2011年12月27日火曜日
何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。
―森見登美彦 「太陽の塔」
街は一面のクリスマスである。電飾は星々の形を描き、人々はサンタの帽子をかぶり、街々の隙間にはクリスマスマーケットが建ち並び、子供達はわたあめを食ったり、大人達はホットワイン片手にブレッドブルスト(焼きソーセージをパンではさんでケチャップをかけたもの、説明はしにくいのではあるがいくつかの点で、確実にこれはホットドックとは違う食い物である。)を食っている。
私はというと、時折小雨の落ちてくる寒空を睨みながら煮レバーの紙皿を片手に、男一人でクリスマスマーケットを見ている。どうしてこんな有様になっているのか。
レバー煮はなんというかただレバーとタマネギを煮た味しかせず、加熱しすぎてぼそぼそしたレバーをもそもそと食っていると思考もどんどん変な方向へと沈んでいく。
なぜ、西武新宿線界隈で天下一品の太鼓持ちとまでうたわれたお世辞の上手い私でも褒める要素をまったく見いだすことの出来ないレバー煮を、まあ捨てるほどでもないし、ともそもそと食いながらこんな所を歩いているのか。
そうだ、楽しまなければそんではないか、そうと決まれば、と。褒める要素無しのレバー煮を一気に胃の中にかき込む、吐かなかったのが奇跡である。
私は一念発起して、まずは様々な小物の列ぶ出店に目を向けてみた。ブレスレットや指輪などの装飾品もなかなか良い、こちらでは子供向けと言うよりはむしろ大人を対象にそう言うものを作っているようで、日本の祭りで見かけるようなプラスチックのおもちゃのようなものでなく、結構貴金属系のものの出来は良いようである。
まあしかしうさんくさいことには変わりない。
その中で私の目をひときわ引いたのは、木彫りのおもちゃの立ち並ぶ中にひときわブサイクな顔の小さな木彫りの猫を見つけた。
私はこいつを今夜から俺の友達と決め、アラブ系の顔立ちのおっさんから2.5€でこの猫を譲り受けた。私はこれを「猫の猫三郎」と名付けた。
さて猫三郎気の向くままにこのクリスマスマーケットを回ってみようではないか。
私は猫三郎に「どっちへ行こうか?」と話しかけてみたのだが、猫なので返事をしない、というか木彫りの人形は喋らない。
仕方がないので私は猫三郎をポケットに突っ込み地面を踏み踏み歩き出した。
なんだか楽しげな観覧車が見えるのでそっちの方へ行こう。
道中にあるのは何だかチカチカキラキラふわふわとして魅力的なものばかりだった。
2011年12月20日火曜日
2011年12月19日月曜日
「もうがまんできん!ハルヒの顔面にビックバンパンチをぶち込む!」
涼宮ハルヒというバカの作ったSOS団等と言う集団に占拠された文芸部室に一人の男の声が響き渡る。そう、何を隠そう俺の声だ。
「ハルヒの顔面にビックバンパンチをぶち込む!」
長門が本を落とした、古泉は信じられない、と言った形相でオセロの盤越しに俺を見ている。手を滑らせてお盆を落とし、湯のみをぶち割ってお茶を散乱させた朝比奈さんは口をぱくぱく開けて驚いている。金魚みたいでかわいいですよ。
驚いたことに第一声を発したのは朝比奈さんだった。
「でも、キョンくんはビックバンパンチを使ったら…」
それは承知の上です、結果どうなるか、それが分かっていても男にはやらなければいけない時と言うのがある。最近のハルヒの振る舞いには、もう俺の固く片結びに結ばれて子供の頃からほどけたことのない堪忍袋の緒だって金属疲労で粉砕せんばかりの勢い。もし、次にあいつが何かやらかしたら、その時は…。
握りしめた俺の拳から信じられない量の手汗が流れ落ちる。
長門は落とした本をそそくさと拾う、椅子に座り直す時に小声で「どっこいしょ」と言ったのが聞こえた、こいつも相当混乱しているようだ。
古泉の顔にはもう笑顔は残っていない、ただ一筋の汗が、古泉の顔をつう、と流れ落ちる。
「本気…なんですね…」
ああ、覆すつもりはない。もしあいつがまた何かやらかすようなことがあったら俺は…
「とりゃー!」
ハルヒがドアを勢い良く開けて部室に入ってきた。
学校は消失した。
