石橋を叩いて渡ると言う言葉がある。
私の友人の小林はそういうタイプの人間である。彼は些か石橋を叩き過ぎる傾向があるが、まぁ叩き壊したりするレベルでは無いので問題はあるまい。彼は石橋を叩くように自分自身も叩き上げ、今では帝大の院で研究する身の上である。
石橋を叩かずに渡る奴もいる、彼は先人も渡ったのだから大丈夫だろうと言う、彼にとって今日の社会を成立させているのは信用である。10年崩れなかった物が10年と一日では崩れまいと言う信仰である。彼は信仰の上をひょいひょいと渡って行く。また、信用を得たものは、進んで信用を損なうまいと言う信念も持っている。彼の世界は磐石である。
石橋を渡ろうとせぬ者もいる。
ふらふらと遊び歩いている者もいれば、全然関係無い事に没頭して石橋が目に入らぬ者もいる。
前者は時が来ると観念して石橋をひょいと渡ってしまう。後者は偶々彼の芸が川渡しの船頭の目に止まり、船で揚々と川を渡ってとんでもない所に着いたりする。
石橋の中程で右往左往しているものもいれば、叩いたら即座に粉々になるのではと疑心暗鬼になる者もいる。渡り切ってから後悔する様な素ぶりを見せる者や、向こうからこっちへ帰ってくる奴もいる。欄干を渡ろうとする者、橋から川を眺める者、身投げする者、様々である。