2017年11月30日木曜日

猿たちはすべてが長門有希なんだと思っていた。

 涼宮ハルヒは全ての人間をジャガイモとしてしか認識できないのであるが、よくよく考えたらそれはひどく孤独なことであると思う。いつだかハルヒが親父さんに連れられて野球場に行った話を聞いたが、つまりそこでハルヒは5万個のジャガイモと芋洗い状態だったわけである。それだけの数のジャガイモの皮をピーラーで剥く手間を考えると、なんだかゾッとしてしまう。

 ハルヒは入学早々、「この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら私のところに来なさい、以上」と言っていたが、つまり、ハルヒはジャガイモではない人間を本気で求めていたのだ。というわけでSOS団には今やハルヒ以外に宇宙人、未来人、超能力者が勢揃いし、なぜだか恐らく普通の人間であるがゆえに、ジャガイモとして認識されているであろう俺もまた、その末席に名を連ねている訳である。

 惜しむらくは、揃いも揃った異質な存在であるSOS団団員諸氏が、ハルヒにそれぞれの思惑を悟られないためにジャガイモとして擬態をしている点にある。長門に至ってはもはや完璧にジャガイモである。ひょっとしたら最初の日から、椅子の上に本とジャガイモが置いてあっただけなのかもしれない。

 俺がジャガイモにナイフを突きつけられ、あわや一巻の終わりかと思われた時も、天井からジャガイモが落下して来て事なきを得、一巻はそこで終わらなかった訳である。もっと言えば続刊も出た。

 という訳で俺は今日もジャガイモさんの入れてくれたお茶を飲みながら、ジャガイモとオセロに興じ、休日にはジャガイモと図書館に行ったり、七夕にはジャガイモさんと過去へ行ったり、ジャガイモの家で三年寝太郎になったり、夏休みにはジャガイモ達と終わらない夏休みに興じたり、冬にはジャガイモの存在しない世界で4つのジャガイモを文芸部室に集めてキーボードのエンターキーを押し、その後ジャガイモにナイフで刺されたり、大小二種類のジャガイモさんに心配されたり、久々に会った中学の同級生が3つのジャガイモを引き連れてきたり、といろいろなことがあったのだ。

 ある日、学校に来ると、ハルヒの顔面がジャガイモになっていたのでたいそう驚いてホームルームをボイコットして長門に相談に行った。長門は

「そもそも、狂っていたのはあなた」

と言ったのだった。

そして、そこには一冊の本とジャガイモが転がっているだけであった。

「猿たちはすべてが長門有希なんだと思っていた。」完

ゴジラ・ミニラ・長門有希 オール怪獣大進撃

 文章の文学的な意味、と言うものを考えると、もはや一文字も筆を進めることができない。そもそも文学とは何なのか。文化とは、俺たちが当たり前に持ち合わせていると考えている、知性、と言うものは何なのだろうか。今、ファミレスのドリンクバーから持って来たホットコーヒーを眺めて、カップの取っ手をとり、口に運んだとする。そこに一体どの様に悟性と知性が関わっているのか、ということは、無学な俺には全く縁遠くて、理解不能なことだ。

ということで、俺は急に天井をぶち破るような音[1巻,pp188]と共に現れた長門が
「一つ一つのプログラムが甘い」
と言ったことに関する文学的な意味について考えを巡らせていたのであるが、そもそももはや状況が理解不能である。長門はなぜドラゴンボールのワンシーンよろしく天井をぶち破って現れるのでなく、ぶち破るような音とともに現れたのだろうか。実は一度たりとて、長門が天井をぶち破って現れた、とは描写されていないのである。俺は、つまり天井がぶち破られた様子を認識できていないのではなかろうか。

 なぜ、俺は天井がぶち破られた、と認識しなかったのか、それは恐らく朝倉によって情報改変されたこの空間は、俺の目や脳の認識できるレベルを超えてしまっているからであると推測される。情報の伝達手段として言語を用いない情報統合思念体[1巻,pp122]の情報改竄によって作られたこの空間は、恐らく人間が言語によって世界を認識している以上、視覚的にはなんとなくこの空間の壁が全てコンクリートの壁に置き換わっていた[1巻,pp185]と認識していたが、恐らくそれは言語化できない状況を脳が無理やり辻褄をつけるためにとりあえず用意した近似的に理解できる回答であって、恐らく正解ではないのだろう。