俺の繰り出したビックバンパンチは躊躇することなくハルヒの顔面へその狙いを定めていた。第三宇宙速度を凌駕した俺の拳と、窓を蹴破って入ってきたハルヒの顔面が接触した瞬間、その衝撃波によって、まったくいっぺんの苦痛も与えずに、ハルヒの顔面を消し飛ばした。恐らく何が起きたのか、理解することすら出来なかったろう。さらにその衝撃波はとどまる所を知らず、周囲の空気との摩擦によって異常な高熱を生み出し、膨張した空気が俺を中心にする形で大規模な爆発を起こし古泉と朝比奈さんは窓ガラスを突き破って校庭の方へ吹き飛ばされていった。長門は情報操作によって椅子の位置をキープしていたが、そのあまりの衝撃波と熱量のため、常に自分の身体の解けていく部分を再構成し続けない限り、そこに存在することは許されなかっただろう。それでもそこに存在し続けてくれたことは、俺の決意を最後まで見届けようという、長門なりの優しさだったのかもしれない。とどまることのない熱と力の奔流は、校舎の壁をすべて粉砕し、柱をへし折り、鉄骨をねじ曲げ、全校生徒を灰の山へと変えた。俺のビックバンパンチによる衝撃波で北高から半径7万キロメートルはクレーターと化した。そこには全身全霊をパンチに込めたことによって、もはや残りの生命すべてを使い切った燃えカスのような俺と、ただ椅子にすわって、無言で本に手を置く長門だけが残った。やがてここに大量の海水が押し寄せてくるだろう。だが俺の命もそこまでは持たなそうだ。ありがとう長門見届けてくれて。そう言って俺は長門の方を見た。悲しげともいえそうな、切なげともいえそうな、そして何よりも、はかない笑顔がそこにあった。俺はこいつを最後まで無邪気な笑顔にすることは出来なかったな、と思い、そして、息を引き取った。どうどうと海水が押し寄せてくる。
長門は海の水の濁流の中へ掻き消える。これでよかったんだ。
さらば涼宮ハルヒ。そして、さようなら、俺の大切なSOS団の仲間たち。
—「もうがまんできん!ハルヒの顔面にビックバンパンチをぶち込む!」 完
2011年11月30日水曜日
石橋を叩いて…
石橋を叩いて渡ると言う言葉がある。
私の友人の小林はそういうタイプの人間である。彼は些か石橋を叩き過ぎる傾向があるが、まぁ叩き壊したりするレベルでは無いので問題はあるまい。彼は石橋を叩くように自分自身も叩き上げ、今では帝大の院で研究する身の上である。
石橋を叩かずに渡る奴もいる、彼は先人も渡ったのだから大丈夫だろうと言う、彼にとって今日の社会を成立させているのは信用である。10年崩れなかった物が10年と一日では崩れまいと言う信仰である。彼は信仰の上をひょいひょいと渡って行く。また、信用を得たものは、進んで信用を損なうまいと言う信念も持っている。彼の世界は磐石である。
石橋を渡ろうとせぬ者もいる。
ふらふらと遊び歩いている者もいれば、全然関係無い事に没頭して石橋が目に入らぬ者もいる。
前者は時が来ると観念して石橋をひょいと渡ってしまう。後者は偶々彼の芸が川渡しの船頭の目に止まり、船で揚々と川を渡ってとんでもない所に着いたりする。
石橋の中程で右往左往しているものもいれば、叩いたら即座に粉々になるのではと疑心暗鬼になる者もいる。渡り切ってから後悔する様な素ぶりを見せる者や、向こうからこっちへ帰ってくる奴もいる。欄干を渡ろうとする者、橋から川を眺める者、身投げする者、様々である。
2011年11月22日火曜日
涼宮ハルミの憂鬱
2011年10月17日月曜日
でも、いささか、見るに堪えない。
—森見登美彦「四畳半神話大系」
男がただ一人悶々と悩んでいる、これはなかなか絵にならぬ、しかも理由がメールの返事が来ないから、などと言う女々しき理由ではまったく様にならん。男はどんと、もっと大きなことで悩むべきである、具体的には世界平和とか、あと世界金融情勢とか。
私がベルリンで生活を初めて、早くも3週間を過ぎようとしている。今借りている家は来週には出なければいけないので、次に住む家が見つからねば宿無しである。いろいろな所にメールを送って見ているがなかなか決まらぬ、しかも送ったメールに関して英語の分かるものに聞いてみた所、之では失礼に当たる、返事が来ぬのも当たり前、等と言われたからには私のセンチメンタルな、それこそ水に浸けて7時間の経過したでろでろのポッキーよりも脆い私のメンタル(重複表現)は、甚大なダメージを被った訳である。この世に無知によって行われる無礼や過ち以上にあってはならぬことがあろうか。いや、なくはないだろうが、これはなかなか据わりの悪い、居心地の悪いことである。しかもいわんや言い訳もなかなかうまく英語で出来ぬので困ったものである。
