2016年10月22日土曜日

終末期の赤い長門有希

ハルヒがブラジルに行ってみたい、と本気で願ったので、昨日から世界中がブラジルになってしまった。念願のブラジルに行くことのできたハルヒは(無論この場合ブラジルが来た、と言う方が正しいが)有頂天で朝比奈さんにサンバのコスプレをさせてダンスの練習に余念がないようだ。俺はずいぶん久しぶりにハルヒありがとう、と思ったのだった。

「わたしたちの世界は情報統合思念体に監視されている」
と長門が言ったので、俺はどうしたことか、と思った。
「あの本の隙間から私を見ている人がいる」
俺は長門の様子をつぶさに観察する。
「朝比奈みくるの髪の毛の隙間にもいる」
ブツブツと呟く長門の体はガタガタと震え、呼吸が安定していない。目の下のクマは酷く、不自然な発汗がある。とぎれとぎれに涙が溢れている目は虚ろだ。どうやらまた覚醒剤の禁断症状らしい。
「程々にしとけよ」
と俺は言っておくことにした。

「キョンくん、すでにどうかしてしまったんですか?」
朝比奈さんが長門の前で虚空を見つめるを俺を見咎めて、声をかけてくれたようだ。
「いえ、なんでもないんですよ」
そう言うと朝比奈さんは、不思議そうな、まるで俺が言ったことを理解できないと言うような顔をして首をかしげた。
「ああ、いや、なんでも『ないんだろう』ですよ」
朝比奈さんは過去現在未来の時勢を正しく認識できない点を除けば、とても素晴らしい、天使のような女性だ。
彼女はなぜか、未来形で話された時勢の言葉しか認識できないのだ。
「なんだが悩んでいたみたいだったから…お茶が入るでしょうですよ?」
朝比奈さんが使う未来形の表現は、朝比奈さんの行動に限り基本的に現在形、あるいは現在進行形であると認識すれば大方間違いはない。そして彼女が俺たちの行動を表現するときは、押し並べて現在だろうと過去だろうと過去完了形になる。
なぜなら彼女は未来からやって来た未来人だからだ。そうとしか言いようがないし、俺もそれがそういう病気なのは理解してるつもりだ。
ただ、一点難しいところは、日本語には厳密に未来形の文法が存在しないので、どうしてもうまく表現できないときは、会話の中に英語のwillを入れ込めば朝比奈さんが認識してくれるということは、最近の研究でわかったことだ。
「お砂糖はいくつ入れてほしかったですか?」
と朝比奈さんが聞くので、俺は
「2つ入れて欲しいでしょう」
と答えた。
そうして俺はこれから暖かくなるだろうお茶を手に取ろうとすると、「あつっ」とつぶやこうとして朝比奈さんは「大丈夫だったんですか?」と尋ねるでしょう。

かつて長門の脳がまだ吸水性の悪いスポンジに変質していなかったころ、
「宇宙では、未来完了という表現は存在しないと言うのが定説になっている」
ということを言っていたのを思い出したが、自分を未来人だと言う朝比奈さんは、一体どこで自分を完了させることができるのか、俺は到底考えもつかず当惑してしまった。

古泉は、自分は超能力者のはずだ、と言って聞かず、先月、今日こそ超能力をお見せしますよ、と俺に言って校舎の屋上から飛び降りて帰らぬ人になってしまった。

「あー暇ね、キョン!何か面白いことしなさい」
この無茶振りをする女は涼宮ハルヒという女だ。ハルヒはシルバニアファミリーの森の大きなおうちの、リビングのソファに座る、バスマジックリンのキャップに話しかけている。ハルヒは世の中のなんでもが自分の思う通りに行かないと納得いかない女で、それこそ入学当初は様々な傍若無人な振る舞いをしたものだが、今ではこのシルバニアファミリー森の大きなおうちのリビングをSOS団団室と呼び、そこで、バスマジックリンのキャップと咳止めブロン錠のビンとRX–78-2ガンダムとつまようじと共にたのしそうに暮らしているのである。時折そこに小林製薬の「トイレその後に」などが現れてSOS団の団結を破壊しようと画策するのだが、ハルヒ曰く「SOS団は永久に不滅」らしい。
全く俺も誇らしいぜ、ハルヒさんよ。
そう言うとハルヒは箱庭から顔を上げて俺の顔を見て、
「あんただれ?」
と言うのだった。
しかし、
「涼宮さんの事は気にしなくてよかったですね」
と朝比奈さんが俺に言おうとするので、俺はいくらか落ち着くであろうし、
「いえ、そんなに気にしようとするだろうという訳じゃないんでしょうが」
と俺が答えるだろうが、朝比奈さんは、
「そんなことより明日買い物に付き合ってくれましたか?」
と言うだろう。そして俺は、
「もちろん、付き合うでしょうね」
と答えるのだろうな。

