2012年12月13日木曜日

男の話4

               

 生きて行く上でコスト管理というのは非常に重要な問題である。例えば本を買うときに考えることがある。この本棚にあるルーブル美術館の目録は1万円もするもので購入するときに大変に悩んだものだ。しかし例えばルーブルに直接行くのであれば渡航費だけで往復10万円前後かかる。ルーブルの入館料は10ユーロと大変お安い訳であるがなかんずく上野の国立科学博物館さえ一日で見て回れないわたしには、かの有名なルーブルを一日で全て見て回るというのも厳しかろうと思うのでまあ見て回るのに二日、パリ絵の到着時刻その他諸々を考えても4日は滞在するとするとそれだけの宿泊費も発生する訳でとてもではないが1万円そこらでルーブルの絵を見るという訳には行くまい。モナリザは想像よりもずっと小さい、ということはよく耳にするが、別に本であればそんなことは心配する必要はない。ペラペラとめくる、イタリア中期の宗教絵画のあたりが私は好きで、この時期に描かれたキリストはなんと言うか不思議な雰囲気を持っている。やせて、瞳はどこかうつろで寂しく、そしてやや中性的なような感覚、それはどちらかというと肌の質感に由来するのではなかろうかと思う。油絵の具で描かれたキリストの皮膚はどこか艶かしく、うつくしい。そんなことを言っても、写真が本物に勝る訳がない、と人々は言うかもしれない。その場所で見るからこその感動があるのだ、という人があるかもしれない。しかしそのわずかな差を体験するために果たして10倍以上の金をだれが出そうか?わたしはかつて中学高校の頃修学旅行と称して京都の伝統的な社寺仏閣を巡ると言う偉業を成し遂げた男であるが、その当時のことなどこれっぽっちも役になど立っていないし、もはやそのとき見たお寺や神社のことなど、ほとんど忘れてしまった。
もしわたしの根本的な人格形成にその経験が生かされたのだ、という人がいたならば、その人に言ってやりたい。では京都に住む人間は今頃悟りをひらき仏になっているであろう、と。もしかしたらそういうことを言う人は、全てに悟りをひらいた仏なのかもしれぬ。ナムアミダブツナムアミダブツ。

               

 太陽は常に東からのぼり、放っておいても西に去って行く。そのときわたしは太陽を背負って運ぶ必要もなければ、台車に乗せて引きずって行く必要もない。太陽というのはできた奴である。奴はわたしに負担をかけることなく、そしてわたしが心配せずとも世界は平常運行して行く。わたしが我が部屋に引きこもり、もはや外界との積極的な交流を断って、約半年が経過していた訳であるが、その間に世界は何か変わったであろうか。
 何も変わっていないのである。否、様々な変化はあったし、わたしの知らぬ間に様々な季節が移ろったであろう、しかし今日も太陽は西からのぼって東に沈むことはなく。世はこともなく平安でありをりはべりいまそがり。
かくて我々は山奥の養鶏場にて一羽の鶏を入手し、一路山道を下った、目指す先は私の家であると言う。なぜ私の家で?理由は簡単であった。
「きみの快気祝いだからだよ」先輩はそういってにんまり笑った。
出雲絵里は無表情であった。

               

Don't care if you do 'cause it's understood
you ain't got no money you just ain't no good.
                Ray Charleshit the road jack

               

「カタン」
とポストに何かが入った音が聞こえた。私の家はなんてことのない六畳と四畳半の二間のアパートである。ポストはドアと一体になっており、風通しのよい、夏はいくらか過ごしやすいが、冬にはやや、いや,ものすごく寒い部屋に投函物がポストの中に落ちる音がきれいに響くのである。
さてはてなんであろうか,と思う。
わたしは今家で寝ている。木目張りの天井がわたしの目の前には広がっている。どれ一つ確認に行くか。と思い布団から出る。
寝起きの頭は全身にうまく指令を出せず、いくらか体の末端まで力が入らず、ふらつく。道中一度入り口の横にあるキッチンの角に腕をぶつけ、大変痛い思いをした。理不尽である。
ようやっとドアの前迄たどり着くとそれは切手も何も貼っていない一通の手紙であった。
「本日午後5時駅前喫茶店西武にて待つ。」
と汚い筆跡で書いてあった。

               

 久々に大学に出た私は、とりあえず頭を抱えて単位の計算をした。思いのほか一、二年次にまじめに単位を取得していたおかげもあって、後期のみの通年でない講義にこれからうまいこと出席して行けば,どうにか留年は免れそうである。ありがとう一、二年次の私よ。しかし大学というところはあまりにも人が多くて、めまいがする。私は家から出る段で一度日光のあまりのまぶしさにめまいを起こし、バスに詰め込まれた人々の圧力でめまいを起こし、大学でははて知り合いに会ったらどんな話をするか,などといらんことをつらつらと考えてしまったが故にめまいをおこした。
 目頭を押さえて大学の図書館でうずくまっていると、後ろから肩を叩くものがいる。はて,と思って顔を上げ振り向くと、そこには先日の鶏解体騒動のとき喜々として小林とともに鶏を解体していた柄沢くんであった。
「やあ、どうもこんにちは」
と彼は笑顔で言った。
はて彼は厳密に言えば後輩に当たる訳であるが、後輩というものにどういう風に接したらいいのかわからぬ。王様のように,慇懃に対応すればいいのであったろうか、どうも年下というのは苦手である。
「ああ、うん」
となんとも釈然としない返事をしてしまった。彼は手に動物の図鑑のような本をもっている。
「それ…」
と私が言うと、彼はああ、と続けてこう言った。
「先日の感触を忘れないうちにいろいろ確かめたり、記録したり、しようと思いましてね。」
と言ってにっこり笑った。小林といい、こういうことに躊躇のない奴らの笑顔は,なぜかまぶしい。なぜだろうか。
私たちは二三たわいもない話をして。またどうせ近いうちに、先輩に呼ばれて顔を合わせるであろう、という話をして別れた。
図書館という空間はあまり会話するのには向かないし、そんなものである。
ただ人は時に意味もない、他愛もない会話をしたがるものだ。こういうときに行われるのはたいてい、事実の確認である。ああいうことがあったよね。ああ、あったあった!という、脳のなかにある記憶の再確認、思い出の答えあわせを求めるのである。そうすれば少なくとも、私の記憶は肯定されたのだ、と自己承認欲求を満たすことができる。承認されたのは自分自身でなく、その過去の環境の記憶であり、その過去そこにいた自分であるが、本人に取っては関係のないことだ。そういえば昔どこかで聞いたが、人間の脳というのは、厳密には未来過去現在を区別できないという。過去の事実を想起させ、脳にまた快感物質を分泌することによって、人はその時の幸せと同じ幸せを獲得するのだという。何となく後ろ向きである。そんなことでいいのか,とも思う。しかし多くの人はこの快楽に溺れることを一つの人生の目標としているし、我々が同窓会などで集まるのは、この思い出す快楽の想起の幅に関して日常生活の範囲では満足できなくなり、より遠く過去を思い出すためにあの頃は何だ、とか、昔はよかった、と言う話をするのである。
「昔はよかった…か」
と思わず私は口に出した。
今がよかったことなど全ての人間にとって、一度たりとてないのではなかろうか。常に,今よりまし、と言う意味合いで、昔はよかった、と発話する。
未来のことなどまるでわからない。

               

「いったい——いったい宇宙はどんなふうに滅びるのですか?」
「われわれが吹きとばしてしまうんだ——空飛ぶ円盤の新しい燃料の実験をしているときに。トラファルマドール星人のテスト・パイロットが始動ボタンを押したとたん、全宇宙が消えてしまうんだ」そういうものだ。
—カート・ヴォネガット・ジュニア「スローターハウス5」

               

