2017年10月20日金曜日

ディスプレイと情報 人間の知覚範囲とフレームの大きさについて

 「スケッチブックは大きい方がいい」、と美術予備校時代に講師に言われたことがある。
何かを行うときに、フレームの大きさは人工知能にとっては致命的な足かせとなるが[1]、人間にとってはフレームの小ささこそが、その可能性を可能な限り広げるための足かせとなりうる。例えば、A4のコピー用紙に一辺30cmの正方形は書くことができない。ということは、必然的に、人間の持つ想像力でもって、例えば一辺20cmの正方形を30cmの正方形として認識する他はない。それは人間の能力の汎用性を讃えるべき一事例であるかのようにも感じられるが、ある側面で見れば、非常に無駄の多い方法であるとみなすこともできるだろう。
 iPhoneで本を読むより、Kindleで本を読む方がいいし、Kindleで本を読むよりはiPadで読む方がいい。前者はフレームの大きさの問題で、後者はインターフェイスの透明化[2]の問題であるが、なんにしても、フレームは大きい方がいいし、解像度は高い方がいい。
最も注目すべき観点は、現在昔ほど大きなディスプレイが高価ではなくなったにせよ、ディスプレイというものは大きくなればなるほど高価になる、という問題だ。そして、鮮明になればなるほど、高価になる。
 アラン・ケイの時代の人々が構想したGUIという考え方から、ウィンドウズがその象徴的な名前で登場してきて、モニターは情報という資産にアクセスするための窓となった。
何でもかんでもガメるには小さい窓では時間がかかる。それはウィンドウの小ささが情報という資産を運搬する上でのボトルネックとなるからだ。
iPhone3Gの3.5インチディスプレイとiPhoneXの5.8インチディスプレイではその面積比もさることながら、表示ピクセル数には天と地の差がある。前者が「320×480ピクセル」であったのに対して、後者は「2,436 x 1,125ピクセル」である。
かくて人類は、より多くの情報を、ディスプレイという窓から運搬できるようになった。
ここでも我々を縛るものは、y×x pixelであり、ディスプレイというフレームのインチ幅である。
 テレビは大きい方がいいに決まっているし、入ってくる情報も多い方がいい。インターネットに接続されたメディアから搬出される情報の増加は、おそらく人間の情報受容の時間感覚を大幅に高速化したはずで、番組の間挿入されるコマーシャルが異様に退屈に思えるのも、結局のところシングルタスクで処理するに値しないほどに、コマーシャルにおける情報量が少ない、というところに起因するのかもしれない。テレビを見ながらyoutubeを見たり、コマーシャルをカットした録画放送を後で見る、といった考え方も、言うなれば、コンピュータ黎明期のパンチカードの時代に、メインフレームと呼ばれる大型コンピュータが処理を行わずに遊んでいる時間を減らすために用いられた「タイム・シェアリング」[3]を行なっているようなものなのかもしれない。人間の脳というメインフレームをいかにしてロスが少ない形で運用するか、というのは今後の情報へのアクセスにおいて、重要な課題になっていくのではなかろうか。

 ディスプレイサイズと情報の取得という問題に関しては、人間の視覚の範囲との相対的な関係性でもって、VRという技術が登場してきたのも興味深い。ヘッドマウントディスプレイによって、ディスプレイの体感的な大きさは、ついに人間の視覚全てを覆うことになったのである。この考え方の根底には、映画やテレビの発達史から見るよりも、キネトスコープやゾートロープのような覗き見る映像の歴史から紐解いた方が理解しやすいように思う。覗き見る映像において、映像を誰が所有しているのか、それはたった一人の鑑賞者に他ならない。映画は光を投影する、という方法でもって、相対的にフレームのサイズを大きくすることを可能にし、映像をより多くに人たちに共有した。やがて映像は個人、あるいは家族単位に所有されるために、テレビという形でフレームの大きさを損なった。テレビが現在映画以上に人間をその前に引き止めている理由は、視聴の容易さという問題もあるが、最初に述べた人間の想像力によって、絵の大きさが人間の知覚に大きな影響を及ぼさない、というところも大きいだろう。
ともあれ、VRの登場によって、映像はまた、個人の所有物となって帰ってきた。ジャイロセンサーによって、自らの目の向く全ての方向が情報に満たされることになった。
そして、そこに映し出される情報を五感で持って運び出すことが可能になった。
それは、かつて球状の全天スクリーンに投影されたプラネタリウムの星々を盗み出すよりも、幾分か容易に行われることだろう。

[2]ジェイ・デイヴィッド・ボルター,ダイアン・グロマラ,田畑暁生訳「メディアは透明になるべきか」,NTT出版,2007