長門は今日も部屋の隅でガタガタと震えていた。

「終末期の赤い長門有希」完

地球の長い長門有希

カレー食べ放題の店があるという話を谷口から聞いたので、なんとなく長門に話を振って見たら、
「今日涼宮ハルヒが死ぬということが確定していたとしても、いくべき」
と物騒なことを言ったので俺たちは今、そのカレーが食べ放題であるという店の前に来ている。
どちらかといえばそこまで大量に食べる方ではないので食べ放題というものを倦厭していた俺だが、あの長門の頼みとなれば、たまにはこんな冒険をしてみるのもいいのではないかと思ったのだ。食べ放題の料金は1700円とやや割高だったが、日頃俺が長門から受けている恩恵を考えれば安いものだと自分に言い聞かせた。5種類のカレーのどの種類でもおかわり自由という形式のようで、メニューを食い入るように見る長門の目は、テスラコイルの放電もかくやと言わんばかりにキラキラと輝いている。
「これとこれとこれがいい」
と長門が言う、
「注文は一つずつにしなさい」
なんだかこんな時、俺はまるで長門の父親であるかのような錯覚を覚える。
長門は夕食を取り上げられた犬のようにしょんぼりとした様子を示すので(といってもわずかに眉を下げただけだったが)
「じゃあ、俺はこれを頼むから、長門はもう二つの中から、先に食べたいのを頼めばいいだろ」
そう言うと、長門は輝かんばかりの笑顔で(これもやはり、口元が少し上に上がっただけだったが)和風明太子カレーなる品を指差した。
「それにおかわり自由だから、他に食べたいものも、後からおかわりすればいい」
なんだか微笑ましい光景じゃないか、などとこの時は思っていた、まさかあんなことになるとは思っていなかったんだ。

結果を言えば、長門が際限なくカレーを食べ続けたことによって世界は大規模な食糧難に見舞われてしまった。そしてSOS団の仲間たちは、今日もまた食料を求めて荒廃した砂漠の上をあてどなく歩いている。
ここにはかつて東京があったのだ。今ではもう、その名残さえ見ることは叶わない。
かつてここには文明があったのだ。しかし文明とはやはり、食うものがあってこそだ。衣食たりて、なんとやらとはよく言ったものだ。
そうして俺たちは、ハルヒの足にかじりつきながら、食料を求めて西へ西へと足を進めていった。
地球は今や、繁栄の時期を終え、長い午睡のまどろみに落ちようとしていた。
豊かな緑も、人類の文明の足跡も、もう見つけることの方が難しいだろう。
それでも、地球は午睡のまどろみの中で、夢を見るのだ。
そして時折俺は考える。その夢こそが俺たちなのではないだろうか、と。

