「いずれどっかへいくだろうさ……。それともどこへもいかないのかもしれないぜ……。どっちでもいいさ。このままで、とてもたのしいじゃないか。」
—トーヴェ・ヤンソン「ムーミンパパの思い出」
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肉食というものが禁止されている文化、風習というものがなぜあるのか。
端的に言ってしまえば肉は野菜や豆、麦などの他の食品に比べて、劇的に保存が難しくかつ、鮮度の劣化によって人体に害を与えることが多かったからであろう。一説には豚の肉は人間の肉と味が似ているからイスラム教では禁止されたのだ、だとか何だとか諸説もある訳であるがこれらの問題を一括で解決する方法というのがある。いかにして無知蒙昧な人民に、そういうことはしちゃいけないよ、と理解させるか。「それは神がいかんと言ってるからいかん」と言う便利な言葉に集約されている訳である。科学というものが存在しなかった過去に食中毒や寄生虫などの害をどのようにして回避するのかということが宗教の一つの課題であったからだと思う。
宗教の規則をいかにして守るか、そして守ったことによってどのようにして神のご加護、つまり仏教で言う現世利益を信者に与えるか。食中毒にならないというのは毎日人々が食事をしなくてはならないという点で非常に重要な点を占めるであろう。
端的に言ってしまえば、教育の行き届いていない世界でどのように法律を浸透させるか、と言った問題である。実際法律というのはあれはいかんこれはいかん、これをやったら罰すると言うのを人間の尺度で人間が実行するものであってこれは非常に面倒くさいし、大いに反感を受けることが多い。神は過たず、と言うが過ったものには罰を与えよ、と言うのが法の精神であるが故に、これは大変都合が悪いのである。宗教であればその神のお告げの運用を誤った実行者、つまり司祭などが糾弾されるのであろう。何より神は裁こうとしてもなかなか人間の側からは裁けない。なぜならば居ないからである、居ないものにはカフェでコーヒーをおごろうと思っても無理だからだ。しかしこれが王様になって来るといろいろと問題が起こって来る。なぜなら王様というものは国の頂点であるが、実在するからである。確率は非常に低いが、場末のバーにやって来た王様にスコッチをおごる、と言うことは不可能とは言い切れない。王様とて人である。
王権神授説、と言うものをご存知であろうか、つまりある程度時代を経ると、王様がなぜ偉いのか、というものを神様に選ばれたからだ、という理論付けで正当化して行ったのである。これは極端な言い方をしてしまえば、神が天下って人界に顕現することと同じで、かつてリーダーとして、一種の神として存在していた王が、神の勢力つまり「教権」の台頭に対して、いかに対抗するか、という実際的な問題に大きく突き動かされていたようである。「くそう神様ってずるい!」そして結果的に王も神をヨイショすることになる訳である。王権は教会と同じ神の出先機関に堕したのである。
この辺りは、ヨーロッパの一神教文化が大きく影響していて、新興国のルターやらイギリス王朝やらがいちゃもんをつけるまでキリスト教権力はローマ教皇が一極で掌握していた。この辺りの経緯も、極端な理由を挙げれば「お前らばっかりずるい」と言うのが原動力となっているように思う。
日本の天皇制というのも大変面白くて、時代は移り変われど征夷大将軍という役職において天皇から統治の大義名分を賜るというシステムがずっと続けられて来た。この辺の類似も、人間の思考の類似性に寄るのかもしれない、つまり、人は常に許されたがっており、またこれをしなさいと命令されたがっており、もっと言うのならば、人は行動に常に理由を求めたがるのである。
Why? なぜ?
人は言う「嗚呼、神よ!なぜ私はこんなにも苦しみを受けなければならないのか!」
「それはおまえの生活がなんか、こう、悪魔的で、なんか、その、あれだからだよ」
「なるほど!」
かくてめでたしめでたしである。人は常に理由を求める。なぜ苦しい目に遭うのか、なぜ悲しい目に遭うのか、なぜ牡蠣を食って食中毒を起こすのか。それは牡蠣の保菌するノロウィルスに寄って説明できる訳である。しかしウィルスというのは目に見えない。人々はもっとシンプルな答えを要求する。「それは神が罰をお与えになったのだ」
もう一声!
「それはおまえたち人間がみな罪を背負っているからだ」
ベストアンサー!私たちが皆を背負っているのであればもうそれは仕方あるまい、我々は罰せられるべくして罰せられたのである。
人は理不尽を嫌う。なぜならば理解できないということがとても不安だからだ。とにかく答えを得て、安心したい。たとえそれが間違っていたとしても。そして場所が変わって高温多湿で食物が腐りやすいインドネシア、タイなどの地域では食事に大量に香辛料を使用することなどで食中毒の問題を解決した。(香辛料には殺菌作用がある)
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夜が明ける。西から上ったお日さまが東に沈み、また西から昇って来たのだ。
「太陽が昇るのは東からだよ」
小林が言う。そういえばそうだ。
我々はとにかく西に進んでいるらしい、ということだけはわかった。我々の背には朝の青白い太陽が朝の気持ちよい光を発し、その光が我々を追いかけて来る、長い間引きこもっていた私には太陽の光はもはや毒である。
「もし直射日光にさらされた私がドロドロに溶けて灰になり風に乗って四散しそうになったら、すかさず集めて袋にでも入れて、いつかグランドキャニオンの上で撒いてくれ。」
と私は小林に言った。
「今の所当分オーストラリアには行く予定がないな。」
「じゃあそこらへんの山で撒いてくれ。」
私は妥協した。
「じゃあ今そのまま風に四散するままにしたって、同じじゃないか。」
もっともである。
道はどんどん田舎道になり、ついに山道になった。もしや我々はこのまま姨捨山に捨てられるのでは、と思った。こんなに若くてぴちぴちしているというのに!しかし、かれこれ何時間くらい走ったであろうか。乗り物というのは乗っているだけで目的地に連れて行ってくれるので、大変に便利である。ただトラックの荷台はいささか環境が良くない。だんだん足やら手やら尻が痛くなって来る。私は少し大きな声で運転席の先輩に5度目のあとどれくらいでつくんです?という質問をした。帰って来たのは先輩の、5度目のもうすぐつくよ。であった。
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Now baby, listen baby, don't ya treat me
this-a way
Cause I'll be back on my feet some day.
—Ray Charles「hit the road
jack」