かつて小林と居酒屋で流し込むようにアルコールを摂取していたときに見知らぬおっさんが話しかけて来たことがある。おっさんはデパートで働いている営業マンらしく、談笑のなかに仕事の愚痴を織り込むのが大変うまかった。そのとき小林と私は漫画の話をしていた。おっさんが話すのは結構昔の漫画か、あるいは俗にいう青年漫画と言うサラリーマン向けの漫画などの話であった。私はさっぱりだったのだが、小林は結構その方面にも詳しいので、さいとうたかおやら名前も知らないような時代もの漫画の話に花を咲かせた。私は当時出雲絵里との関係がうまくいっていなかったのでせっかくの小林とのやけ酒を邪魔され不機嫌であり、黙々と酒を飲んだ。
「漫画ってのはいいよなぁ、そうそう、最近の若い人は漫画を描いたり結構するみたいじゃないか?きみなんか、漫画も詳しいし描いたりするんじゃないかい?有名になったりしてな、ははははは」
おっさんは赤ら顔でそんなことを言う、調子のいいものである。このようなおっさんという生き物は自分のやっている仕事以外の苦労や難しさをまるで理解しないのだ。漫画だって描くのは大変であろうし、ましてやプロとしてやっていくのはとてつもない労力だろう。年配の人間というのは想像力に欠けているのではないか、と常々思う。
「そうだ、君たち二人でコンビを組んでやったらいいんじゃないか、藤子ええとなんだっけ、あの、二人組みたいに、そう、無口な君が原作をやってさ!ははははは、案外人気が出るかもしれんよ、コンビ名はこの皿の上のちくわとはんぺんから取ってちくわはんぺんなんてのはどうだ?いいなまえだとおもうなぁ、わたしは!」
と卓上のおでんを箸で示しながら一気にまくしたてると
「お姉さんウィスキーみっつ!」
と店員さんに叫んだ。
「おれのおごり」
とニッと笑った。おごってもらえるのであれば、と小林と私はそれなりに呑んだ。徐々に我々は打ち解けたがそれがおっさんの話術故か、アルコールの過剰摂取で脳の機能を阻害されたのかは、もはやアルコールの過剰摂取で判断できなかった。おっさんは、
「いけね、奥さんに怒られちゃうから、わたし、先に失礼!たっしゃでなあ!」
と言って今迄の分の会計をすませてそそくさと帰っていった。
迷惑だけどありがたいことではあったので我々は払わなくてよくなったここの会計の分でさらにもう一軒別の飲み屋へと行った。
小林はある程度以上呑むと最寄りの人にべたべたと触ってくる癖があるので大変に面倒くさいが、その辺りの挙動が怪しくなるだけで、基本的に奴はどれだけ呑んでも思考は明晰である。逆に私は呑めば呑んだだけ思考を疎かにするので私が発する種々の愚痴や放言に、小林が明晰かつウィットに富んだ返答をすると言うパターンに陥りがちだ。ただ私が酔って同じ愚痴を繰り返すと、奴も奴で前回とまるで違う答えを返すので端から見ると明晰に見えるだけで、本人は相当に酔っぱらっているのかもしれない。
我々は結局、その二軒めの飲み屋でもしこたま呑み、ゲロを吐きながら帰宅し、最寄りの私の家の玄関を開けるや二人で玄関にぶっ倒れた。

               

Well, I guess if you say so
I'd have to pack my things and go. (That's right)
Ray Charleshit the road jack

               

「あ、やっと来た。5時って言ったでしょう、いま何時だと思ってるんですか?5時20分ですよ?」

               

 生物学科の研究棟へぶらりと足を運ぶと、生け垣からジーンズを履いた足が生えている、なんであろうと覗き込むとそこになぜか先輩がいた。先輩は道ばたの生け垣に身を埋め空を見ている。端から見たらとんでもない光景である。
「なにやってるんですか?」
「空を見ているんだ」
そうであろう。
「空を観察しているとだいたいこれからどんな天気になるか、わかるものだよ、夕方に一雨来そうだな。」と先輩は言った。
「ほう、さすが先輩ですね」
と、うやうやしくうなずくと
「まあこれは今朝天気予報を見たんだがね。」
拍子抜けである。
「実は小林君に頼まれごとをしててね。」
と私を笑いながら言った。
あいつは先輩もうまく使うな、見習いたいものだ。などと考えていると少し奥の生物学研究棟の扉を開けて白衣を着た小林がやって来た。
右手にはアタッシュケースをもっている。
「ん、なんだ、めずらしいな、いや、そもそも学校にいるのが珍しいのか」
余計なお世話である。
「おお、ちゃんと計っておいたよ。」
ありがとうございます。と言って小林は先輩から紙切れを受け取った。よく見ると先輩の足下には実験室で使うようなシャーレが8個程並んでいる。そのなかには何やら青色の物体がかたまっている。
小林は手慣れた手つきでシャーレを回収してアタッシュケースの中にしまった。
「しかし、太陽が雲に隠れてた時間とそうでない時間なんか計らせて、何をしようというのだね。おそらく感光とか、薬品硬化とかそういう感じのことだろうが。」
と先輩が言った。
「そこまでわかってれば特には説明することもないですよ。紫外線で硬化する薬品の濃度の検査です。ちょっと次の実験で必要でしてね。」
ふうん。と先輩は言った。
「僕がたまに趣味でやるシルクスクリーンで使う薬品と同じ色だったからね。」
さすがの観察力である。しかし読者諸兄、お気づきであろうか、私のこのコミュニケーション能力の無さ、一対一での会話でならいいが、複数人での会話となると、私は急に会話の表舞台に出ることが億劫になるのである。当人達が楽しそうに話しているのであれば、何も私がそこにしゃしゃり出ることは無かろう。世界は私抜きでも回っているのだし、そこに私が無茶に出て行く必要は無いのだ。なんだか鬱々とした気分になって来る、このままではよくない。どうにもよくない。ちょっとコーヒーを買って来る。とその場を離れようとすると、なんだじゃあ僕も研究室の戻ろうかな、と小林も立ち上がった。
「先輩はどうします?」
と小林は言った。
「わたしはもうしばらく、こうしてようかなぁ。」
そういって先輩はまた生け垣にごろりと寝転がった。
結果的に私は小林と生物学研究棟へ向かい入り口に入ってすぐの自販機でコーヒーを買いコーヒーをちびちび飲みながら、小林と少し談笑した。
コーヒーは少し苦かった。

               

 いいえ。唯一の意味は、それを声に出して読んだときのものです。
                —マルセル・デュシャン ピエール・カバンヌ
                「デュシャンは語る」

               

とても眠い。でも寝てはいけないので、ぼんやりとしたあたまのまま、そこかしこをながめる。ふわふわと眼前に白いもやのようなものが浮かんでいるような気がする。そのもやはじょじょに広がって視界の全てを覆ってしまう。ゆめなのかもしれない。ゆめかうつつか、うつつという言葉は実にいい。うつつと言う言葉をイメージしてこのうつつと言う言葉の現実感の無さに思いを馳せてほしい。なんだうつつって、夢よりも言葉の響きとして現実感が無いだろ。

               

 はて、今朝私の家のポストに投函された手紙をあらためてひらいてみる。
午後5時はもはや刻一刻と迫り今から指定の場所に急いでも間に合わない程である。本心を言えば行きたくない。しかし私はあの文字が誰のものか知っているので、そう無碍に扱う訳にも行かぬ、しかし今更になって、何だというのだ。一体何があるのか。それは私に得な話であろうか?
今から行ってもどうせいないのではないか、ただ罵られるだけではあるまいか。しかしかといって約束を破るのもなんだか気が引ける、しかし帰りたい。
よく考えたら今日はなにか用事があったのではなかろうか、等とうんうん唸りながら街を行く。気がついたら私は約束の喫茶店の方へと歩を進めていた。

               

まったくもって浅はかなおばはんだ。おばはんに死を。呪いつつ歩いていくと、誰かを待っているような格好で銀の策を背にして赤いスカートを着た中年の女が立っていた。権現への道順を尋ねようと近づいていったが駄目やった。女は芝居の稽古でもしているのか、傍らに誰もいないにもかかわらず、「そうなのよね、それでね」とか「うん実はね、それがそうなのよ」と
—町田康 「権現の踊り子」

               

2012年10月23日火曜日

男の話3



 「いずれどっかへいくだろうさ……。それともどこへもいかないのかもしれないぜ……。どっちでもいいさ。このままで、とてもたのしいじゃないか。」
—トーヴェ・ヤンソン「ムーミンパパの思い出」

               