「地球の長い長門有希」完


2016年10月21日金曜日

長門有希の異常な愛情 または長門有希は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

『さよならだけが人生だ』、と言う言葉が、誰の言葉だったかは思い出せないのだが、『吾輩は猫である、名前はまだない』と言う言葉を誰が言ったのかはわかる。猫だ。とはいえ猫が話すなどということを信じていたかというとこれは確信を持って言えるが信じてなどいなかった。うちにはシャミセンという話す猫がいるが、あれは長門の腹話術だったので、ノーカウントだ。
という訳で猫が話すということを断固として信じないという意思を表明して以来、長門が俺の家に居候を始めたのである。なんでも「いつ猫が話すかわからないから、いつでも腹話術をできるようにしている」とのことだ。そういえば古泉も閉鎖空間とかいうところに俺を連れていって神人なるものを俺に見せたが、やはりあれも、光の加減とか、空気の淀みとかで、そういう風に見えただけであろうと俺は思っている。人がいなかったのは俺の知らない間にどこか遠くのバーゲンでセールか何かやっていたんだろうし、神人がビルを破壊していたように見えたのも、光の加減で巨人らしき影が見えたあたりに、偶然老朽化で限界のきているビルがあったか、どこかの主婦の不注意でガス爆発が起こった、というようなところが真相だろう、何も不思議じゃないな。朝比奈さんは自分は未来から来た、と俺に言ったが、そんなことはあり得るはずがない、過去なるところにも連れて行かれたことがあるが、あれも、その前に起こった貧血のような症状を考えると、白昼夢であったことは明白だろう。仮に、もし現実だったとしても、あの小さなハルヒみたいなやつだって、多分ハルヒの妹か何かだったんだろう。俺はハルヒの家の家族構成を知らんしな。今隣で漫画を読みながら焼き芋を食べている長門も、自分は情報統合思念体から派遣されたヒューマノイドインターフェイスである、とか言っていたが、やはりあれもちょっとした長門の妄想だったんだろう。朝倉に襲われた時は随分面食らったが、ドアが開かなかった件にしても、あのドアはもともと立て付けが悪かったし、教室の風景が一変したのも、光のいたずらか何かだろう、長門が光になって消えかけたり、朝倉が光になって消えたりしたが、やはりあれも偶然に偶然に偶然が重なって、たまたま朝倉が光になって消えたように見えた翌日に俺に襲い掛かったのが気まずくなって転校したりしたのだろう。それにひょっとしたら、朝倉は光になって消えるタイプの人だったのかもしれない訳で。後日朝倉が突然帰ってきたり、ハルヒが消えたりもしたが、よくよく考えればクラス総出で俺を驚かすために仕組んだ、ハルヒ発案のドッキリだったのではないかと思えば辻褄があってしまう。何より朝倉が帰ってきたということは、朝倉が光になって消えたことがトリックであったことを証明しているようなものだ。という訳で俺の平々凡々で退屈な毎日は、今日も変わらず続いている訳である。ただ、俺の部屋で猫を抱えながら、延々と腹話術をやっている長門がいるということは、ちょっとした変化だと認めないわけにはいかないんだろうな。
そういえば、今頃ハルヒたちは何をやってるんだろうか。案外、俺の知らないところで不思議な現象に出くわしたりしているのかもしれんな、などと考えてみたが、やはりこの世に不思議なことなど何一つないのだ、と考え直した。

「長門有希の異常な愛情 または長門有希は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」完

長門有希は長門有希の長門有希を長門有希か?

全ての道はパチンコに通ずると言う、かつての偉大なローマの偉人の言葉がある。全くこの言葉の通りで、時間の経過によって忘れ去られつつある作品たちは、みんなパチンコに吸い寄せられるかのように集まっていき、やがてステンレスの球を吐き出したり、チューリップを開閉させたり、暁美ほむらの演出から美樹さやかの『私ってほんとバカ』に移行して遊戯者をキレさせたりするのである。あの尊大な涼宮ハルヒもこの例外にもれず、俺は奴が物言わぬ鉄の箱となって、パトランプをピカピカ光らせたり、スピーカーからかつてのハルヒを思い出させるセリフを再生したり、下の口からステンレス玉を吐き出している姿を見て、えも言えぬ郷愁に襲われたものである。

10月も半ばに入り、やや肌寒くなってきた頃のことだ。
俺はいつものように谷口のナンパの誘いをなあなあに断ったり、国木田のキョンは変な女が好きと言う話題を適当にあしらったり、ワックスを塗ったり取ったりしてカラテの訓練をしたりと言う、いつも通りの日常を送っていたのである。そうです私が変な女です、と志村けんの声真似で話題に乱入してきた長門の延髄に流れるような手刀を叩き込んで黙らせたりと言うのも、言うなればありきたりな青春の一ページといった具合だ。
朝倉が俺の席の後ろに座ったので、何のことはない、また“消失”だな、と決めつけて、ダラダラと始まったホームルームの内容を小耳に挟みながら俺はこの騒がしい青春から一時期逃れるためにまどろみに沈むのだった。

