもクスクスと笑いをこらえていた。
それから俺と古泉はドンジャラを用意し、改めて今度は森さんの命と、俺のお気に入りのシャーペンをかけたドラえもん-サクラ大戦4モノポリードンジャラを始めたのだった。
ところでここから20キロメートル離れた病院で、今まさにハルヒの心電図が緩やかに静寂へ向かっていると言うことを俺たちは知らなかった。そう、知らなかったのだ。
「プレデターVS長門有希」完
そして1を見たときに、俺は思わずこう言ってしまった「世界観全然違うじゃねーか!」
長門有希はご存知の通り宇宙人であるが、実のところトンデモ超能力以外にこいつの宇宙人らしいところを見たことがない。粉になって消えたり、粉にして消したり、というところは見たことがあるが、そこだけ見るとやはりこいつは宇宙人というよりも超能力者と呼称した方が良いのではないか、とさえ思う。もっと言うと、長門は未来も知っているのでなんだかんだで『禁則事項』の多い朝比奈さんよりも未来を見据えて行動しているようにも思う。つまり、超能力者も、未来人もなんとなく宇宙人の下位互換のように感じられてしまうのだ。それはそうと、俺はまたぞろ授業を終えて惰性で部室へ向かう途中であった。冬に差し掛かりつつある外の情景は、なんだか肌寒そうで、このまま帰ると言う選択肢を選択できなかった結果とも言えるだろう。早く部室に行ってストーブで暖をとりたい、などと思ったが、よく考えたらSOS団御用達のストーブは二ヶ月ほど前にハルヒの提案したストーブはガソリンでも動くのか、と言う実験の元に爆発四散してしまったことを思い出し、なんだか部室に行ってもよくないことが起きるのではないかと、そんなちょっとした予感に足取りを重くしながらも部室への道をトボトボと歩いていた。そういえばあの日からハルヒを見ていないが、どうしたことだろう。
部室の扉をノックして開けると、そこには相変わらず長門が窓際で本を読み、古泉が俺が来ることを察知していたのか、将棋の盤を用意し、朝比奈さんは最近凝り出したハーブティーを吟味して入れたお茶にシナモンを振りかけていた。二ヶ月前の爆発事件により、窓ガラスをダンボールで代用し、ところどころ黒焦げになった備品が転がっていることを除けば、いつも通りの部室であった。どうやら俺の心配は杞憂だったらしい。古泉はにっこりといつもの微笑みを浮かべると、
「一局どうですか」
と俺に問いかけてきた。
「お前は王手になると王将を盤外に逃がすからやらん」
古泉の命と俺のお気に入りのシャーペンをかけたオセロは白熱の一途を辿っていた。古泉が紫とグレーの駒を使い始めたあたりで戦略性が4倍にも5倍にも増したからである。
朝比奈さんは、三ヶ月前の事件でブラジルから自分の足一つで帰ってきた経験を生かしてサバイバル生活術の本を執筆している。長門は『涼宮ハルヒの消失で英文法が面白いほど身につく本』と言う本を読んでいる。
「長門、その本は面白いのか?」
駒を打つ手を止めて長門に問いかけて見た。
「普通…」
長門はいつもの調子で答えた。おそらく本当に普通なのだろう。
目を離している隙に、盤面は四色の駒がうずたかく積み上がり、三次元的な戦略性も内包した高度な頭脳戦と化していた。
「じゃあ、4-3-9紫だ」
俺は平気な顔で紫の駒を8枚積み上げられた駒の上に乗せた。
「おやおや…これはこれは…」
古泉の顔に若干だが焦りの色が見える。それはそうだ、この手が決まったことで73手先でのチェックメイトが確定したからだ。
「…ところで古泉喉が乾かないか?」
古泉はひたいから伝う汗を袖で拭った。
「そうですね、僕が買ってきましょう」
そう言うと古泉は部室から出て行った。俺はこの隙に5-1-4の黒を白にすり替え、うずたかく積み上がった駒の上に絶妙のバランスでドラえもんドンジャラを乗せた。
コーラと午後の紅茶を買って戻ってきた古泉は、この盤面を見て愕然としていた。
「4-0-8、5-2-6のドラえもんドンジャラで今回は引き分けだな」
古泉は俺にコーラを投げて渡すと、「んっふ」とも聞き取れるような笑い声をあげた。
コーラを投げるな。
案の定フタを開けると同時に吹き出してしまったコーラでびしょ濡れになる俺を見て、古泉も、長門も、朝比奈さんもクスクスと笑いをこらえていた。
それから俺と古泉はドンジャラを用意し、改めて今度は森さんの命と、俺のお気に入りのシャーペンをかけたドラえもん-サクラ大戦4モノポリードンジャラを始めたのだった。
ところでここから20キロメートル離れた病院で、今まさにハルヒの心電図が緩やかに静寂へ向かっていると言うことを俺たちは知らなかった。そう、知らなかったのだ。
「プレデターVS長門有希」完
月は無慈悲な夜の長門有希
長門はかつて過去現在未来全て自分と同期していたという、それはつまり自分がこれからなにをするのか、周りの人間がなにをするかということがわかっていたことになる。そういえばかつて、長門が読んだという「タイタンの妖女」という小説の話を聞いたことがある。その小説に出てくる変なじいさんは時空の狭間だがなんだかに飲み込まれ、過去現在未来全てに偏在する神のような存在になってしまったのだという。しかし、人々の運命というのは複雑に絡み合った糸のようなもので元々1人の人間だったそのじいさんがなにをしようと変えられるようなものではないらしい。長門の話の中で最も印象的だったのは、『ジェットコースターに乗っている人間がジェットコースターの終着点を知っていたとして、なにができるだろうか』というような言葉だった。わざわざそんな話を俺に聞かせたということは、長門なりのメッセージだったのではないか、と、今となっては思うのだ。あの冬の事件以来、長門は未来の自分と同期することはやめているというが、それは記憶という形で、やはり長門の中に残っているのではないだろうか。と言う訳で、俺は少し長門に対して小さないたずらをしてみようと思い立った訳である。
部室に入るといつものごとく長門が1人で本を読んでいた。これはもちろん俺の段取りで、ハルヒはカエルは睨み続けると油を体から分泌しその油は全ての傷を治す万能薬になる
という話を聞かせたところ意気揚々とリストカットした手首から血を垂れ流しながらカエルとにらめっこを続けているし、朝比奈さんは俺の掘った18メートルの落とし穴にはまっているので、とても部室に来られる状況ではあるまい、古泉はつまらないギャグを言ったので16トンの重りで潰した。