 肉食というものが禁止されている文化、風習というものがなぜあるのか。
端的に言ってしまえば肉は野菜や豆、麦などの他の食品に比べて、劇的に保存が難しくかつ、鮮度の劣化によって人体に害を与えることが多かったからであろう。一説には豚の肉は人間の肉と味が似ているからイスラム教では禁止されたのだ、だとか何だとか諸説もある訳であるがこれらの問題を一括で解決する方法というのがある。いかにして無知蒙昧な人民に、そういうことはしちゃいけないよ、と理解させるか。「それは神がいかんと言ってるからいかん」と言う便利な言葉に集約されている訳である。科学というものが存在しなかった過去に食中毒や寄生虫などの害をどのようにして回避するのかということが宗教の一つの課題であったからだと思う。
宗教の規則をいかにして守るか、そして守ったことによってどのようにして神のご加護、つまり仏教で言う現世利益を信者に与えるか。食中毒にならないというのは毎日人々が食事をしなくてはならないという点で非常に重要な点を占めるであろう。
端的に言ってしまえば、教育の行き届いていない世界でどのように法律を浸透させるか、と言った問題である。実際法律というのはあれはいかんこれはいかん、これをやったら罰すると言うのを人間の尺度で人間が実行するものであってこれは非常に面倒くさいし、大いに反感を受けることが多い。神は過たず、と言うが過ったものには罰を与えよ、と言うのが法の精神であるが故に、これは大変都合が悪いのである。宗教であればその神のお告げの運用を誤った実行者、つまり司祭などが糾弾されるのであろう。何より神は裁こうとしてもなかなか人間の側からは裁けない。なぜならば居ないからである、居ないものにはカフェでコーヒーをおごろうと思っても無理だからだ。しかしこれが王様になって来るといろいろと問題が起こって来る。なぜなら王様というものは国の頂点であるが、実在するからである。確率は非常に低いが、場末のバーにやって来た王様にスコッチをおごる、と言うことは不可能とは言い切れない。王様とて人である。
 王権神授説、と言うものをご存知であろうか、つまりある程度時代を経ると、王様がなぜ偉いのか、というものを神様に選ばれたからだ、という理論付けで正当化して行ったのである。これは極端な言い方をしてしまえば、神が天下って人界に顕現することと同じで、かつてリーダーとして、一種の神として存在していた王が、神の勢力つまり「教権」の台頭に対して、いかに対抗するか、という実際的な問題に大きく突き動かされていたようである。「くそう神様ってずるい!」そして結果的に王も神をヨイショすることになる訳である。王権は教会と同じ神の出先機関に堕したのである。
この辺りは、ヨーロッパの一神教文化が大きく影響していて、新興国のルターやらイギリス王朝やらがいちゃもんをつけるまでキリスト教権力はローマ教皇が一極で掌握していた。この辺りの経緯も、極端な理由を挙げれば「お前らばっかりずるい」と言うのが原動力となっているように思う。
 日本の天皇制というのも大変面白くて、時代は移り変われど征夷大将軍という役職において天皇から統治の大義名分を賜るというシステムがずっと続けられて来た。この辺の類似も、人間の思考の類似性に寄るのかもしれない、つまり、人は常に許されたがっており、またこれをしなさいと命令されたがっており、もっと言うのならば、人は行動に常に理由を求めたがるのである。
Why? なぜ?
人は言う「嗚呼、神よ!なぜ私はこんなにも苦しみを受けなければならないのか!」
「それはおまえの生活がなんか、こう、悪魔的で、なんか、その、あれだからだよ」
「なるほど!」
かくてめでたしめでたしである。人は常に理由を求める。なぜ苦しい目に遭うのか、なぜ悲しい目に遭うのか、なぜ牡蠣を食って食中毒を起こすのか。それは牡蠣の保菌するノロウィルスに寄って説明できる訳である。しかしウィルスというのは目に見えない。人々はもっとシンプルな答えを要求する。「それは神が罰をお与えになったのだ」
もう一声!
「それはおまえたち人間がみな罪を背負っているからだ」
ベストアンサー!私たちが皆を背負っているのであればもうそれは仕方あるまい、我々は罰せられるべくして罰せられたのである。
 人は理不尽を嫌う。なぜならば理解できないということがとても不安だからだ。とにかく答えを得て、安心したい。たとえそれが間違っていたとしても。そして場所が変わって高温多湿で食物が腐りやすいインドネシア、タイなどの地域では食事に大量に香辛料を使用することなどで食中毒の問題を解決した。(香辛料には殺菌作用がある)

               

 夜が明ける。西から上ったお日さまが東に沈み、また西から昇って来たのだ。
「太陽が昇るのは東からだよ」
小林が言う。そういえばそうだ。
我々はとにかく西に進んでいるらしい、ということだけはわかった。我々の背には朝の青白い太陽が朝の気持ちよい光を発し、その光が我々を追いかけて来る、長い間引きこもっていた私には太陽の光はもはや毒である。
「もし直射日光にさらされた私がドロドロに溶けて灰になり風に乗って四散しそうになったら、すかさず集めて袋にでも入れて、いつかグランドキャニオンの上で撒いてくれ。」
と私は小林に言った。
「今の所当分オーストラリアには行く予定がないな。」
「じゃあそこらへんの山で撒いてくれ。」
私は妥協した。
「じゃあ今そのまま風に四散するままにしたって、同じじゃないか。」
もっともである。
 道はどんどん田舎道になり、ついに山道になった。もしや我々はこのまま姨捨山に捨てられるのでは、と思った。こんなに若くてぴちぴちしているというのに!しかし、かれこれ何時間くらい走ったであろうか。乗り物というのは乗っているだけで目的地に連れて行ってくれるので、大変に便利である。ただトラックの荷台はいささか環境が良くない。だんだん足やら手やら尻が痛くなって来る。私は少し大きな声で運転席の先輩に5度目のあとどれくらいでつくんです?という質問をした。帰って来たのは先輩の、5度目のもうすぐつくよ。であった。

               

               
Now baby, listen baby, don't ya treat me this-a way
Cause I'll be back on my feet some day.
                Ray Charleshit the road jack

2012年10月19日金曜日

保存されていない変更があり、それらは失われます。

男の話。2

               

 どんどんと扉を叩く音が聞こえる。
「おうい。」
のんびりとした声が響く、先輩だ。
先日来の久々の来訪である。私は寝ぼけた頭に活を入れ、考えをまとめようとした。せっかくの来訪者を無碍に追い返すのも無礼であろう、しかし私はと言えばもはや半年近く人と話という話もしていない。もはや今先輩と相対してもまともに話すことができるかどうかすら怪しいのである。ではここでドアを開けずに先輩を追い返すことよりも、このような失態を人にさらすことの方が無礼ではあるまいか。
「うぅん、困ったな。」
 先輩は腕組みをしてそちらからは見えもしないのに覗き窓を覗き込んでいる。相変わらず我々はこの一枚のドアを隔てて互いの距離を測りかねていた。私は果たしてここで表に出るべきか否か。
私は人生の分岐点に立たされているのではあるまいか。人前にかれこれ半年も出ていない私に、そのような体裁を気にする必要があるのか、というご意見もあろう、しかし私は体裁を機にするが故に、家から出ないという選択をしたのではあるまいか。誰からもよく思われたい、そう思うが故に私は人前に姿を現さないと決めたのではあるまいか、人付き合いをしながら常に好かれようなどということができるほど、私は器用な男ではない。だから、私は外界を拒絶したのだ、外界から拒絶される前に。
 なにかを期待して裏切られるくらいならば、はなから期待などしない方がよい。私には期待をする資格などないのだ。そしていわんやその資格を取得できる教習所があるとしても、そんなところに通いたいとは思わない。

               

美少年 何も言うな何もかも見たくないんだ……愛してほしくなんかないんだ。
—寺山修司 「毛皮のマリー」

               

彼女は実にかわいい人であった。
出会いは大学の学園祭の最終日にさかのぼる。学園祭が終了し、大学生のみとなった構内の、宴の後の不可思議な雰囲気の中、私は彼女と隣り合って缶チューハイを飲んだ。私は薄手の服のすそから大きく露出した彼女の肩周りの赤らみをみて、ちょっといいな、と思った。そのとき彼女も私のことをちょっといいな、と思っていたということは後に知ることとなる。

               

言葉なんて信じられない。
心の中身が本当だということを信じるためには、外側は全部、嘘でできてると言わなければならない。と何かの台本で寺山修司は美輪明宏に言わせた。
私はこの言葉を机上の空論だと思う。今も思う。しかし、外側は嘘で、中身は本当。信じるためには外側は嘘で、信じるためには中身は、信じるためには中身は…

               

「こんなこと話したのはあなたが初めてよ。」
僕は彼女の手を握った。手はいつまでも小刻みに震え、指と指の間には冷えた汗がじっとりとにじんでいた。
「嘘なんて本当につきたくなかったのよ。」
—村上春樹 「風の歌を聴け」

               

 ぱくぱくと先輩は土産だと持ってきた酒饅頭を食べている。私はまだ一つと半分しか口にしていないが、先輩は24個入りの饅頭を、もはやすべて平らげんとしている。
「大変な犯罪が計画されてるんだ。しかし、うまくくいとめられると信じてよい理由もある。ただし、今日が土曜なので、いささか面倒な問題になった。今夜、きみに手伝ってもらうかもしれないよ。」
先輩は何かを諳んじるかのように、朴訥に台詞を吐いた。
半年以上前に会ったときよりいくらか痩せ、以前よりもあごには立派にひげを蓄えている。ちょっとした英国の探偵と言ったような出で立ちだ。
私はしばし考えて
「確か、シャーロックホームズの台詞ですね、五粒のオレンジの…いや、たしか赤毛連盟の台詞でしょう」
先輩は饅頭を咀嚼し終えると
「勤勉だ、それにおまえ、推理小説やミステリのたぐいは、いっさい読まなかったろう。」
と関心げに言った。
「それに今日は、確か、月曜日でしょう。何せここ半年、家から出ずに本ばかり読んでたもんだから、ホームズやら、京極夏彦やら、エドガーアランポーなんかもずいぶん読みました。」

「本なんか読んでも、なんにもならないぞ。」
先輩は言った。

私は少し考えて
「…まったく、そうかもしれませんね」
と答えた。

               

「己も実は面白くないんだよ」
「じゃ御止しになれば好いのに。つまらないわ、貴夫、今になってあんな人と交際うのは。一体どういう気なんでしょう、先方は」
—夏目漱石 「道草」

               

 描くべきことはいくらでもあるが私の経験をそのまま記載するのであればそれは多くの場合著作権の侵害になるであろう。私の経験のほとんどは他人の経験であり、私の経験は他人の経験の寄せ集めであると言える。

               