目を覚ますとどうやらもう放課後らしい、何の事は無い俺は今日の授業時間を全て睡眠に譲り渡し今目覚めた、と言うだけのことだった。

「遅いよ」
朝倉涼子が俺に笑いかけていた。
「お前か…」
と俺は答えた。
「人間はさあ、よく『板垣死すとも自由は死せず』って言うよね、これ、どう思う?」
それは板垣退助しか言っていないのではないだろうか。
「『ブルータス、お前もか』だったかしら」
それもユリウス・カエサルしか言っていないではないだろうか。
「それを言うなら、『やはりエジプトか……いつ出発する? わたしも同行する』」
それも花京院典明しか言ってない。何だ長門、いつもより早かったな。
「じゃあ『あなたを殺して涼宮ハルヒの出方を見る』だったかしら」
それはもうちょっと後のセリフだろ。
結局その日はセリフを思い出せず、帰りにコンビニで肉まんを買って、たわいのない談笑をした後、明日こそ文芸部でプルーストの『失われた時を求めて』を読破しよう、と三人で約束して、遅まきながら俺は帰途についたのでだった。

「長門有希は長門有希の長門有希を長門有希か?」完

ガニメデの優しい長門有希

「ルールは解るか?」
否定。
−谷川流「涼宮ハルヒの憂鬱」

長門とぼんやりと怠惰な土曜の昼下がりを過ごしていると朝比奈さんが現れてこう言った。
「今日はキョンくんに未来の世界を見てもらいます」
出し抜けな提案に、俺は仰天動地した。俺は天であり地である釈迦なので、この用法は何も間違っていない。
「じゃあ、目をつぶってください、行きますよ」
有無を言わせずに朝比奈さんはお得意のPTSDを使って俺を未来の世界に連れ去ったのである。

「…わぁ〜お姉さん未来の世界ってこうなっているんだね」
お前はモグタン!違った、長門だった。急にモグタンの声真似をするなというのに。なぜ長門がここにいるのか、ということは、いつも通りの天丼ネタなのであえて突っ込まないことにした。
しかし改めて辺りを見回すと、そこはぺんぺん草一本生えない荒野で、そこら中に転がる赤紫のゲル状の塊と、ところどころ黒く煤けたビルの残骸が目に入るばかりだった。
「あれが西暦4872年の人間の姿です」
朝比奈さんは時折内部からゴポリと気泡を吐き出す赤紫のゲル状の塊を指差して言った。
「未来では高濃度に化学汚染された大気に人間の体が適応することができず、人間は自分たちの手で人類をあの赤紫のゲル状生物に変質させたんです」
ショッキングな話であったので、俺は随分長いこと状況を飲み込めずにいたが、長門が、
「未来では常識、あなたは遅れている」
と言い放ったので、俺は信じることにした。いくら2856年ほど時代遅れになっていたとしてもナウい感性は維持して行きたいじゃないか。
ふと足元に当たったプラスチックの破片を見てなんとなく朝比奈さんに、
「これはなんですか?」
と尋ねると
「それはプラスチックの破片です」
と言った。
長門がまたしても、
「あなたの常識の無さには呆れ果てる」
と言ったので、俺は長門をつねった。
「4000年代初頭に起こったバイオハザードの影響で、地上の植物はほとんど絶滅してしまいました」
それだけではこの荒廃具合は説明がつかない気がするが…
「植物の絶滅で問題になったのは、植物を主な食料とする牛の絶滅です。3000年代おわりの第27次世界大戦の影響で世界はマーフィーの法則を応用したバター猫タービンによる永久エネルギー世代に突入していたため、バターが生産できなくなった人類は大きなエネルギー問題に直面します。」
俺は一つの疑問に思い当たった、バターがないなら、マーガリンやジャムを使えばいいのではないだろうか。しかしその小さな希望も、朝比奈さんの次の言葉で打ち砕かれることになるとは俺は予想だにしていなかったのだ。
「マーガリンも、ジャムも、植物がないと生産できません」
なんてことだ、かくしてバターを塗ったパンと猫によって支えられてきた人間の営みはもろくも崩れ去ったと言うわけだ。
「核エネルギーも石油も、3000年代初頭には使い尽くされてしまっていました、加速度的な人類の進歩が逆に人類の首を絞めることになったんです、水素燃料も製造過程で二酸化炭素を大量に排出することから、人類の死期を結果的に早めるとして禁止されていました」
そんな現実を知ってしまった俺は、帰ったら絶対にテレビをつけっぱなしにしたり、コタツで寝たりしないぞ、と心に誓ったのだった。
「4200年代には、酸素濃度が人間の活動できる限界近くまで下がっていました。宇宙へ進出する、と言う選択肢も残るには残っていたのですが、最新鋭のシャトルはほとんどがバター猫タービンを動力源にしていましたし、旧来型のロケットは数隻現存したものの、運用技術が失われて久しく、現実的ではありませんでした、こうして人類は、より低い酸素濃度で生活できるように自分たち自身の体の方を変化させることを選択したんです」
それがこの赤紫のゲル状生物だとは…。俺は絶望で、目の前が真っ暗になる気持ちだった。
「有効酸素濃度が低い、と言うことは、生命としての活動を著しく制限されることになります。つまりその赤紫のゲル状生物は、ほとんど何も考えることもできず、ただ、そこに生きているだけの存在なんですよ」
何か、何か希望はないのか、俺はこんな絶望的な未来のために生きているわけじゃないんだ。宇宙人がやってきて抜本的な解決策を提示してくれるとか、そう言う奇跡は起こらなかったのか。
「宇宙人などいない」
そうか、長門が言うと説得力があるな。