 言うなれば、今長門が槍のようなものに貫かれて鮮血を噴き出しているのも恐らく何かのつじつま合わせによる認識であり、今まさに朝倉が音もなくキラキラした砂になって消えようとしているのも、人間が視覚を言語的トポイに置き換えて認識している以上、この文学的表現は必ずしも正解であるとは言えないのだろう。認識できないものは表現できないのである。朝倉が消える、という結果を伴う事象をどのように表現するかという点でのみ、この表現は意味を持つのである。俺は朝倉が「砂のように崩れて消えていく」という表現の中で、「砂のように」という比喩を使っていることにも注目していただきたい。つまり、朝倉は砂になったのではなく、砂のようになったのである。その砂を構成するものは、恐らく岩石が風化・浸食・運搬される過程で生じた岩片や鉱物片などの砕屑物ではあるまい。タンパク質の結合を分解した細胞の塊とでも言った方が真実に近いのかもしれないが、この表現は、少し、いや、だいぶグロテスクである。

 物事というのはほとんどの場合その観測者の持つ文化的コンテクスト、イデオロギーによって認識に大きな差が出る。情報を情報として認識する情報統合思念体にはそのような齟齬は発生しないのではないか、とも思うが、今まさに主流派と急進派の派閥争いが繰り広げられていたわけで、情報統合思念体も、情報を解釈することによって理解していると捉えても良いのかもしれない。では情報統合思念体は、言語ではなく一体なんによって情報を理解しているのであろうか。

 などどいうことを考えているうちに、朝倉は
「私が消えても第2第3の朝倉涼子があなたたちの前に立ちふさがるでしょう、私は情報統合思念体急進派四天王の中でも最弱…それまで、涼宮さんとお幸せに、じゃあね」
と言って消えてしまったのだった。

「ゴジラ・ミニラ・長門有希 オール怪獣大進撃」完

2017年11月9日木曜日

最後の長門有希の惑星

地球をアイスピックでつついたとしたら、ちょうど良い感じにカチ割れるんじゃないかというくらいに冷え切った朝だった。 ー谷川流「涼宮ハルヒの消失」

先日ハルヒが地球をアイスピックでつついた際に、地球は真っ二つに割れてしまったのであるが、俺たちは今日も変わることなく不思議を探し求める毎日である。

二つに割れた地球がどのようにして宇宙空間に存在しているのか、重力はどうなっているのか、など、目の前に不思議なことはてんこ盛りなように思うのだが、その辺りにハルヒが興味を抱かないのは古泉流にいうならば常識人であるハルヒの自己防衛のためであるとか何とかであるのだが、落ち着いて考えればわかることだと思うが、常識的な人間はアラレちゃんばりに地球を割ったりしないものである。

ここ数日で人類は絶滅の危機に直面していた。核兵器をはるかに超える超磁力兵器によって、世界の半分を一瞬にして消滅させてしまった(つまり割れた地球の半分がなくなった) 。地球は大地殻変動に襲われ、地軸はねじ曲がり、五つの大陸はことごとく引き裂かれ、海に沈んでしまった。

朝比奈さんは「これも規定事項ですから」と平気な顔で言うのでいくばくかの安心が得られたのであるが、朝比奈さんがどのような未来からやって来たのか、何だか他人事ながら非常に心配になってしまった次第である。
朝比奈さんは孤島に行った時に船が浮く原理を知らなかったので、多分このあと海も干上がるのだろう。

ハルヒは熱心に虫眼鏡で不思議を探している。
「キョン!虫眼鏡で太陽光をアリに集中させると燃えるわ!パイロキネシスよ!きっと!」
高校の成績を見るにハルヒは非常に頭がいいはずであるのだが、時折本当に義務教育を受けて来たのか疑問に思えるようなことを言う。
長門は熱心にアリを両手の親指で潰しているし、朝比奈さんはアリを拾っては食べながら、「昆虫って結構栄養あるんですよね」と言っていた。

超能力者のお株を黒い小さな昆虫に奪われた古泉は、頭からガソリンをかぶって火をつけ赤黒く燃え上がりながら「涼宮さん、超能力ですよ」と言うのだった。
数十分で古泉は灰になってしまったのだが、長門のカドルトによってことなきを得たのだった。灰から蘇生する際に失敗した場合、古泉は永久にロストしてしまうので危ないところだったのだが、これも朝比奈さんの言うところの『規定事項』と言うやつなのだろう。