かくして本来ならあり得なかった、長門が1人で部室で本を読んでいる、という状況を作り上げた訳である。
長門はしばらく俺の方を見てから、また本に目を落とした。普通の人が見たらいつも通りの長門である、と判断するだろうが、もはや熟練の域に達した長門マイスターである俺は長門のわずかな変化、目を若干泳がせ、額にやや汗をかいているという状況を見逃さなかった。
俺は長門の方に歩を進め、屈みこんで長門の顔を覗き込んでみた。
「…なに?」
俺はここでなにも言葉を発しないことを選んだ、沈黙は金と言うしな。そうして沈黙が短く見積もっても5分ほど経った頃、長門の動揺は明らかに見て取れるくらいに拡大したように見えた。
「…」
とはいえ長門は目をちらほら逸らすくらいのものでそこまで大きな動揺を見せているとは言い難いものだった。俺は長門から離れると、いつもの定位置に座り、オセロのボードを取り出した。
長門が不安そうにじっとこっちを見ているが俺はそんな目線を気にしていないかのようにオセロの駒を縦に積み上げ、白黒白黒と七回続いた後に黒白と逆さまの駒を挟んで見たり、積み上がったオセロの駒の4段目を崩さないように引き抜いてみたり(これはどう考えても失敗で、縦一列に積み上がったオセロの駒は普通に崩れてしまった)、その反省を生かして今度は交差する形でオセロの駒を積み上げてまた崩してみたり、オセロの白黒をモールス信号に見立て、SOSのサインを盤面に並べてみたりした。突然意味のわからない行動を無言で始めた俺に、長門は相当当惑したのか、ソワソワとこちらを確認するような仕草を繰り返している。額には大玉の汗を滲ませ、目はどこか虚ろになっている。
「…それ」
長門はついに立ち上がり、オセロの盤面を指差して発言した。俺は断固答えず。オセロの駒で築かれたオセロ王国を作ることに夢中になっている振りを続けた。長門がこちらに興味を持ったことを確認し、俺はオセロの駒に将棋の駒を混ぜて、将棋オセロなる自分が今考案した遊びを始めた。
「あなたはなにをしている?」
長門は頑として自分を無視する俺に対して不満と不安をないまぜにした表情で俺に問いかけるが、俺は、まさかここでオセロの白に銀将が挟まれて成ってしまうとは…などと別のことを考える事に徹していた。盤面は黒優勢、王手2手前、白チェックメイトで、相当煮詰まってきている。
盤面の煮詰まり具合と同時に、長門が先を予測できない不安でストレスを溜めていることを察する。
「あなたはなにをしている?」
長門が同じことを2度言った。これは相当なストレスを感じている証左だろう。俺はなおも無視を続け、盤面を進める事に徹した。将棋の駒はルール通りにしか動けないのに、オセロの駒は盤面のどこにでも置けるので、どう考えても将棋が不利だな、などと言うことを考えていた。
「きいてほしい」
長門が業を煮やしてか、やや顔を赤くして強い調子で俺の肩に手を置いて言った。
俺は黒に王将の右隣を取られて汲々としておりそれどころではなかった。そもそもオセロ側はどうやったら負けなんだ?などと益もない事を延々と考えていると長門はオセロの盤に手をかけてそれをひっくり返した。これは俺も見たことのない長門一面であった。俺は面食らった。
「現在の事象に予測不可能な異変が生じている、あなたの行動も不可解、これはエラー?」
俺は長門の方をじっと見ながらおもむろに立ち上がった。さも、もう少しで決着を見ようとしていた将棋オセロの盤面をひっくり返されたことで怒っているような表情で長門にゆっくりと詰め寄っていく。
「…????????」
長門は少し怯えるような表情を見せると後ずさりしながら口を開いた。
「…盤面をひっくり返したことは謝る、謝るから話を聞いてほしい」
俺は無言のまま長門に一歩また一歩と詰め寄っていく。
「ままま、まつがよい、まつがよい…さっきのことに関しては私が全面的に悪い、でも今はそれどころではない、聞いてほしい、未来が予測される状況と大きく異なっている…早く修正しないと大変なことになる…」
口元もおぼつかない長門は、目に見えるほど汗をだくだくと流し、目は今にもバタフライで世界記録を叩き出すのではないかと言うほどに泳いでいる。体はガタガタと震えている。なんだか俺は長門が可哀想になってしまったので、この辺りでこのいたずらを終わらせることにした。
「冗談だ」
「まつがよい、まつが…」
長門は俺がなんと言ったのかを理解したのか、ゆっくりと平静を取り戻していくと
「全て予測された事象、あなたの冗談だと言うことも実は最初からわかっていた」
と言った。
それから俺たちはもう暗くなりかけた空を見て、ゆっくりと帰り支度をし、部室を後にした。帰り道で朝比奈さんを掘り出しに寄ったが、この時は長門の宇宙人パワーが大活躍だった。地球の反対側のブラジルから朝比奈さんが生還したと言うニュースを聞いた時は俺もたいそう驚いたものだ。ハルヒの姿はその日から見ていない。ただ、ハルヒの机の上に置かれた花瓶と、その花瓶から伸びる、俺が名前を知らない綺麗な花が、風に吹かれて揺れていた情景だけを確かに覚えている。
「月は無慈悲な夜の長門有希」完
部室に入るといつものごとく長門が1人で本を読んでいた。これはもちろん俺の段取りで、ハルヒはカエルは睨み続けると油を体から分泌しその油は全ての傷を治す万能薬になる
という話を聞かせたところ意気揚々とリストカットした手首から血を垂れ流しながらカエルとにらめっこを続けているし、朝比奈さんは俺の掘った18メートルの落とし穴にはまっているので、とても部室に来られる状況ではあるまい、古泉はつまらないギャグを言ったので16トンの重りで潰した。
かくして本来ならあり得なかった、長門が1人で部室で本を読んでいる、という状況を作り上げた訳である。
長門はしばらく俺の方を見てから、また本に目を落とした。普通の人が見たらいつも通りの長門である、と判断するだろうが、もはや熟練の域に達した長門マイスターである俺は長門のわずかな変化、目を若干泳がせ、額にやや汗をかいているという状況を見逃さなかった。
俺は長門の方に歩を進め、屈みこんで長門の顔を覗き込んでみた。
「…なに?」
俺はここでなにも言葉を発しないことを選んだ、沈黙は金と言うしな。そうして沈黙が短く見積もっても5分ほど経った頃、長門の動揺は明らかに見て取れるくらいに拡大したように見えた。
「…」