だれしも幽霊についてかたるが 幽霊を見たものはいないように
だれしも愛についてかたるが 愛を見たものはない
—ジョージ秋山 「デロリンマン」

               

 愛について語った小説というのは、この世に銀河の星の数ほども存在する。銀河の星の数ほども存在するものは恋愛小説と銀河の星以外にあるとすれば、地球上に存在する海の砂と、この世に生まれてきた人々が思いついたけれども生涯一度も口に出さなかったくだらないダジャレの数くらいのものだろう。

 なぜ愛についてそんなにも語りたがるのか、お前らにはそれしかないのか。
愛というのはこの自分が主役でない世の中において唯一自分が主役となれるイベントだからこそこんなにも人に好まれるのではなかろうか。ただ、実現するか否か、ということで考えれば、世界の存亡をかけた戦いも、見知らぬ女性とのアバンチュールも同等に夢物語であることには変わりない。私に取っては宇宙怪獣に侵略され、滅亡の危機に瀕した地球の方が、私に好意を寄せる女性などというものよりも、よほどリアリティがある。
感情移入というのは、そこに手が届くか否か、というよりも、それが想像に難いか否かによって行われる。手の届かない夢物語よりも、電車で隣に座っている人間の人生の方が、理解不能で複雑怪奇なものである。

お前はいったい誰なのだ。

               

 現実とは偶然の連続であるが故に、リアリティを極限まで追求した小説はもはや伏線も何も存在しない、一種の不条理小説の体裁をなすようである。
文学の先生はそう言った。

               

「先輩は最近、どうでした?」
会話に詰まると近況を聞く。人は会話に詰まると近況を聞くものである。
「ああ、僕のことか。」
先輩は饅頭の甘さを押し流そうとするかのように、私の入れたほうじ茶をぐいぐいと飲んだ。少しおいて言った。
「ちょっと留学をしていたんだ。」

「はあ、留年ではなく、留学ですか」
私は心底驚いた、先輩の語学力は前述の通り、四年生になっても一年生の英語の授業を受けているようなレベルのものである。
「この饅頭はそのお土産だよ」
先輩は空の饅頭の箱を指差してそういった。
「はあ、新潟にでも留学してたんですか」
饅頭の箱には確かに、「新潟名産八海山酒饅頭」と書いてあった。

「いやドイツで土産を買うのをすっかり忘れていたものだから、土産は全部東京駅の物産展で買ったんだよ。」
先輩は低く響く声ではっはっは、と笑った。

               

 その日先輩は饅頭を食べて満腹になったら帰ってしまった。
「またくるよ。」と一言言い残した。

 再び私一人の世界となったこの部屋で、布団に寝そべり私は世界を股にかける先輩を想像した。人にかまを掛け、法螺を吹き、必要とあればただ語らぬことで人を納得させるあの不思議な話術で外国人と渡り合う先輩を夢想した。なんだか考えれば考えるほどに、不思議な情景だった。私が家から出ずにいた半年間を先輩は日本からもちょいと足を伸ばして出て行ったという。私はああはなれまい、しかし、ああなりたいと思うか、と言われても素直に、はいとは言えぬ。

 時刻は夕刻を回っていた。

 私は一眠りすることにした。なんだかとても疲れた。人と話すというのはとても疲れるものなのだ。かつてはそうは思わなかったかもしれない、しかし、今はそうだ。沸々と浮かぶたわいもない物思いの中にたゆたいながら、私はカーテン越しに床に落ちる、うす赤色の輝きを眺めていた。やがて私の視界はぼやけ、考えるのもおっくうになった。私は私に閉じこもった。

               

 私は迷路の中、くらいくらい道、道は奥へ続き、ぼんやりとした常夜灯の下のような明るさの中、私はただゆっくりと歩いてゆく。こんなにもくらい中、不思議と何かにぶつかったりすることもなく奥へ奥へと進んでゆける。わずかに閉塞感のようなものを感じる。胸が押さえつけられるような。私は夏のようなじめじめと湿った空気に取り囲まれている。夢の中に居るような感覚で、現実感がない、歩調に合わせて視界が揺れているのはわかるが、それも霞がかかったかのようにぼんやりとしたものだ。でも確かに、私は暗がりの中をゆっくりと、前の向かって進んだ。

               

そのときにしか書けないもの、というのは確かにある。そのとき、その状況で、その精神状態で、その年齢だったからこそ書けたものというものはあったはずだ。

               

 トンネルを抜けるとそこはトンネルの向こうであった。
私は先輩の運転する軽トラックの荷台の上でまだ夏になる前の、何とも言えない、暖かくもなければ、肌寒くもない風を浴びている。トラックの荷台には私以外に三人の人間が積載されている。自分が果たして今どのような状況に置かれているのか、全く訳が分からない。三人の内二人は面識があった。
私は顔見知りの二人の中でも、以前仲の良かった小林に声をかけた。
『これはいったいどういうことだ』
トラックの荷台の上をいう話すのに適さない環境下で、自然と声が大きくなる。
「どうしてこんなことになったのか」

「そんなこと僕が知るか」
と小林は大きな声で答えた。
運転席からは先輩の愉快そうな鼻歌が聞こえる。
夜の田舎道のオレンジの街頭が次々と頭上を通り過ぎてゆく。

どうしてこんなことになったのか

               

 なんでそんなことを気にするんだろう。と彼女は思った。
気になることがなぜ悪いことなのか、と私は思った。

当時の彼女の心持ちなど私にはわかるはずもない。
ただ、たくさんの小説を読むにつけ、大学生というものは、皆こういう悩みに直面するものなのだと知った。

みんなそんなものを読んで面白いのか。


そうですともたのしいということには反対しませんが、私はもっと遠いものにあこがれて、なにかあたらしいことがおこるのをまちこがれていたのです。
—トーヴェ・ヤンソン 「ムーミンパパの思い出」


 小林との関係はさかのぼるととてつもなく大変なので要約して話す。
奴との友人関係は幼稚園の頃から続き、この大学まで一度も途切れることなく続いた。なぜならば我々は小中高大学と、特に一貫校でもないのに同じ学校に通い続けたからである。大学になってやっとこ私は非生産的な経済学部へ、奴は理学部へと歩を進め、袂を分かつかのような形になった、ただし校舎は隣であった。
 私がぶつくさと大学の講義に文句を垂れ、留年ギリギリの取得単位で二年生に上がった頃、奴は実験用のラットを次々と殺さざるを得ないことに疑問を感じるような繊細な人間であった。私が引きこもる前に最後にした会話では、奴は免疫学から加齢研究に研究室を移り、主な実験が細胞の培養になってしまったためにあまり頻繁にラットで実験できないことを残念に思う、と言うような内容だったと記憶している。長髪に整った顔だちの小林はもはや立派なマッドサイエンティストであった。しかし奴は和菓子を愛好し、早朝にトランペットを吹きならし、焼き肉屋で食事の最中に臓物の色つやからその持ち主である豚の健康状態を気遣ってやまない奴である。我々が長らく良き友人でいることができたのは、飯の最中にそのような話をされても動じない私の懐の広さ、もとい鈍感さと、それ故の奴の友人の少なさもあったと思う。

               

 ガタガタと揺れる、手元の鉄の感覚。鉄板の上に乗せられた私たち。トラックという物質の頑丈さ、堅牢さに感心する。耳元にぶつかっては後ろへ流れ去って行く空気の音が心地よい。道はどんどん田舎道になってゆく。道端の木々がざわざわ揺れ動く。木陰は真っ暗で、空はいくらか明るかった。夜空とはこんなにも明るいものであったか。瞬く星々の下、我々は幻想的な気分になった。しかし、こうも思った。なぜ、我々はトラックにゆられて、黒い木々に縁取られた星空を眺めているのか。

こんなことになったのは、いったいなぜなのか?

