『シュレディンガーの猫』という話をご存知であろうか、箱の中に猫と、なんかランダムに毒ガスが出て猫が死んでしまう装置を仕舞って隠してしまえば、そこには生きている猫も、死んでいる猫も同時に存在する。だとかなんとか、そういうやつである。『シュレディンガーの猫』が説明していることというのは、そう、つまり猫の生殺与奪の権利は人間が持っている。ということに他ならないだろう。
という訳で古典物理学では説明できない物理法則を説明するために生み出された量子力学という学問は、猫の生殺与奪の権利を人間が手中に収めることから始まったのは想像に難くない。猫だって好き好んで死にたい訳じゃないだろうから、やはり猫をシュレディンガー式ランダムガス室にしまう際には、相当の反対があった事だろう。
しかしながら、俺たちは人間によって猫の権利が侵害され虐げられている世界で生きているのだ。猫たちの犠牲によって太陽表面の黒点が磁石になっているという現象を解明できたり他にも色々あったのだ。俺は今も毒ガスで死んだり死ななかったりしている猫に思いを馳せ、感謝とともに一筋の涙をこぼすのだった。
のちに長門が、生きた猫と死んだ猫が重なりあった状態で同時に存在しているということは、猫の質量は箱にしまう前の2倍になっているはずである、という論理的帰結に気づいた。この論理に基づく猫を危機的状況に置くことで熱力学の法則を無視してエネルギーを2倍にできるエネルギー機関は今までのどの様な方法よりも効率がよかったため、猫は熱核エネルギーに変わる新しいエネルギー資源としてまた一歩絶滅への道を歩んだのだった。
『ブギーポップは長門有希』完