とはいえ長門は目をちらほら逸らすくらいのものでそこまで大きな動揺を見せているとは言い難いものだった。俺は長門から離れると、いつもの定位置に座り、オセロのボードを取り出した。
長門が不安そうにじっとこっちを見ているが俺はそんな目線を気にしていないかのようにオセロの駒を縦に積み上げ、白黒白黒と七回続いた後に黒白と逆さまの駒を挟んで見たり、積み上がったオセロの駒の4段目を崩さないように引き抜いてみたり(これはどう考えても失敗で、縦一列に積み上がったオセロの駒は普通に崩れてしまった)、その反省を生かして今度は交差する形でオセロの駒を積み上げてまた崩してみたり、オセロの白黒をモールス信号に見立て、SOSのサインを盤面に並べてみたりした。突然意味のわからない行動を無言で始めた俺に、長門は相当当惑したのか、ソワソワとこちらを確認するような仕草を繰り返している。額には大玉の汗を滲ませ、目はどこか虚ろになっている。
「…それ」
長門はついに立ち上がり、オセロの盤面を指差して発言した。俺は断固答えず。オセロの駒で築かれたオセロ王国を作ることに夢中になっている振りを続けた。長門がこちらに興味を持ったことを確認し、俺はオセロの駒に将棋の駒を混ぜて、将棋オセロなる自分が今考案した遊びを始めた。
「あなたはなにをしている?」
長門は頑として自分を無視する俺に対して不満と不安をないまぜにした表情で俺に問いかけるが、俺は、まさかここでオセロの白に銀将が挟まれて成ってしまうとは…などと別のことを考える事に徹していた。盤面は黒優勢、王手2手前、白チェックメイトで、相当煮詰まってきている。
盤面の煮詰まり具合と同時に、長門が先を予測できない不安でストレスを溜めていることを察する。
「あなたはなにをしている?」
長門が同じことを2度言った。これは相当なストレスを感じている証左だろう。俺はなおも無視を続け、盤面を進める事に徹した。将棋の駒はルール通りにしか動けないのに、オセロの駒は盤面のどこにでも置けるので、どう考えても将棋が不利だな、などと言うことを考えていた。
「きいてほしい」
長門が業を煮やしてか、やや顔を赤くして強い調子で俺の肩に手を置いて言った。
俺は黒に王将の右隣を取られて汲々としておりそれどころではなかった。そもそもオセロ側はどうやったら負けなんだ?などと益もない事を延々と考えていると長門はオセロの盤に手をかけてそれをひっくり返した。これは俺も見たことのない長門一面であった。俺は面食らった。
「現在の事象に予測不可能な異変が生じている、あなたの行動も不可解、これはエラー?」
俺は長門の方をじっと見ながらおもむろに立ち上がった。さも、もう少しで決着を見ようとしていた将棋オセロの盤面をひっくり返されたことで怒っているような表情で長門にゆっくりと詰め寄っていく。
「…????????」
長門は少し怯えるような表情を見せると後ずさりしながら口を開いた。
「…盤面をひっくり返したことは謝る、謝るから話を聞いてほしい」
俺は無言のまま長門に一歩また一歩と詰め寄っていく。
「ままま、まつがよい、まつがよい…さっきのことに関しては私が全面的に悪い、でも今はそれどころではない、聞いてほしい、未来が予測される状況と大きく異なっている…早く修正しないと大変なことになる…」
口元もおぼつかない長門は、目に見えるほど汗をだくだくと流し、目は今にもバタフライで世界記録を叩き出すのではないかと言うほどに泳いでいる。体はガタガタと震えている。なんだか俺は長門が可哀想になってしまったので、この辺りでこのいたずらを終わらせることにした。
「冗談だ」
「まつがよい、まつが…」
長門は俺がなんと言ったのかを理解したのか、ゆっくりと平静を取り戻していくと
「全て予測された事象、あなたの冗談だと言うことも実は最初からわかっていた」
と言った。
それから俺たちはもう暗くなりかけた空を見て、ゆっくりと帰り支度をし、部室を後にした。帰り道で朝比奈さんを掘り出しに寄ったが、この時は長門の宇宙人パワーが大活躍だった。地球の反対側のブラジルから朝比奈さんが生還したと言うニュースを聞いた時は俺もたいそう驚いたものだ。ハルヒの姿はその日から見ていない。ただ、ハルヒの机の上に置かれた花瓶と、その花瓶から伸びる、俺が名前を知らない綺麗な花が、風に吹かれて揺れていた情景だけを確かに覚えている。
「月は無慈悲な夜の長門有希」完
ジョン・レノン対長門有希
「お、長門だけか」
部室のドアを開けるとそこには窓辺で本を読む長門がいるばかりであった。
「そう」
長門はわずかに頷くような仕草とともに、そう答える。このわずかな角度の変化を感知できるのは、世界広しといえど俺くらいのものだろう。ふと、長門読んでいる本が気にかかった。
「なにを読んでるんだ?」
長門はわずかに首をかしげるような仕草をする。このわずかな角度の変化を感知できるのも、やはり世界広しといえど、俺くらいのものだろう。少なくとも陸上では俺だけだという自負がある。俺が潜水できる海の深さより先の深海にいるかどうかは、確認できないので考えないこととする。
暫くして長門は俺の言ったことを理解したように、本の背をこちら側に向けて示した。長門はめちゃくちゃ頭もいいし回転も速いはずなのに、基本的に普段の挙動がスローなんだよな、などと関係ないことを考えながらもその本のタイトルに目を走らせる。
そこには『ジョン・レノン対火星人』というタイトルと、うまいんだかへたなんだかよくわからない絵が載っていた。
「高橋源一郎という人の小説…」
長門は−30dbで小さく付け加えた。
「面白いのか?」
長門は0.7mmほど顎を引いて困ったようにコンマ数ピコメートル眉をあげたかと思うと、2mmほど口を開いて「面白い」、と答えた。この仕草の示すサインはこれから小一時間怒涛のオタク語りが始まるがそれを聞きたいのか聞きたくないのか?という確認の意味を含んだジェスチャーである。
「2分37秒41ほどで簡潔に頼む」
と俺が言うと、長門は
「3分5秒61より簡潔に話すと意思疎通に齟齬が発生すると思われる」と答えた。
「2分47秒29くらいでなんとかならんか」
と俺は粘ってみる。
「高橋源一郎の他の作品を読んだことは?」
「存在すら知らん」
長門は眉根を2ミリほど寄せ、やや困ったような表情を作る。眉根が2ミリは『やれやれ、あなたの無知無教養ぶりにはうんざりする、幼稚園からやり直して欲しい』という主張を婉曲に俺に伝えようとする時に決まって長門が発するサインである。実のところ俺はかなり頻繁に長門にこれをやられる。