               

 人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの。 —寺山修司 「毛皮のマリー」

               

 とかくこの世は生きにくい。とはだれの言葉だったか。
我々のような気弱な人間は、常に力の強いものに引きずられ、どんな無茶な要求に対してもただうなずいて同意しながらそのものの手足となって生きていくしかないのではあるまいか。
ことの発端は先輩の「鶏を一匹、生きてる状態から解体して食べてみたい。」という、ちょっとした思いつきであったらしい。トラックのヘリの方に座っている小柄で華奢な男が教えてくれた。彼とは今夜の面子の中で唯一面識がなかった。柄沢と言う名で、先輩と同じ文学部の学生であると言う。
「医学部の解剖の授業を見学しましてね、それで、裁断された肺やら取り出した肝臓やらを触らせてもらったりしましてね。きれいだったなぁ。肝臓って言うのは、重いんですね。血がいっぱい入ってるからかなぁ」
などと、とりとめのないことを言うこの少年じみた顔の青年は、一年生であるという。先輩を焚き付けたのは、どうやらこの青年らしい。
「肝臓が重いのは多分血抜きしてないからだよ、僕たちが一般に食卓で食べている肉って言うのは基本的に血抜きって言う行程を経てるんだ。ほら、今日もやるだろうけど、鶏は首をへし折ったあとに足から吊るして、首から血を出すでしょ?」
えへへ、と笑いながら、小林の女顔が歪む、こういうことにかけては、こいつに一日の長がある。
「首をへし折るって言うのがいいですね、やってみたいなぁ」
柄沢くんがにこにこ笑って言った。こいつらはきっと仲良くやっていけるだろうな、と思った。
「いざやってみようと思ったら、以外と力が入らないもんだぜ、生きているものを殺すってのは結構すごいことだぞ」
と私が言った。

「いくじなしね」
トラックのガタガタと言う騒音の奥から凛と響く声が聞こえて来た。

「カブトムシだって恐くて触れないんだから、当然かしら」
と続けた。
「そういえばおまえ、昔からカブトムシ苦手だったね」
と、小林が言う。お前らにそんなことを言われる筋合いはない。と思いながら、私はこう言い放った。
「お前ら、もし俺が腹で呼吸をする生き物だったらおっかないだろう

…そういうことだ」

どういうことであろうか。

これが出雲友美との久々の会話であった。

               
 その日先輩は饅頭を食べて満腹になったら帰ってしまった。
「またくるよ。」と一言言い残した。

 再び私一人の世界となったこの部屋で、布団に寝そべり私は世界を股にかける先輩を想像した。人にかまを掛け、法螺を吹き、必要とあればただ語らぬことで人を納得させるあの不思議な話術で外国人と渡り合う先輩を夢想した。なんだか考えれば考えるほどに、不思議な情景だった。私が家から出ずにいた半年間を先輩は日本からもちょいと足を伸ばして出て行ったという。私はああはなれまい、しかし、ああなりたいと思うか、と言われても素直に、はいとは言えぬ。

 時刻は夕刻を回っていた。

 私は一眠りすることにした。なんだかとても疲れた。人と話すというのはとても疲れるものなのだ。かつてはそうは思わなかったかもしれない、しかし、今はそうだ。沸々と浮かぶたわいもない物思いの中にたゆたいながら、私はカーテン越しに床に落ちる、うす赤色の輝きを眺めていた。やがて私の視界はぼやけ、考えるのもおっくうになった。私は私に閉じこもった。

               

 私は迷路の中、くらいくらい道、道は奥へ続き、ぼんやりとした常夜灯の下のような明るさの中、私はただゆっくりと歩いてゆく。こんなにもくらい中、不思議と何かにぶつかったりすることもなく奥へ奥へと進んでゆける。わずかに閉塞感のようなものを感じる。胸が押さえつけられるような。私は夏のようなじめじめと湿った空気に取り囲まれている。夢の中に居るような感覚で、現実感がない、歩調に合わせて視界が揺れているのはわかるが、それも霞がかかったかのようにぼんやりとしたものだ。でも確かに、私は暗がりの中をゆっくりと、前の向かって進んだ。

               

そのときにしか書けないもの、というのは確かにある。そのとき、その状況で、その精神状態で、その年齢だったからこそ書けたものというものはあったはずだ。

               

 トンネルを抜けるとそこはトンネルの向こうであった。
私は先輩の運転する軽トラックの荷台の上でまだ夏になる前の、何とも言えない、暖かくもなければ、肌寒くもない風を浴びている。トラックの荷台には私以外に三人の人間が積載されている。自分が果たして今どのような状況に置かれているのか、全く訳が分からない。三人の内二人は面識があった。
私は顔見知りの二人の中でも、以前仲の良かった小林に声をかけた。
『これはいったいどういうことだ』
トラックの荷台の上をいう話すのに適さない環境下で、自然と声が大きくなる。
「どうしてこんなことになったのか」

「そんなこと僕が知るか」
と小林は大きな声で答えた。
運転席からは先輩の愉快そうな鼻歌が聞こえる。
夜の田舎道のオレンジの街頭が次々と頭上を通り過ぎてゆく。

どうしてこんなことになったのか

               

 なんでそんなことを気にするんだろう。と彼女は思った。
気になることがなぜ悪いことなのか、と私は思った。

当時の彼女の心持ちなど私にはわかるはずもない。
ただ、たくさんの小説を読むにつけ、大学生というものは、皆こういう悩みに直面するものなのだと知った。

みんなそんなものを読んで面白いのか。


そうですともたのしいということには反対しませんが、私はもっと遠いものにあこがれて、なにかあたらしいことがおこるのをまちこがれていたのです。
—トーヴェ・ヤンソン 「ムーミンパパの思い出」


 小林との関係はさかのぼるととてつもなく大変なので要約して話す。
奴との友人関係は幼稚園の頃から続き、この大学まで一度も途切れることなく続いた。なぜならば我々は小中高大学と、特に一貫校でもないのに同じ学校に通い続けたからである。大学になってやっとこ私は非生産的な経済学部へ、奴は理学部へと歩を進め、袂を分かつかのような形になった、ただし校舎は隣であった。
 私がぶつくさと大学の講義に文句を垂れ、留年ギリギリの取得単位で二年生に上がった頃、奴は実験用のラットを次々と殺さざるを得ないことに疑問を感じるような繊細な人間であった。私が引きこもる前に最後にした会話では、奴は免疫学から加齢研究に研究室を移り、主な実験が細胞の培養になってしまったためにあまり頻繁にラットで実験できないことを残念に思う、と言うような内容だったと記憶している。長髪に整った顔だちの小林はもはや立派なマッドサイエンティストであった。しかし奴は和菓子を愛好し、早朝にトランペットを吹きならし、焼き肉屋で食事の最中に臓物の色つやからその持ち主である豚の健康状態を気遣ってやまない奴である。我々が長らく良き友人でいることができたのは、飯の最中にそのような話をされても動じない私の懐の広さ、もとい鈍感さと、それ故の奴の友人の少なさもあったと思う。

               

 ガタガタと揺れる、手元の鉄の感覚。鉄板の上に乗せられた私たち。トラックという物質の頑丈さ、堅牢さに感心する。耳元にぶつかっては後ろへ流れ去って行く空気の音が心地よい。道はどんどん田舎道になってゆく。道端の木々がざわざわ揺れ動く。木陰は真っ暗で、空はいくらか明るかった。夜空とはこんなにも明るいものであったか。瞬く星々の下、我々は幻想的な気分になった。しかし、こうも思った。なぜ、我々はトラックにゆられて、黒い木々に縁取られた星空を眺めているのか。

こんなことになったのは、いったいなぜなのか?

               

 人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの。 —寺山修司 「毛皮のマリー」

               

 とかくこの世は生きにくい。とはだれの言葉だったか。
我々のような気弱な人間は、常に力の強いものに引きずられ、どんな無茶な要求に対してもただうなずいて同意しながらそのものの手足となって生きていくしかないのではあるまいか。
ことの発端は先輩の「鶏を一匹、生きてる状態から解体して食べてみたい。」という、ちょっとした思いつきであったらしい。トラックのヘリの方に座っている小柄で華奢な男が教えてくれた。彼とは今夜の面子の中で唯一面識がなかった。柄沢と言う名で、先輩と同じ文学部の学生であると言う。
「医学部の解剖の授業を見学しましてね、それで、裁断された肺やら取り出した肝臓やらを触らせてもらったりしましてね。きれいだったなぁ。肝臓って言うのは、重いんですね。血がいっぱい入ってるからかなぁ」
などと、とりとめのないことを言うこの少年じみた顔の青年は、一年生であるという。先輩を焚き付けたのは、どうやらこの青年らしい。
「肝臓が重いのは多分血抜きしてないからだよ、僕たちが一般に食卓で食べている肉って言うのは基本的に血抜きって言う行程を経てるんだ。ほら、今日もやるだろうけど、鶏は首をへし折ったあとに足から吊るして、首から血を出すでしょ?」
えへへ、と笑いながら、小林の女顔が歪む、こういうことにかけては、こいつに一日の長がある。
「首をへし折るって言うのがいいですね、やってみたいなぁ」
柄沢くんがにこにこ笑って言った。こいつらはきっと仲良くやっていけるだろうな、と思った。
「いざやってみようと思ったら、以外と力が入らないもんだぜ、生きているものを殺すってのは結構すごいことだぞ」
と私が言った。

「いくじなしね」
トラックのガタガタと言う騒音の奥から凛と響く声が聞こえて来た。

「カブトムシだって恐くて触れないんだから、当然かしら」
と続けた。
「そういえばおまえ、昔からカブトムシ苦手だったね」
と、小林が言う。お前らにそんなことを言われる筋合いはない。と思いながら、私はこう言い放った。
「お前ら、もし俺が腹で呼吸をする生き物だったらおっかないだろう…そういうことだ」

どういうことであろうか。

これが出雲友美との久々の会話であった。

               

2012年7月10日火曜日

男の話。


「最近もまたそのことを考えたよ。ソシュールなども読んでみた。正確には文字表現というべきだろうけど、やっぱり言語ほどでたらめな記号はないという結論に達してさ。何度考えてもそうとしか思えないんだ」
—筒井康隆 「残像に口紅を」