そうして未来の世界を観光者さながらに見て回った俺たちは、旅の終点で海岸に埋もれる自由の女神像を見つけるのだった。
なんてことだ!ここはアメリカだったんだ!

「ガニメデの優しい長門有希」完

ライ麦畑で長門有希

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、メル・ギブソンがいたら、私のところに来なさい。以上」
というわけでまさかハルヒが本当にメル・ギブソンを連れてくるとは思っていなかった俺であったので、まさかメルが『マッド・マックス サンダードーム』の冒頭の姿で転校生としてやって来た時には随分驚いたものだが、人間というのは環境に適応する生き物であるので、何変わることなく俺たちは普通の学園生活を送っている。メル・ギブソンにだって人並みの学生時代はあったはずなので、メルがいるから非日常である、などと言われたら、メル・ギブソンもとんだ迷惑だろう。

というわけで俺は何変わることなく、宇宙人の長門有希、未来から来た猫型ロボットのドラえもん、『マッド・マックス サンダードーム』冒頭のメル・ギブソンに囲まれて、それなりに楽しい学園生活を謳歌しているのである。

「見た目に騙されてはいけない」と時折ドラえもんはいう、メル・ギブソンは「あなたは私の心をお読みになった!」と言って平身低頭ドラえもんを慕う。これも言うなれば、ありがちな青春ドラマであって、一般的な高校生であれば、誰だって一度はそういう場面に遭遇したことがあるだろう。でも、誰がどう見たって、ドラえもんはタヌキのロボットだ。猫型である、というのは、あいつ流のジョークのようなものなんだろう。俺の家にいるシャミセンと見比べてもどうしたってあいつが猫型とは思えないのだ。似てるところはヒゲくらいのものだが、それこそヒゲなんて、タヌキにだって、サルバドール・ダリにだって生えている。

『午後七時、陽光園駅前公園にて待つ』と書かれた栞を長門が手裏剣のように何枚も俺に向かって投げつけて来た。どうやら俺が随分と本を読まないので業を煮やしたように思える。

これで長門がいなかったら笑ってやるが、どうやら笑わずに済んだようだ。
「ひょっとして、毎日待っていたとか」
と長門が言った。
どういう意味だ、それは
「…今のは腹話術」
それは随分先に出てくるセリフだぞ、長門よ。

しかしまあ、結局のところ。
最初に話すことは決まっているのだ。
そう、まず−−。
宇宙人と未来人とメル・ギブソンについて話してやろうと俺は思っている。

「ライ麦畑で長門有希」完

2001年宇宙の長門有希

イギリスに出現したポップ・アートとビートルズ音楽は、一瞬のうちに全世界を風靡し、タレントを一変させたのである。 − 瀬木慎一「第三の芸術」

2001年頃には、俺は何をやっていただろうか。なぜならハルヒが時空震を起こし時空を断裂させたのが、涼宮ハルヒの憂鬱が発表された2003年から3年引いて2000年、2001頃には俺は佐々木と随分ねんごろにやっていたはずであるのだが、どうもそのあたりの記憶がおぼろげである。今年はもう2016年も終わりに差しかかりつつある、時の流れは早いもので、ハルヒが2007年ごろから3年ほど書店のそこらで「ごめんネ!」と謝り続けていた時期からも、もう6年が経っていることになる。かくいう俺は未だに高校生をやっている。誰だってそうだ、だから俺だってそうだ。