「間でまったく息継ぎをしなければ2分56秒57までは短縮できるがそれ以上は発話に齟齬が発生することになる」
長門の瞳が28μmほど揺らぐ、これはまだ押しても大丈夫なとき、申告した情報に余裕をもたせているときの長門の癖のようなものである。
「2分52秒20ならどうだ…?」
「2分53秒81」
「よし」
この辺が限界だろうと見切りをつけ、俺はポケットからストップウォッチを取り出し、カウントの準備をして長門にゴーサインを出す。
「ジョンレノン対火星人というのは作中冒頭に出てくる刑務所の野球チームの三塁コーチャーが出す『左のきんたまを2度、右のきんたまを一度握る』というサインの発する指示に由来するその三塁コーチャーが自殺してしまったためその『ジョンレノン対火星人』というサインが意味するものはわからないままだったがその辺はとりあえず置いておいて物語は基本的にポルノグラフィ作家の主人公「わたし」同棲相手のパパゲーノ友人のヘーゲルの大倫理学ホステスのテータムオニールそしてきちがいの素晴らしい日本の戦争の5人を中心に物語が進んでいく様々な死体を幻視するきのちがってしまった素晴らしい日本の戦争を治療するためにセックスさせたり試行錯誤をするが、最終的に素晴らしい日本の戦争はきちがいのふりをしていただけだったことがわかるそれでも彼はきがちがっていないだけで様々な手法で殺された惨殺死体を幻視し続けてしまうということは自体は事実だったので結局耐えられずに死んでしまうそして素晴らしい日本の戦争を治療しようとしていた「わたし」たちは街をゆく人々をみな死体として幻視することになるこの作品の何が面白いのかというと作品自体に使われているあまりにも日常的な文体で理路整然とした文章という形態であまりにも異常な情景が描かれ続けることで私たちの日常が本当に正常であると言い切れるのだろうかという猜疑心を芽生えさせるところにあるひょっとしたら私たちの日常は非日常なのではないかそもそも日常などというものが存在するのかそれはそうとこの本を読んでいたということはこの小説はまだ読み終わってない状態であるということで読み終わってない小説をなぜわたしがここまで克明にオチまで説明できるのかということは深く触れないで欲しい」
2分53秒81
ぴったりである。さすがは長門だ。長門は目を150nmほど細め、眼球表面の水分量を0.7dℓほど貯めてこちらを見た。これは俺に反応を求める時のサインだ。
俺は眉を2度2ミリほど上下させ長門をじっと見つめる。これは『なるほど、さっぱりわからん』のサインである。
長門は目により多くの水分を貯めた(およそ7décilitreほど)、どうやら先ほどの俺のサインが3μsほど動作が遅れて『おまえの話は全然わからんし熱心に話してるその姿がキモい、死ね』のサインになってしまったようだ。目から涙をボロボロとこぼす長門は俺に背を向けると窓を開けて飛び降りようとする。
「おい、なにやってるんだ長門!ここは一階だぞ!」
なんとか組みついて静止させることに成功したが長門の内包するパワーは2000万馬力はゆうに超え、瞬発的(秒数にして30μsほど)に腕から発せられる力は80億kgfにも達する。
俺は四肢から血を1700mlほど吹き出し内臓は八割ほどやられてしまった。治療費に換算すれば200万はくだるまい。(昭和40年の200万は現在の2000万)
「…情報の伝達に齟齬が発生したかもしれない」
長門はそういうと少し落ち着いた様子を取り戻し、左のきんたまを2度、右のきんたまを1度握った。
これは『ジョン・レノン対火星人』のサインだ。
「…待て、長門。おまえにはきんたまはないはずだよな?」
ー「ジョン・レノン対長門有希」完
部室のドアを開けるとそこには窓辺で本を読む長門がいるばかりであった。
「そう」
長門はわずかに頷くような仕草とともに、そう答える。このわずかな角度の変化を感知できるのは、世界広しといえど俺くらいのものだろう。ふと、長門読んでいる本が気にかかった。
「なにを読んでるんだ?」
長門はわずかに首をかしげるような仕草をする。このわずかな角度の変化を感知できるのも、やはり世界広しといえど、俺くらいのものだろう。少なくとも陸上では俺だけだという自負がある。俺が潜水できる海の深さより先の深海にいるかどうかは、確認できないので考えないこととする。
暫くして長門は俺の言ったことを理解したように、本の背をこちら側に向けて示した。長門はめちゃくちゃ頭もいいし回転も速いはずなのに、基本的に普段の挙動がスローなんだよな、などと関係ないことを考えながらもその本のタイトルに目を走らせる。
そこには『ジョン・レノン対火星人』というタイトルと、うまいんだかへたなんだかよくわからない絵が載っていた。
「高橋源一郎という人の小説…」
長門は−30dbで小さく付け加えた。
「面白いのか?」
長門は0.7mmほど顎を引いて困ったようにコンマ数ピコメートル眉をあげたかと思うと、2mmほど口を開いて「面白い」、と答えた。この仕草の示すサインはこれから小一時間怒涛のオタク語りが始まるがそれを聞きたいのか聞きたくないのか?という確認の意味を含んだジェスチャーである。
「2分37秒41ほどで簡潔に頼む」
と俺が言うと、長門は
「3分5秒61より簡潔に話すと意思疎通に齟齬が発生すると思われる」と答えた。
「2分47秒29くらいでなんとかならんか」
と俺は粘ってみる。
「高橋源一郎の他の作品を読んだことは?」
「存在すら知らん」
長門は眉根を2ミリほど寄せ、やや困ったような表情を作る。眉根が2ミリは『やれやれ、あなたの無知無教養ぶりにはうんざりする、幼稚園からやり直して欲しい』という主張を婉曲に俺に伝えようとする時に決まって長門が発するサインである。実のところ俺はかなり頻繁に長門にこれをやられる。
「間でまったく息継ぎをしなければ2分56秒57までは短縮できるがそれ以上は発話に齟齬が発生することになる」
長門の瞳が28μmほど揺らぐ、これはまだ押しても大丈夫なとき、申告した情報に余裕をもたせているときの長門の癖のようなものである。
「2分52秒20ならどうだ…?」
「2分53秒81」
「よし」
この辺が限界だろうと見切りをつけ、俺はポケットからストップウォッチを取り出し、カウントの準備をして長門にゴーサインを出す。