 事実は小説より寄なりというが、小説より寄にあふれた出来事があるならばどうか私の目の前に持って来てほしい。平々凡々とした生活を送り、小規模ながらも波瀾万丈に生きて来た私は、大学三年生にして、現実に対して期待する事をやめた。それにはその時期の手痛い失恋にも起因する所があるとも思うが、元々家に籠りがちだった私はいままで以上に家に引きこもり、ひたすら本を読んだ。この便利な世の中、わざわざ家から出ずともAmazon.comで本はいくらでも手に入る。かつて私は本を手に取らずして如何様に本を選べば良いのだ、などと気取った文学かぶれのような事をいっていたが、慣れてくるとこれは大変便利である、関連書籍なども表示されるし、レビューで親切にこう言う本が好きならばと押し売り同然に本を薦めしてくれる人もいる。あげく、お前が今読みたいのはもしかしてこの本なんじゃないか?などと、メールまで送って来てくれる始末。よって私の生活は近所のコンビニと家の往復に終始するようになった。かつての時代であれば、勉強熱心な学生であるともてはやされもしようが、現代でこのような所行に陥った所で現実がなにか見返りを与えてくれると言う事もなく、ただ空想と妄想の世界に没入し、折り返し地点はとうの昔に通り越し、もはや活字の奈落の底へ真っ逆さまに落ちてゆく自分の姿を俯瞰で眺めるばかりである。ライトノベルからファンタジーから随筆やエッセイ、古典や雑学本、教則本や歴史、SF、自己啓発、とにかくあらゆる種類の本を読んだ。やがて私の世界は本の中だけになり、私の目は活字を追う為だけの気管となり、私の胃は、申し訳程度に栄養を摂取する為だけのものとなった。と言う訳で、かれこれ半年ほど、コンビニに食事を買いにいく以外の事では殆ど家の外へ出る事がなくなった。


 眼前に白波の立つ海が見える。波の向こうになにか隠されているのではないかと幼い頃から思っている。私の記憶はただ、この眼前に広がる海である。あの波の向こうの穏やかな部分の、空と交わる所には、一体何があるのだろう、潮風で湿った空気のぼやける先を唯唯見つめていると何だか目眩がするような気がする。頭の周りがフアフアと浮いているような、そんな感じがする。頭の周りは私を置いて、空の遠くへフアフアと飛んでいってしまった。私の周りには私の頭の周り以外が残った。


 私にもかつては友人を持ち、大学ではそこそこの成績で講義にもわりかし出ているたちの、真面目な生徒であった、まじめにそこそこサボり、まじめにそこそこ人付き合いを行い、真面目に提出日前日からレポートを書き出したりもした。酒も飲み、ただ友人とたわいもないことを話すと言う目的の為に話した。私はそこそこの人間であった。そこに関しては、今も変わっていないと思う、私はそこそこの人間である。

 本を読みふけるようになって、睡眠時間もかなり減った。いざ寝ようと思って布団に入っても、寝転んで文庫本を読んでしまう、活字を追っていると、頭の中に出来上がった空想の世界を、脳が現実と勘違いするのか眠気はふっと何処かへいってしまう。クラートゥという宇宙人がやって来て、地球が滅亡するのではないか、と人々が恐怖に怯えているさなかに、おめおめと眠ると言うのはなかなか出来ないものだ。だから私の本を読むペースはなおさら早くなった。

               

 その日もまたぼんやりと本だけを読んで過ごした。カーテン越しの外から夕暮れの光がやって来て、部屋を赤く染める。
 珍しく夢うつつでぼんやりとしながら本の活字を目で追っている。夢で私はパリに居た、巴里の私は陽光のさすカフェのテラスでカフェオレを飲みながら本を読んでいた。巴里の乾いた空気とカフェオレから立ち昇る湯気が何だか不釣り合いで、私の鼻先をじっとりと濡らす。私は売れない画家で、巴里のモンマントルの坂の中腹、石造りの寒い集合住宅で、フランスパンをかじりながらほそぼそと生活していた。寒い冬をどうにかやり過ごして、過ごし易い春の陽気は私の心を幾分か朗らかにした。陽光と言うのは心の氷も溶かすのであろうか。
絵を描くというのはある意味で精神の格闘である。誰かに対して認めてもらおうと言う試みである。そして絵描きと言うのは一般のレールに沿って評価されることを是としない人間である。故に絵描きは波打ち際で葛藤する釣り人のようなものだろう。漁師になるでもなく、陸に上がって働くでもなく波打ち際で釣り糸を垂れる。赤いうきが水面を揺らす。ぐんとうきが水の中へ引き込まれた。


 ドアを叩く音が水面のたゆたいを乱す。騒々しいインターホンの音に辟易してインターホンのスイッチは随分前に取っ払ってしまった。ドアを叩く音の感じからして、恐らく佐川の配達員ではあるまい。かといってこの無遠慮さは宗教の勧誘でもなければ、水道局の検針やNHKの集金などでもあるまい。佐川運輸の配達員と、近所のコンビニのバイトのややぽっちゃりとしたお姉さんは、今や投獄されたマルキドサド以上に限定的になった交友関係のほとんどをしめる存在である。その二者のうち一つである佐川の配達員のおっさんのノックの音をこの私が聞き間違えるはずがない、では果たして誰であろうか。
私は恐る恐るドアの覗き穴を覗いた。
私はそこに映し出されたぎょっとするほど大きな目を見た。
「おや、どうやら生きているようだ」
大きな目が瞬きしながら声を出した。私は仰天して危うく声をあげそうになった。何が危ういのかもよくわからないが。とにかく仰天していたのである。なぜ先輩がここに?

               

 先輩と私は大学の一年生の時に出会った。
先輩はその時四年生であったが、何やらずいぶんと良くしてもらった記憶がある。そもそもの出会いは一年生の頃の外国語の講義にさかのぼる。グループワークで同じ班になった彼の至極面倒臭そうにしている顔をよく憶えている。私と違い文学科の学生であった彼の話術は巧みで、面白いと言うよりは延々と人を煙に巻くような喋り方をするのであるが、そんな彼の不可解さにも引かれ私からふと声をかけた。はじめどんな話をしたかは、もはや記憶の奥底で思い出すことも侭ならぬが、とにかくそれが先輩との出会いであった。大学生という言うなれば大人の階段を上る渦中にある人間にとっては、三年余計な年を経た生命体である四年生という生き物は、何やら神秘的に見えたものである。というかなぜ四年生が一年生の語学の授業に毎日のように顔を出しているか謎であったが、彼の全体からにじみ出すよくわからん感じに比べれば、そんなことは些末なことのように思えた。
彼は四年生であったので我々の関係は一年で一応の終着を得るかと思ったがそうはいかなかった。
先輩は留年したのである、そして今年も留年している。

               

私はドアの覗き穴をあぜんと見つめながら随分と呆然としていたようである。
先輩はほおの無精髭をしきりになでながら、
「うむ、まあ生きているようだから、取り敢えずそれがわかっただけでもよしとするか」
そうぽつりとつぶやいて、そのまま覗き窓から目を離し、身を翻して覗き穴越しのまあるい私の視界からきえてしまった。どうやら覗き穴の明るさの案配でこちらの私がドアの前までやって来たのがわかったようである。
夕闇はもはや立ちきえて、そこには暗闇ばかりが残った。
私はどうにも釈然とせず、その日は落ち着きなく過ごした。



瑞穂さんが缶を白い頬に当てて呟いた。
「私はそんな話、つまらないわ」
「つまらない?」と闇の中で先輩が呟いた。
「つまらない」
瑞穂さんはそう言って、先に立って歩きだした。
—森見登美彦 「きつねのはなし」

               

 私が時折疑問に思うのは、だれかの日常を描いた作品になぜこれだけの需要があるのか、と言うことである。村上春樹などその最たる例のように思うが、そう思うと人間と言うのは常に自分の今の人生に不満を持っているのではあるまいか。その疑念は日頃仕事をする所余念のない私の脳内議会の、もっとも熱心に取り組まれるもの議題の一つであった。人生がつまらないと思うのであれば、なぜ彼らはその作り物の世界に行ってしまおうと思わないのであろうか。成功者はわざわざ自分の人生を感情移入しやすいようにその秀逸な文体で我々に提供してくれているのである。それにもし眼前の世界が活字だけで埋められるとしたら、私の人生と文字の羅列で構成された架空の人生に、一体何の違いがあろうか。我々は自分という閉じた世界の中のみであれば、かもめになることも、勇者になることも、恋愛の主人公になることも出来るのである。強いて言えば経験の中で唯一体験しがたいのは死の問題であるが、その問題は人類発生以来かねてからの永遠の議題であって、その膨大なけんけんがくがくの議論を拾い集め読み進めていけば、その議論が終点に辿り着く前に、自分の肉体的な問題と活字を追う速度の問題で、その議論の対象を経験することになるであろうから、そんなことは考えても仕方がない。死は誰にでも平等に世界の終わりである。

               