とりあえずもっとダイレクトに自分がどうしたいかをメールで送れ、とアドバイスを受け、「明日暇でしょうか、出来ればお会いして家のことなど細かくお話ししたく存じ上げます」等と言う内容のメールを送るも、明日はちょっと急きすぎではあるまいか、などと送ってから後悔する始末。恋愛相談じゃないんだからさぁ。
しかし何より面倒なのは現在借りている家でインターネットが使えないと言うことである。これは何とも面倒で、腹立たしい。腹立たしいが今借りている相手も私の通う先の大学生であるので、わざわざ文句をつけて悶着を起こすのも面倒だ、波風を起こさず、唯唯その隙間を飄々と生きたい、と言う私の信条に反する。そうして飄々と生きるのを望むが内に、徐々に伸されて乾燥し、スルメのような薄っぺらな人間になることであろう。しかし諸君、よく噛んでみてくれたまえ、スルメとは如何に深く、深遠な味(重複表現)のすることか。いや、私の腕は噛まないでくれたまえ。
と言う訳で最近はもっぱら大学のパソコン室へ忍び込んで(正規の利用方法は知らぬのでドアが開いてる時に勝手に入って居座っている。)インターネットをしている。何事もやってやれ、である、怒られてから考えよう。それに怒られたとしても、どうせドイツ語はわからぬ。
こう僕はこちらに来てから、やたらと「different」と言う単語を使う。本当に何もかもがディッファレントである。外人と言うのは理解しがたい所があって、しかも私の今まで生きてきた世界で通用してきた常識が通じないようである。
私はかつて留学を希望した理由を述べよと言われた時に「肌の色も違う、主義主張も異なり、そして何より私の通じない言語でもって私から見えない所で文化を形成している外国と言うものを一度この目で見てみたい」という旨のことを言ったように思う。
本当にあったので驚きである、外国。
いや、むしろこれは私がわざわざ飛行機に乗って遠くヨーロッパまで観測に来たからこそ生じたのやも知れぬ。北京で蝶が舞うと、どっかでハリケーンだか黒死病だかが起こるという(北京に生息する蝶の数を考えればいまだ世界が滅亡していないのは不思議である。)が、私が飛行機に乗るとヨーロッパが産まれる訳である。神は22年と9ヶ月目にヨーロッパをお作りになった。
そう思えば世界はなんと簡単なることかな、私が眠れば世界は死ぬのである。
いや、寝るな!この寒さの中寝たら死ぬぞ!
かくてベルリンとは何だか兎角寒い地域である。それにしてはここの人たち、ランニング一枚だったりTシャツにちょっとしたパーカーでうろうろしたりしているので、たぶん違う人種なんだろうなと思う。そうだ、違う人種だった。
駅や道ばたには浮浪者、物乞いが驚くほど多く、電車では一駅ごとに車両に物乞いが入ってきてはコーヒーの紙コップに施しを、と言って回ったり、楽器を演奏したり、演奏したあと紙コップを持って回って施しを求めたり、声高に何やら政治的なことかな、いや、政治的なことじゃないかも知れないけど、私はドイツ語はさっぱりなので、もはやそれは単に騒々しい雑音なのだが、演説して回り、演説しながら紙コップを持って施しを求めたりしている。私は日本人的な高潔さ、施しをあたうることは罪悪である、という何だか偏った価値観でもって、未だ一度も施しを与えたことは無い。私が欲しいくらいである。
いや、それでもまだ、夜道で絡んでくるアラブ人や、スキンヘッドの白人よりはましである、治安が良い悪いの問題じゃない、ここの人間は他人に関わりすぎなのだ、私は出来ればあまり人とは関わりたくない、相手に親切にされればされるほど、私の不勉強によって相手を煩わせてしまっているのではあるまいか、と思ってしまうのである。英語が不出来であるが故に、相手を困らせてしまう、しかも善意で接してきてくれていた人間も、途中でじれったくなってイライラし出す、ならはじめからほっておいてくれたまえよ。
誰も僕を知らず、僕の方でも誰も知らない所でありさえしたら、とはよく言ったものである。こんなに住みにくい所は他に存在しないだろう。より住みにくい所があるとしたら、それは推そらく誰もいない所である。
…いや感謝していない訳ではないのだ、ただ私の不勉強故、勉強勉強また勉強である。
ああ、望郷に咽ぶこと頻り、そろそろ書くこともつきたのでこのあたりで切り上げるとする、もしここまで読んでいただけた殊勝な読者が居たのであればここでお礼申し上げる。あとは感想を書簡に書いてヨーロッパまで送ってくれたまえ。エアメールは高く付くがよろしく頼んだよ。