「ジョンレノン対火星人というのは作中冒頭に出てくる刑務所の野球チームの三塁コーチャーが出す『左のきんたまを2度、右のきんたまを一度握る』というサインの発する指示に由来するその三塁コーチャーが自殺してしまったためその『ジョンレノン対火星人』というサインが意味するものはわからないままだったがその辺はとりあえず置いておいて物語は基本的にポルノグラフィ作家の主人公「わたし」同棲相手のパパゲーノ友人のヘーゲルの大倫理学ホステスのテータムオニールそしてきちがいの素晴らしい日本の戦争の5人を中心に物語が進んでいく様々な死体を幻視するきのちがってしまった素晴らしい日本の戦争を治療するためにセックスさせたり試行錯誤をするが、最終的に素晴らしい日本の戦争はきちがいのふりをしていただけだったことがわかるそれでも彼はきがちがっていないだけで様々な手法で殺された惨殺死体を幻視し続けてしまうということは自体は事実だったので結局耐えられずに死んでしまうそして素晴らしい日本の戦争を治療しようとしていた「わたし」たちは街をゆく人々をみな死体として幻視することになるこの作品の何が面白いのかというと作品自体に使われているあまりにも日常的な文体で理路整然とした文章という形態であまりにも異常な情景が描かれ続けることで私たちの日常が本当に正常であると言い切れるのだろうかという猜疑心を芽生えさせるところにあるひょっとしたら私たちの日常は非日常なのではないかそもそも日常などというものが存在するのかそれはそうとこの本を読んでいたということはこの小説はまだ読み終わってない状態であるということで読み終わってない小説をなぜわたしがここまで克明にオチまで説明できるのかということは深く触れないで欲しい」
2分53秒81
ぴったりである。さすがは長門だ。長門は目を150nmほど細め、眼球表面の水分量を0.7dℓほど貯めてこちらを見た。これは俺に反応を求める時のサインだ。
俺は眉を2度2ミリほど上下させ長門をじっと見つめる。これは『なるほど、さっぱりわからん』のサインである。
長門は目により多くの水分を貯めた(およそ7décilitreほど)、どうやら先ほどの俺のサインが3μsほど動作が遅れて『おまえの話は全然わからんし熱心に話してるその姿がキモい、死ね』のサインになってしまったようだ。目から涙をボロボロとこぼす長門は俺に背を向けると窓を開けて飛び降りようとする。
「おい、なにやってるんだ長門!ここは一階だぞ!」
なんとか組みついて静止させることに成功したが長門の内包するパワーは2000万馬力はゆうに超え、瞬発的(秒数にして30μsほど)に腕から発せられる力は80億kgfにも達する。
俺は四肢から血を1700mlほど吹き出し内臓は八割ほどやられてしまった。治療費に換算すれば200万はくだるまい。(昭和40年の200万は現在の2000万)
「…情報の伝達に齟齬が発生したかもしれない」
長門はそういうと少し落ち着いた様子を取り戻し、左のきんたまを2度、右のきんたまを1度握った。
これは『ジョン・レノン対火星人』のサインだ。
「…待て、長門。おまえにはきんたまはないはずだよな?」
ー「ジョン・レノン対長門有希」完
2016年8月9日火曜日
荻原楽太郎個展「失楽園」を見て
撮影:荻原楽太郎
私自身パフォーマンスの撮影などで時々お世話になっていた楽太郎氏の展示を見に来た。大きな仕事を8月中旬から控えており、果たして私に今東京に出かけて展示を見に行く余裕があるのだろうか、などとウンウン悩んでいるうちに、そもそもこの悩んでいる時間で展示を見に行けるのでは…?と思い、一念発起して東京に足を運ぶことにした次第である。
蒸し暑い8月の東京に向かう電車内はエアコンが大変よく効いており、むしろ肌寒かった。割と薄着で来てしまい服の選択を間違えたとつくづく思った。
半蔵門線に乗り換え、半蔵門で降りる。半蔵門線はどうやら半蔵門駅があるから半蔵門線なのであり、半蔵門駅は近くに半蔵門という門があるので半蔵門駅というそうである。さらに言うと半蔵門はもともと徳川家の家来、服部正成、正就の通称「半蔵」に由来するそうで、本来の半蔵門は太平洋戦争で焼失し、現在のものは和田倉門の高麗門を移築したものであるという。
その半蔵門駅から、暑さにやられてぼんやり歩いているとすぐつくような距離に今回の展示の会場「ANAGRA」は存在する。
地下1階に位置する展示会場は、全面がコンクリートで作られており、白塗りにされたコンクリートブロックに70枚以上の写真が展示されていた。展示会場中央にぽっかりと空いた穴は、狭い地下のスペースにつながっており、かつて貯水槽であったその狭い空間にも写真が展示されている。この展示空間はまさに楽太郎氏が今回展示している「失楽園」(と今回の展示ではぼかして呼称されている)と似た雰囲気を醸し出している。
私自身も彼が被写体として撮影する「失楽園」に所属していた時期があり、私がこの展示によって最も大きく揺さぶられた感情は一種の「郷愁」であった。
それは私がかつて子供だった時代、若者だった時代のフラッシュバックであり、立ち込めるタバコの煙や、燃え爆ぜる生木の臭い、炎に艶かしく照らされる人間の肌の性的な魅力であったり、家ではない空間、つまり居住スペースではない一種の共有スペースで解放される他人のだらしなさ、人が最も獣に近づく瞬間であったり、暗闇の中での友人との語らいであったり、半袖の腕に感じる湿度、肌に当たる水の冷たさや、肌寒さの中で感じるマフラーのぬくもりであった。
私は、私達は、かつてこのように生きたのだ、という記憶が、そこにはあった。
かつて私はあそこにいて、そして私はあそこを思い出し、実際に訪れることはできても、もはやあの楽園の一員になることは永久にかなわないのだ、という小さな絶望。
若かりし時の、未来への不安や希望、よくよく考えたら、私などあの「楽園」を失ってからもそもそも本質的には大して変わっていないのではないか、という落胆。
この展示会場には、確かに「“失”楽園」があった。
私は楽太郎氏の写真を眺めるとき、まるで自分自身の古い日記を読み返した時のような郷愁にかられるのだ。私がかつて持っていて、今は無くしてしまった何かを感じるのだ。それは何もあの失ってしまった楽園の写真にとどまらない、彼の撮影するライブの写真であっても静物の写真であっても、そこには私がかつて持っていて、今は失ってしまった何かが宿っているように思われる。