 暗闇の中を一人、私が立っているとする。
そこはもはやどこまでも見渡すかぎり暗闇である。地面以外には一切何もない空間だと仮定してみよう、足からはしっかりとした感触が帰ってくる、ただ、壁と言うものは存在しないのでわざわざ手を前に出して物に当たるかもしれないなどと言う心配はしなくていい。音もしないものとしよう。匂いも無しだ。そうするとどうであろう、私の信ずる唯一のものは両の足から帰ってくる感覚、ただそれだけになる訳である。こんな状況になったら、一体人はどうなるであろうか。私は恐らく、とんでもない地面フェチ、床フェチになるのではないか、と考えるのである。限定された状況と言うのは人間の行く末を規定する。故に何でも出来ますよ、お好きにどうぞ、と本当に言われてしまった時、人は自分の殻と言うものを利用して、何処かに閉じこもらざるを得ないのではあるまいか。そして本質的に自由な人間と言うのは、他人から束縛されることをおおいに恐怖する傾向がある。無限の可能性を限定されることは、万能感の欠如である。それは大きな喪失であろう。では喪失しないためにはどうすればよいのか。
それは皆目見当がつかない。

               

人はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか。生まれてから死ぬまでのあいだ、人はなぜいつもいつもデジタル時計をはめていたがるのか。
—ダグラスアダムス「銀河ヒッチハイク・ガイド」

               

 だれにでもくせと言うものはある。
友人にとにかく手があくと髪の毛の先をいじる。と言う奴がいた。
大学の講義中に気になったので20分ほど観察していたことがあったが、とにかく彼女は手持ち無沙汰になると自分の髪の先をつまんで目の前に持ってきて見つめてみたり、捻ってみたり、時には口に含んでみたりする。髪の毛がちょっとパーマしているのはそのせいかな、などとまで思うほどである。当人は無意識であるのであろうが、くせと言うのは端から見てると面白いものである。

 私は時に部屋で一人でいる時に手持ち無沙汰になると、とにかく何かを触ったりするくせがあるようだ。改めて意識してみるとこのくせにはパターンが存在するようであり、大体はあごのあたり、その次に耳の上あたり、そして頬をなでる。こう言った一連の流れがもはや完成している、と言うことに気づく。無意識恐るべし。

 私はかつて煙草を吸っていた。今はもうすっぱりやめたのであるが、その時にマッチをまとめて買ってしまったために、未だに本棚の三段目の文庫本の前のあまり幅に、いくらかのマッチ箱だけが残っている。たまにはタバコと言うものが恋しくもなろうが、いかんせんアレは高い、一箱で文庫本が一冊買える。私はとにかく知識を所有する、という所に目がいきがちな人間であるのであまり図書館などは利用しない。と言う訳で今の私の部屋の惨状は目にあまるものがある、神保町の整理の行き届いてない古本屋もかくや、という本棚からの本のはみ出しっぷりは、持っていく所に持っていけば、ある種のオブジェとして芸術的価値を認めてもらえるのではあるまいか、という気にすらさせられる。

 何だか本を読んでてしんどくなってきた時に、ふとマッチの箱を一つ取り、箱からマッチを取り出して一本おもむろに擦り、火をつける。リンの匂いがじとりと眼前に広がる。そうすると活字の中にどっぷりと入り込んでいた私の意識が急に自分の眼前に立ち戻るような気がする。じりじりと燃えていくマッチの先端を眺めているとなんだかいろいろなことを考えさせられるものである、マッチ売りの少女と言うのは、或はこういう心持ちでいたのかもしれない。こうやってマッチが燃え尽きるまでのあいだ、何かと様々な物思いにふけるのである。

 マッチと言うものは棒の先端についた化学薬品と、ストライカーという箱の横部分にあるざらざらした茶色い部分に塗布された化学薬品が反応を起こして発火する。この知識はめずらしく本から手に入れたものではなく、先輩から教わったものである。A4くらいのサイズストライカーのシートを私に見せながらこのうんちくを語ってくれた先輩の姿をありありと思い出すことが出来る。そう言えば先輩はどこでもハンチング帽をかぶっていたように思う。彼はとにかく多趣味な人間で、その趣味の一つにマッチ箱作りと言うものがあった。彼は厚紙を箱になるようにはさみで切ってそこに絵を描いてマッチの外箱をそっくり自分でつくったものと入れ替えてしまうのである。先輩は絵心もあって、そのややがっしりとしたガタイとは何だか不釣り合いなかわいげのある動物の絵などをちょいちょいと描いていたのを憶えている。ふと思い出して台所へ行き、食器やらが無造作に積み上げられた棚の下の引き出しを探ってみる。随分と懐かしい、そこには先輩の描いたピンク色のワニの絵が描かれたマッチがあった。私は多少湿気ってしまって具合の悪くなったそのマッチを擦り、火を起こしてみた、リンの匂いが眼前に広がる。ゆらゆらと揺れる火を見ながら私は何だかこのままでいいのだろうかと思った。
良いはずがない、しかしこのままでも良いのではないか? とも思ってしまう、このままだって、悪いことはない。
 オッカムのカミソリだったか、ああ違う、チェーホフの銃、だったと思う、物語にもし拳銃が登場したのであれば物語のいずれかの段階で発射されなければならない、という考え方である。しかしこのマッチは、今後そんな重要な意味性を帯びてくるとは私は思わない。

               

「わたしはかもめ」
—ワレンチナ・テレシコワ 

               

 ゆらゆらと揺れる木漏れ日のなかで私はすっかりいい気分でひるねをしていた。雲一つない青空は、私には何だか眩しすぎて空を直視することが出来ない。むしろ私が意識しているのは背中の下にある地面である。日差しを私に遮られた地面は何だかじっとりとして、またひんやりとしているように思う。ちょっと背筋を伸ばして頭の上の木の幹に目をやる。てんとう虫が一匹とまっている。てんとう虫はがっしりした形の割に、軽すぎる。私は何だか不安になった。

               

 漫然と机に向かい、ただ漠然と本を読む、この行為は常に自分との戦いである。つまり、外に出たい、とか、他にするべきことはないのか、とか、果たしてこのままでいいのか、とかそういうぼんやりとした不安との戦いである。彼の大文豪はこれをこじらせて死んだりした訳であるが、果たしてそれにどう対処したら良いのかわからない、考えたくもない。

「曖昧模糊」と言う言葉がある。
この言葉のいい所は、言葉の意味以上にこの「あいまいもこ」という響きが、もこもことして何だかつかみ所がないもののような感じがする所にあると思う。綿菓子みたいなそう言う感じであろうか。あるいは昔触ったリスのそれに近いのかもしれぬ、リスは見た目はもこもことしてかわいらしいが、いざ触ってみると、肋骨やらが思いのほか近くにあり何やら思ったよりもごつごつしていた、手のひらで包み込めば暖かかったし、このまま力を込めれば握りつぶせるのではなかろうか、とも思えた。リスについてはっきり言えることがあるとすれば、それはあまり人になつくことがなく、歯は鋭く噛まれると痛い、ということだけである。私はそのとき噛まれて、大変痛い目にあった。

               

 夜半、腹が減ってコンビニへと出かけた。コンビニは私のアパートから駅を挟んで反対側にある。夜風が贅肉のないしなやかな身体、もとい、筋肉すらない虚弱な身体を冷やし、腹にこたえる。私はコンビニへ出かけた時には大体海苔弁を買う。コーラ味のガム。ジャスミン茶。ジャスミン茶の良い所は味のあまりない所である。口の中に甘い味やらが残るというのは気持ち悪い。私は昔ココアの粉が大変好きで、一時期はココアの粉だけを食して生きてきたが、口内が大変甘ったるくなるのと、虫歯に悩まされたためやめた。コーラ味のガムを買ったのは、人間、そうはいっても糖分は必要である、ということを意味する。この時間は必ずおなじお姉さんがバイトをしている。ややぽっちゃりとしていて笑顔のすてきな女性である。若い身空の女性がこんな夜中にアルバイトなど、大丈夫であろうか、と心配になるのだが、ここは日本だしそんなに不安に思うこともないのかもしれない。女性は一言
「あたためますか?」
と聞いた。私は、
「結構です。」
と答えた。

               

ぼくはこの未来世界の惨状は、彼らが自ら招いた罰だと考えて自分を慰めた。人間は同胞を搾取し、必要性という言葉をスローガンに、安逸の生活を送ってきた。しかしやがてこの必要性という怪物に復讐されたのだ。
—H・G・ウェルズ「タイム・マシン」

               