今日も今日とて俺は部室に行くのだが、そういえばここ4年ほどハルヒの奴を見かけていない気がする。席は真後ろだというのに、変な話だ。いや、俺の後頭部には目がついていないので当然といえば当然かもしれないのだが。
部室では相変わらず長門が窓辺で本を読んでいる。やはり長門がいないとな、と思う。長門のいないSOS団室など、ドラえもんのいない『ドラえもん』、寄生獣の出てこない『寄生獣』、範馬刃牙の出てこない『グラップラー刃牙』みたいなものだ。「よう」と俺はいつも通りに声をかける。これもかれこれ15年近く続けてきた、いつも通りの俺の日常だ。

「いつもより15秒27遅い」
長門は本から目を上げずに、ぽそりと呟いた。すまんな、谷口を避ける際にいつもより右に30センチほど大きく迂回してしまったのがトータルのタイムに響いてしまったようだ。
「今日は古泉いつきも朝比奈みくるもこない」
長門が言うからにはそれは確実なことなんだろうな、と思い、俺はカバンを椅子に置いて、いつもの定位置についた。話題がないので、長門読んでいる本を眺めてみる。どうやら今日は国語辞典が長門のお気に入りらしい。
「そんなの読んで面白いのか?」
俺はいつも通りに長門に問いかけた。これは毎度恒例のやりとりなのだが、最初の頃のハイペリオンなどに比べ、読んでいる本がやれ電話帳だの、寄生虫図鑑だの、フィリピン・タガログ語入門だの、世界最終戦争論だのと特殊化の一途をたどっているが、それはひょっとしてギャグでやっているのだろうか。
長門読破した本は本棚に入りきらず積み上げられて、今では高さにして20キロメートルはゆうに超えた分量になっている。
「そういえば長門よ、この前貸した30万円なんだが」
「借りてない」
長門は間髪入れずに返事をする。そういえば貸してなかったな。
俺は困った様に頭をかいて、今言った自分のジョークのつまらなさを反省した。
「今のはジョーク…?」
長門がやや上目遣いでこちらを見ながら俺に問いかけた。長門の感情を読み取ることに長けた俺だからわかることだが、こう言う表情の時の長門は、大体の場合、俺の言ったジョークのどこが面白かったのかを説明させて辱めてやろう、と言う魂胆である場合が多い。今までのところ178パーセントがそうだったし、今回もそうだろう。
「長門よ、受けなかったジョークを説明させることがどれだけ屈辱的かわかるか?」
と少し強い口調で言ってみた。長門は目を左右に7メートルほど泳がせながら下手な口笛を吹いてごまかそうとした。お前口笛下手だな。
「ところでわたしはあんまんが食べたい」
長門無理矢理な話題の転換に、俺はずっこけかけたがギリギリ3メートルほど上体そらすだけにとどめた。長門は追い詰められると意外と弱いのである。
「わたしはあんまんが食べたい」
もちろんあんまんなど持ち歩いているはずもない、かと言ってここからコンビニまで買いに行こうとすると、最寄りのコンビニまでの距離は98キロあるので随分と時間を浪費してしまうことになる。長門さんや、どうにか我慢していただくことはできませんかね。
「あんまん」
俺は頑として言うことを聞かない長門の口に電話帳を詰め込むと長門はそれを咀嚼し、満足した様に小さなゲップをした。若い女の子が、はしたないなどと思うが、ハルヒよりマシか、と何の益もない比較をして、何だかツボに入ってしまい、吹き出してしまった。
長門は自分が笑われたものだと勘違いして、どうやらお怒りの様である。
朝倉と戦っていた時に朝倉が飛ばしていた、黒い槍みたいなやつを俺に向かって時速365キロメートルでビュンビュン飛ばしてくるので、必死に避けていると、ふと長門が、
「秒速5センチメートル…」
と呟いた。
「何だそれは」

「カタツムリの移動する速度の約10倍の速度」
そうか。
「雲の向こうの天の川銀河は約秒速600キロメートルで運動している」
お、何だ、ちょっと宇宙人っぽいぞ、長門。
「君の名は?」
「それは言えない、お約束だ」

こうして俺の腹部を、15年前俺をかばってくれた長門の再現よろしく、黒い槍みたいなやつが貫くことになるのだが、それにしても俺は一体なんという名前なんだ、お前は?お前の名前はなんなんだ?お前は誰なんだ?俺は一体誰なんだ?俺は…誰だ?

「2001年宇宙の長門有希」完