彼に出会ったのは、いつのことだったかもう忘れてしまったが、年上のようにも年下のようにも感じられる不思議な男であった。
彼はどんな場所にでも当たり前に居て、彼の持つ擦れてボロボロになったCanon5Dのレンズを通して、彼を取り巻く人々を記憶していくのだ。
彼はいつまでも彼自身の情熱と、そして彼がモデルとする被写体に内在する情熱を、関係者として、被写体との親密な友人として、そばに立ちながら記憶していくことだろう。
それは彼が、美術大学という場で多くの友人の作品や制作を記録する、というところから歩み始めた写真作家であることにも起因しているようにも思う。
私は、彼の生きる限り、誰かの情熱に溢れた生の記憶を彼の写真を通して感じ続けるのだ。
私は今回の展示で改めて彼の写真について考えた。
私は自分の周りの環境を記録することで、ここまで自分自身をさらけ出している写真作家を見たことがない。
そして、彼の写真を見ることは、誰かの人生を、そばに立つ友人として眺めることと同じことのように思えてきた。
それは、荻原楽太郎その人にしかできないことであり、彼自身の人間性に由来するものであるように感じるのだ。
彼の写真は彼の持つカメラのファインダーによって区切られ、光学的に現像された、切り取られた空間というだけのものではなく、荻原楽太郎という人間とその被写体との関係性までを想起させ、またその集団やコミュニティの関係性を追体験するようなものとなっている。
カメラを持っている荻原楽太郎は一切写真に写らないが、彼の写真から強烈に匂い立つイメージは、荻原楽太郎という男の人生の記憶なのだ。
だから彼の写真が好きだ、という人たちは、きっと荻原楽太郎の写真だけではなく、荻原楽太郎という人間の人生が好きなのだろうと、そのように感じた次第である。
そして、私たちが彼と共に同時代を生きる限り、彼の記憶した楽園の風景は、また、やがて失楽園と呼ばれることだろう。
荻原楽太郎tumblr
レポート:
パフォーマー、研究者、無職
johnsmith
2016年5月13日金曜日
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス」について
この映画はなんというか、本当に、いろいろなことがうまくいってない映画だと思う。
他の人はどう思っているのだろうと思い、ネットでレビューやら考察を掲載しているwebサイトを覗いてみると、出るわ出るわ、低評価のオンパレードである。
ただ、ちょくちょく見かける感想として、宇宙人のキャラクターが不快である、というものがあるが、この点に関しては、そのように作ってあるのだから、それはそうだろう、と思うし、そこを低評価の基準にするのは過ちであるのではないか、と思う次第である。
この映画に出てくる宇宙人たちは、地球人とは違う環境で育ち、違う価値観の元に生きてきた、地球人とは違う常識を持った人たちとして描かれている。
この点はこの映画をむしろ評価する点であると思う。
社会的な停滞感や、閉塞感、その状況の原因となる問題を「ヒママターの不足」という分かりやすいものとして設定し、違う価値観を持つ宇宙人と地球人が同様の問題意識を共有している、という出発点がある。ただ、その問題を解決するための方法が、価値観の違いゆえに異なる、という非常に難しいテーマを描こうとしているのではないか。
ぶっちゃけ全然子供向けなテーマではない。この映画には明確に悪意を持った敵が存在しないし、仮に宇宙人側の代表、サンデーゴロネスキーを完膚なきまでにやっつけたとしても、物語に設定された問題は解決しないのである。
この映画の鑑賞後の清涼感のなさは結局のところ、設定された問題に完璧な回答というものが存在しえないし、絶対的に正しいと言える選択も存在しないことに起因しているように思う。二つの価値観のすれ違いというテーマは、結局のところ無理やり一つの解法にたどり着かせようとすると、一方の力による屈服か、ご都合主義に流されがちなのだ。
こういうテーマをしっかり描いた作品として、例えば漫画版ナウシカがある。序盤ナウシカとクシャナはお互いの正義のためにすれ違い、終盤では古代文明の意思とも言える墓所の主の主張する論理的正しさと、ナウシカの主張する直感的正しさのぶつかり合いとなる。『風の谷のナウシカ』は異なる価値観を持つ人々と融和してきたナウシカが、最後に絶対に相容れない異なる価値観の正義を打ち倒す葛藤を描いているとも言えるだろう。こういう作品の場合、読者、視聴者の感情移入する側の主張は、だいたい「私たち人間の可能性に賭けましょう」という話になりがちである。『ドラえもん のび太と雲の王国』もそうだったし、本作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス』の野原一家の主張もそうである。
そして何より本作のやばいところは、子供向けアニメの設定する問題提起としては難易度の高すぎる「子供は親に育てられることが最も幸せであるか?」という家族のあり方そのものの根幹に対する問いを設定してしまっていることである。
クレヨンしんちゃんの映画はだいたい毎回興行収入10億前後の大人気映画である。そしてこの映画を観る層には、かなりの数の子供と親子連れがいるはずである。
家族のあり方や、社会の構造、親と子供の関係性が多様化している現代社会に対して、この問いかけは正直言ってナンセンスすぎるのだ。
一つの解答を示すことは、裏返せばその形ではない家庭を暗に批判することにもなりかねないし、幾つかのクレしん映画を見てきた人ならば感じるのではないかと思うが、クレヨンしんちゃんという作品における「家族」とはイコール「野原一家」のことなのである。だいたいどの作品でも、カスカベ防衛隊を助けに来るのはしんのすけの家族であるひろし、みさえ、ひまわりであり他の子供達の家族は往々にしてモブのような扱いとなってしまっていることが多い。だからこそ、クレヨンしんちゃんは、これがあるべき家族の形である、という主張の強い作品を避けてきたのではないか、と思う。そもそも映画の中ですら子供に対する行動力や情熱、という点で野原一家とカスカベ防衛隊のみんなの親に大きな格差が生じてしまっているのだ。(無論ストーリー上何人も親を活躍させることが、分かりやすさや尺の都合で不可能であるという考えがあるのだろうが)