 虫がいる。私は虫が苦手である。ゴキブリが好きというものはなかなかおるまいが、何にしても私はとにかく虫というものが嫌いである。ちょっとカブトムシを手の上に乗せてみてほしい。うごうごと手の上で動くだろう。この甲虫と目を合わせて語り合ってほしい、恐らく奴は何も語りかけては来ないだろう、しかも飛ぶ、当たると痛い。そしてなんとか捕まえてプラスチックの飼育ケースにもどしてやるとその黒い、まるで何も読み取ることの出来ない目を持った生き物は、ちうちうとカブトムシゼリーを吸うのである。かつて純粋な瞳を持った私はカブトムシの気持ちにより親身になるためにこのカブトムシゼリーを食べてみたことがあったが、匂いの割にあまり味がせず、しかももちゃもちゃとして生暖かく、なかなか飲み込むことの出来ない。とにかくこんなものを食っている生き物とは生涯仲良く出来ないだろうと思い、飼育ケースを公園に持っていって、すみの方でひっくり返した。特に思いやりもなくひっくり返したのでカブトムシはこんもりと盛り上がった土の下敷きになる形になったが、しばらく見ていたらカブトムシは土の中から出てきた。ケースは公園の水道できれいに洗った。洗い終わってまた土の山を見るとカブトムシはもう何処かへ行ってしまっていた。あんな何を考えているかわからない生き物と生活し、あの瞳で見られているというのは、どうしてもいいのかわからなくなってしまうものだ。無論カブトムシを勝手に逃がしたので、まだ幼かった弟はさんざん泣いた。許せ。


 ときにカブトムシはなぜ日本に一種類しかいないのか、クワガタムシは数種類いるのになぜ。とある本で読んだがそもそもクワガタムシはクワガタムシ科を形成しているが、カブトムシはコガネムシの亜科で、コガネムシの三分の一はフンコロガシらしい。つまり母数がもう違うのである。しかしカブトムシだってそれでも何百種類もいる訳であるから、いったい日本でどのような淘汰が行われたのか。それを想像するとおそろしい、カブトムシは昔他のカブトムシをヒトラーのように虐殺でもしたのだろうか。生物学を専攻する友人は、多分日本に来たのがたまたま、あのカブトムシだけだったんじゃないか?と言っていた。カブトムシに取ってこの国は。争う同族のいない楽園であったのであろうか。

               

 人は常にものの状態を変えることによってその変化を記憶し、変化そのものに価値を、意味を見いだすものだ。情報というのは変化の蓄積である。例えば、今あなたがこのページの上の端をつまんで、ちょいと折り曲げてみるとする。そうすることによって、このページには何かしらの意味性を帯びることになる。これはあくまで自分に取って、このページは特別である、と言う順列の問題である。私はまた読み返したいフレーズの存在するページほど、深く折り目を付けると言う自分の中でのルール持っているが、これはあくまで自分の中のルールである。しかし人間というのは面白いもので、これを他人が見た時に、感情移入という方策でもって、この本についた折り目の意味性を推理することが出来るのである。フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」ではネクサス六型という「外見や行動では人間と区別できない」精巧なアンドロイドと、人間を区別するための手段としてフォークト=カンプフ感情移入度測定法と言う、動物や生命に如何に感情移入を行い、生命が失われる、「死」と言う概念に対して、一種の生理的嫌悪をもよおすかどうか、というテストを行っていたが、一般に人間が推理、と定義するものは、如何に他者に感情移入し、かつ合理的思考によって、行動の枝葉を取り払い、さらにその合理性も取り払い、感情も取り払って、やっとそこに残った貧弱な情報の枝葉をみて、これぞ真実、と納得するのである。真実というのは常に、わずかな情報、出来れば一言で言い表されねばならない。なぜならば長ければ長いほど屁理屈に付け入られる隙があるからだ。ゆえにかつてイギリス人は真理とは「四十二」である、と言った。これは矛盾の発生しない強い真理ほどもはや枝葉が取り払われてしまいすぎて何の意味も成さない、という良い例である。あるいは昔の哲学者は、とにかく文章量を多くし、難解な言葉を使い、回りくどい書き方をし、もはや生涯のほとんどを費やさねば読めないようなものを真理と定義した。これはとても素晴らしい効果を発揮したものである、なぜならば、それは読むのもめんどくさければ。理解するのもめんどくさいし、ましてやその素晴らしく長い文章にいちゃもんをつけることなど、さらに面倒臭いことである、ということを、だれもが理解したからである。その真理の文章は、一般には聖書と呼ばれる。

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「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」(我が神、我が神、なんぞ我をみすて給いし) 
「マルコ伝 十五章」

               

『おれはこれまでいっぺんも人間どもによくしてやったことはないし、人間どももいっぺんもおれによくしてくれたことはない。だったら、なんでおれは人間どもがうじゃうじゃいるところへ自由になりにいくんだ?』
—カート・ヴォネガット・ジュニア「タイタンの妖女」

               

 この辺りで少し、私のかつての思い人のことを書こうと思う。
出会いは大学一年生の頃であったと思う。何と言うか、一目惚れであったように思う。どういう状況であったか、今ひとつ鮮明に思い出せないのであるが双方顔色に酒精の痕跡も消え入らぬまま、紅い眼鏡の似合う彼女と並んでラーメンを食った、と言う事実は憶えている。彼女は俗にいうオタクというものに分類される人で、私のような旧態依然とした文学オタクとは違った、独特の雰囲気を持っていた。高校の頃所属していた文芸部は、どちらかと言うとそのような人が多く、いろいろとそう言った傾向のものを見せてもらう機会も多かった私は、その方面にも十二分に理解があるつもりでいた、ガイナックスのアニメなどはあらかた見たし、アニメに影響されて彼氏彼女の事情と言う少女漫画なども読んだりした。彼女は何が好きなのか、それはボーイズラブと呼ばれる男性同士の性愛を愛でる作品群であった。

 兎角私はこのボーイズラブというものが苦手である、それは同性愛に対する嫌悪感でもなければ、性の対象として異性から目を向けられるという不快感などでも断じてない。私は声を大にして言いたい。
「お前らはいったい何様のつもりなのだ」
ボーイズラブというものには女性において感情を移入する先のないものである。つまり手のひらの上で必死に愛とか恋とかをささやく男同士の醜態を眺めにやつくという大変悪趣味なものである。愛とか恋を醜態と断じるのはいかがなものかとも思うが、かの森見登美彦氏も初作「太陽の塔」にて恋愛について「人々は狂気の淵に喜んで身を投げ、溺れる姿を衆目にさらす。未だ身を投げざる人々は、出来るものなら早く身を投げたい、身を投げていない自分は幸せではない、恥ずかしいとさえ思っている。断じて違う。恥ずかしいのは、溺れている姿であり、溺れたがっている姿なのだ。」と説いている。
ボーイズラブが好き、という女性(一般に腐女子と呼ばれる)と話をすると常に思うのは、「お前は神か」と言う一言であり、自分不在の世界の中で神の視点でハムスター同士のじゃれあいを覗くが如く男どもを愛でる彼女達を何だか不気味なものを見つめるような目つきで見てしまう。彼女らの求める自分不在の恋愛とはつまり裏切られるかもしれない対象への恐怖であり、新しい経験へ足を踏み出すことからの逃避であり、或は夢と自分の現状の不一致に対する逃避でもある。つまりこの趣味はとても後ろ向きなのだ。後ろ向きであるのに、彼女らは自分たちが囲い込んだ箱庭の中では神として振る舞うのである。究極の内弁慶。それが私の中での腐女子に対するイメージである。

 しかし、今や世界のすべてを活字の世界の中だけに限定してしまった私に、果たして人のことが言えるであろうか。私はもはや、私自身に取っての神でしかない。他の人からすれば、もはや人ですらないのである。私は進んでこの状況を選んだ、意識的な選択である、しかし、それが現実からの逃避でなかったと、いったい、だれが言えるであろうか。

               

「なんでだろう。わかんない。たくさん嫌だーって思ったよ。痛いのやだし、苦しいのも嫌だったよ。誰かが手を差し伸べてくれる夢、何度も見たなあ。んでも、なんでだろ」
—紅玉いづき「ミミズクと夜の王」

               

 夢で私は1羽の手負いのかもめであった。空を飛ぼうにも自由に飛べぬ、わたしは昔から空を飛ぶ夢というものを見たことがない、落下する夢ならいくらでも見たことはあるが、空を飛ぶ夢、というものとはとんと無縁である。わたしは心の何処かで、そんなことが出来るはずがない、と思っているのだ。況んや出来たとしても、私には不可能であろうと、そう考えているのである。だから私は星の王子様に感情移入も出来ぬし、稲垣足穂の言う飛行機への憧れのようなものも、理解は出来るが何処か絵空事のように考えているのである。私は、とにかく飛ぼう、と考えた、夢の中であれ、今まで出来なかったことが出来れば現状は打開される、と考えたのである。風に持ち上げられる様を想像してみたらいいかもしれない、大きな力に逆らわずに、その後押しに乗って飛び上がるのだ。私はとにかく、飛ぶことを念じた。風は徐々に強くなる。私の身体はぐらりとゆれる。身体の面積いっぱいが空気で押し上げられるかのように、浮き上がった。ぐいぐいと風に押されて私は遂に空を飛ぶことが出来た。何と、爽快な気分ではないか。私は万能感にあふれ、高みから地面を見渡した。しかし私は失念していたのである、空を飛ぶことは出来た、しかし、どのように地面に降りれば良いのか、その考えに思い至った時に、私はまさしく、真っ逆さまに墜落した。私は目を覚ました。

               

「おーい、でてこーい」
—星新一 「おーい、でてこーい」