「最後の長門有希の惑星」完




侵略者の平和 第三部 長門有希

読者諸氏にとっても人生において、あの時ああだったら、こうだったら、と逡巡する機会は多いと思われる。
朝比奈さんは未来人であり、未来から来た人であり、PTSD(だったと思う)というタイムマシンのようなものも持っているのだから、例えば何か大きなミスを犯して赤っ恥みたいな状況になってしまった際に、あの人は目の端に涙をためながら過去へランナウェイするのだろう。もっとも、あの人が頻繁に『禁則事項』『禁則事項』と連呼しているところを見るに、その辺りは強く上司から戒められているような気がするのだが、あの人ならうっかりミスで頻繁に「涼宮ハルヒの娯楽天国」が建設されたディストピア未来にたどり着いてしまいそうであるので、ちょいちょいそういうミスの修正をしてるのではなかろうか、とも思う。ハルヒは馬糞の山に突っ込むのがお似合いというところだろう。

その頃朝比奈さんは、何度繰り返してもハルヒが馬糞の山にダイブしてしまう世界線を修正するために、孤軍奮闘していたというのは、後で聞いた話になる。

アイスピックでつついたとしたら、ちょうど良い感じにカチ割れるんじゃないかという地球を、暖かい日差しが優しく溶かしていくような、そんな陽気の昼だった。

2017年11月7日火曜日

宇宙探偵長門有希

われわれの周囲には、社会的栄光からの転落ぶりが驚くほど類似している大量のゲージがいる。その中には脳腫瘍や頭のけがや他の神経系の病のために脳にダメージを受けた者がいる。 ーアントニオ・R・ダマシオ「デカルトの誤り」

ハルヒが「光あれ」と発してから世界には光があり、淡路島が産まれ、そこから次々と国作りが行われたわけであるが、しかし広い宇宙の中にぽつんと淡路島だけが浮いている様子というのは、想像すると非常にシュールである。
未来の朝比奈さんは、「今回はキョン君に人類の誕生を妨害しに行ってもらいます」と言った。
という訳で、朝比奈さんが鼻からコカインを吸引すると同時に、幻覚作用からPTSDを発現し、ロシアとアメリカによって引き起こされた第3次世界大戦のアラスカ戦線の記憶のフラッシュバックによる四肢を引きちぎられたかのような絶叫をBGMに、俺は宇宙開闢以前まで時間平面移動をしたのだった。
宇宙が存在する前の宇宙空間というのは、いや、宇宙が存在しないのであるから、宇宙空間というのは間違いなのだが、つまりいくばくかの後に宇宙が存在したはずの虚無というのものは、何やら寂しい雰囲気に包まれている。しかしこの虚無、つまり何もない空間に『寂しい雰囲気』というものが存在するのは不思議なもので、人間が主観的に観測することによって完璧な無においても何かを見出してしまうものなのであろうか。
朝比奈さんはPTSDを発症してしまっており何の役にも立たないので、ここからは自分自身の力で何とかしなければなるまい。
しかしどうしたものかと途方に暮れていると、何かが無の向こうから平泳ぎでこちら近づいてきた。長門である。情報統合思念体は情報の誕生とともに生まれたはずであるので、全てが無であるこの空間に存在するのはおかしいような気がするが、ここが無である、という情報は確かに存在している訳であるので、ここに長門がいることもそんなにおかしいことでは無いのだろう。
しかし何もない空間というのは不思議なもので、端的に言ってしまえば上下という概念もないものだから、無の中で膝を抱えながらゲロを撒き散らす朝比奈さんも、無を縦横無尽にかき分けて平泳ぎをする長門も、俺から見ると上下左右がしっちゃかめっちゃかに見えるのだ。まるで無重力と言いたいところであるが、言うなれば無重力という概念は重力が存在するという前提のもとに存在するものであって、そこには有よりは相対的に無いという状態が存在するという方が正しいだろう。何も無い空間を俺が認識できるのも、強いていうならば、ゲロを撒き散らしながら無を漂う朝比奈さんという存在と、それ以外、という相対的認識によって無というものを認識している訳であって、無そのものを認識できている訳では無い。しかし、無はその相対的な認識によって認識されてしまう。故に、完全な無の中にも『寂しい雰囲気』が存在してしまう訳である。そして、『寂しい雰囲気』が存在する以上、それは完璧な無ではなくなってしまうのである。もっと言えば、『寂しい雰囲気』はその無によって、大気圏の酸素のある空間の中に、存在するよりだいぶその存在感を強めていると言えるだろう。無の中において『寂しい雰囲気』というのは有の中にあるよりも相対的に存在しているのである。

この後、無に光をもたらそうとしたハルヒをグーで殴り、宇宙の誕生を阻止した俺たちは無事人類の誕生を妨害できた訳であるが、当然の帰結として人類である俺はこの世界から消滅してしまい、世界は無で閉ざされてしまった。無論、ここには俺がいた、という情報が、無によって相対的に強調される訳であるのだが、無となってしまった俺にとって、それは何の意味もなさないのであった。

「宇宙探偵長門有希」完