子供から見たクレしんは、しんちゃんに感情移入して見るものであるので、自分の親であるひろしとみさえ、妹であるひまわりが一番活躍するというのはよく分かる。子供の目線で考えれば、友達の親、というものは正直あまり視界に入らないものであるので、この描き方も納得のいくものがある。大人の目から見たクレしんは、ひろしやみさえを通して、俺、私にもこういうところあるよね、というような部分部分の感情移入を促しているように思える。家族、というテーマを扱っているからこそ、今までのクレしんの映画は、家族というものそのものを根源的に問うテーマを避けてきたのではないかと思う。
ある意味で本作は、今までのクレしんとは大きく異なる路線を目指した冒険作であるとも言える。本来だったら敵に当たるキャラクターたちは明確に敵意を持っているわけではなく、問われるのは家族としての野原一家のあり方である。(これは同じ監督が監督する前作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ黄金のスパイ大作戦』でも似たようなスタンスを取っていることから、この監督が人気作であるクレヨンしんちゃんの映画を作る上で示すべきと考えた一つの方向性なのかもしれない。)国民的アニメ、という言葉があるが、その国民の生活が時代の移り変わりによって変化していく中で「お前たちは国民的アニメのキャラクターとして本当にそのままでいいのか?」と問うているようにも感じられる。そして、やはりテーマに対して明確な解答を示さない。野原一家はその問題提起を解決することもなく、また、向こうの意見に対し反論する意見を示すでもなく、各人の気合いとがむしゃらさと、なんとなく序盤に出てきた伏線とも言えないような予言と整合性をつける、というご都合主義で幕を引く。異なる価値観をすり合わせるのはある意味で大人の仕事であると言えるだろう。ひろしとみさえは結局、既存の自分たちの持ってる価値観を曲げることもなく、まあなんとなく今まで通りに戻れるしよしにするか、という感じで春日部に帰っていく。彼らは結局のところ、相手の正しさをがむしゃらさというパワーで自分たちの正しさのもとにねじ伏せただけである。
ある意味でこの作品は群像劇なのだ。目指すべき目的のために一致団結して問題を解決するのではない。各人がいろいろがむしゃらにやってたら、なんとなく問題が解決してしまった。という腑に落ちなさがこの作品の弱点とも言えるだろう。しかし、アニメの世界や子供の世界は努力、友情、勝利、みたいなシンプルな方程式が成り立つのかもしれないけど、大人の社会から見えている世界って実際にこんなもんなんじゃないか、とも思う。
やたらと大人と子供、という話をしているが、この作品は子供がいつか大人になる、ということを明示的に示した作品でもある、この路線を示したクレしん映画といえば「未来の花嫁」もあるが、あれは具体的に大人のしんのすけをしんのすけとは別のキャラクターとして登場させてしまっているので、少し方向性が違うだろう。この作品の該当部分は、まさに映画の最後で、ゴロネスキーがしんのすけに、大人になった時にお詫びに贈り物をしようという提案をし、しんのすけが「え〜そんな先?」と言うシーンである。この時のゴロネスキーの返答はこうだ。「そうかな?意外とすぐだぞ?」。
僕はこの描写に、親世代が理解できず許容できなかった価値観のすれ違いに、いずれ大人になったしんのすけが向き合うことになる、という暗示が込められているように思う。
その時にしんのすけは一体どんな答えを出すのだろうか。
というわけで、この作品はとても示唆的で、実験的で、今までのクレしん映画にとらわれない凄い作品であると、私は思っている。
ただ、やっぱり、なんというか、一言で言ってしまうと、つまらないのである。
それはこの作品だけで話が結局解決していない、という物語的な欠陥のせいでもあるし、問題提起に対してとりあえずでも回答を示すわけでもなく、野原一家も今回の騒動で、変わったり成長した点がたいしてないからということにも起因するのだろうが…
そして何より端的この作品は、映画を娯楽としてなんとなく楽しめない作品であるということが大きいのだろう。小難しいことを言いつつも、やはり私も映画に享楽的な、享受しやすい快楽を求めてしまっているのだなぁ、と思ってしまう次第である。
他の人はどう思っているのだろうと思い、ネットでレビューやら考察を掲載しているwebサイトを覗いてみると、出るわ出るわ、低評価のオンパレードである。
ただ、ちょくちょく見かける感想として、宇宙人のキャラクターが不快である、というものがあるが、この点に関しては、そのように作ってあるのだから、それはそうだろう、と思うし、そこを低評価の基準にするのは過ちであるのではないか、と思う次第である。
この映画に出てくる宇宙人たちは、地球人とは違う環境で育ち、違う価値観の元に生きてきた、地球人とは違う常識を持った人たちとして描かれている。
この点はこの映画をむしろ評価する点であると思う。
社会的な停滞感や、閉塞感、その状況の原因となる問題を「ヒママターの不足」という分かりやすいものとして設定し、違う価値観を持つ宇宙人と地球人が同様の問題意識を共有している、という出発点がある。ただ、その問題を解決するための方法が、価値観の違いゆえに異なる、という非常に難しいテーマを描こうとしているのではないか。
ぶっちゃけ全然子供向けなテーマではない。この映画には明確に悪意を持った敵が存在しないし、仮に宇宙人側の代表、サンデーゴロネスキーを完膚なきまでにやっつけたとしても、物語に設定された問題は解決しないのである。
この映画の鑑賞後の清涼感のなさは結局のところ、設定された問題に完璧な回答というものが存在しえないし、絶対的に正しいと言える選択も存在しないことに起因しているように思う。二つの価値観のすれ違いというテーマは、結局のところ無理やり一つの解法にたどり着かせようとすると、一方の力による屈服か、ご都合主義に流されがちなのだ。
こういうテーマをしっかり描いた作品として、例えば漫画版ナウシカがある。序盤ナウシカとクシャナはお互いの正義のためにすれ違い、終盤では古代文明の意思とも言える墓所の主の主張する論理的正しさと、ナウシカの主張する直感的正しさのぶつかり合いとなる。『風の谷のナウシカ』は異なる価値観を持つ人々と融和してきたナウシカが、最後に絶対に相容れない異なる価値観の正義を打ち倒す葛藤を描いているとも言えるだろう。こういう作品の場合、読者、視聴者の感情移入する側の主張は、だいたい「私たち人間の可能性に賭けましょう」という話になりがちである。『ドラえもん のび太と雲の王国』もそうだったし、本作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス』の野原一家の主張もそうである。
そして何より本作のやばいところは、子供向けアニメの設定する問題提起としては難易度の高すぎる「子供は親に育てられることが最も幸せであるか?」という家族のあり方そのものの根幹に対する問いを設定してしまっていることである。
クレヨンしんちゃんの映画はだいたい毎回興行収入10億前後の大人気映画である。そしてこの映画を観る層には、かなりの数の子供と親子連れがいるはずである。
家族のあり方や、社会の構造、親と子供の関係性が多様化している現代社会に対して、この問いかけは正直言ってナンセンスすぎるのだ。
一つの解答を示すことは、裏返せばその形ではない家庭を暗に批判することにもなりかねないし、幾つかのクレしん映画を見てきた人ならば感じるのではないかと思うが、クレヨンしんちゃんという作品における「家族」とはイコール「野原一家」のことなのである。だいたいどの作品でも、カスカベ防衛隊を助けに来るのはしんのすけの家族であるひろし、みさえ、ひまわりであり他の子供達の家族は往々にしてモブのような扱いとなってしまっていることが多い。だからこそ、クレヨンしんちゃんは、これがあるべき家族の形である、という主張の強い作品を避けてきたのではないか、と思う。そもそも映画の中ですら子供に対する行動力や情熱、という点で野原一家とカスカベ防衛隊のみんなの親に大きな格差が生じてしまっているのだ。(無論ストーリー上何人も親を活躍させることが、分かりやすさや尺の都合で不可能であるという考えがあるのだろうが)
子供から見たクレしんは、しんちゃんに感情移入して見るものであるので、自分の親であるひろしとみさえ、妹であるひまわりが一番活躍するというのはよく分かる。子供の目線で考えれば、友達の親、というものは正直あまり視界に入らないものであるので、この描き方も納得のいくものがある。大人の目から見たクレしんは、ひろしやみさえを通して、俺、私にもこういうところあるよね、というような部分部分の感情移入を促しているように思える。家族、というテーマを扱っているからこそ、今までのクレしんの映画は、家族というものそのものを根源的に問うテーマを避けてきたのではないかと思う。
ある意味で本作は、今までのクレしんとは大きく異なる路線を目指した冒険作であるとも言える。本来だったら敵に当たるキャラクターたちは明確に敵意を持っているわけではなく、問われるのは家族としての野原一家のあり方である。(これは同じ監督が監督する前作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ黄金のスパイ大作戦』でも似たようなスタンスを取っていることから、この監督が人気作であるクレヨンしんちゃんの映画を作る上で示すべきと考えた一つの方向性なのかもしれない。)国民的アニメ、という言葉があるが、その国民の生活が時代の移り変わりによって変化していく中で「お前たちは国民的アニメのキャラクターとして本当にそのままでいいのか?」と問うているようにも感じられる。そして、やはりテーマに対して明確な解答を示さない。野原一家はその問題提起を解決することもなく、また、向こうの意見に対し反論する意見を示すでもなく、各人の気合いとがむしゃらさと、なんとなく序盤に出てきた伏線とも言えないような予言と整合性をつける、というご都合主義で幕を引く。異なる価値観をすり合わせるのはある意味で大人の仕事であると言えるだろう。ひろしとみさえは結局、既存の自分たちの持ってる価値観を曲げることもなく、まあなんとなく今まで通りに戻れるしよしにするか、という感じで春日部に帰っていく。彼らは結局のところ、相手の正しさをがむしゃらさというパワーで自分たちの正しさのもとにねじ伏せただけである。
ある意味でこの作品は群像劇なのだ。目指すべき目的のために一致団結して問題を解決するのではない。各人がいろいろがむしゃらにやってたら、なんとなく問題が解決してしまった。という腑に落ちなさがこの作品の弱点とも言えるだろう。しかし、アニメの世界や子供の世界は努力、友情、勝利、みたいなシンプルな方程式が成り立つのかもしれないけど、大人の社会から見えている世界って実際にこんなもんなんじゃないか、とも思う。
やたらと大人と子供、という話をしているが、この作品は子供がいつか大人になる、ということを明示的に示した作品でもある、この路線を示したクレしん映画といえば「未来の花嫁」もあるが、あれは具体的に大人のしんのすけをしんのすけとは別のキャラクターとして登場させてしまっているので、少し方向性が違うだろう。この作品の該当部分は、まさに映画の最後で、ゴロネスキーがしんのすけに、大人になった時にお詫びに贈り物をしようという提案をし、しんのすけが「え〜そんな先?」と言うシーンである。この時のゴロネスキーの返答はこうだ。「そうかな?意外とすぐだぞ?」。
僕はこの描写に、親世代が理解できず許容できなかった価値観のすれ違いに、いずれ大人になったしんのすけが向き合うことになる、という暗示が込められているように思う。
その時にしんのすけは一体どんな答えを出すのだろうか。
というわけで、この作品はとても示唆的で、実験的で、今までのクレしん映画にとらわれない凄い作品であると、私は思っている。
ただ、やっぱり、なんというか、一言で言ってしまうと、つまらないのである。
それはこの作品だけで話が結局解決していない、という物語的な欠陥のせいでもあるし、問題提起に対してとりあえずでも回答を示すわけでもなく、野原一家も今回の騒動で、変わったり成長した点がたいしてないからということにも起因するのだろうが…
そして何より端的この作品は、映画を娯楽としてなんとなく楽しめない作品であるということが大きいのだろう。小難しいことを言いつつも、やはり私も映画に享楽的な、享受しやすい快楽を求めてしまっているのだなぁ、と思ってしまう次第である。
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