・メディア考古学における「トポス」概念
エルキ・フータモはメディア考古学において、クルツィウスの「トポス」概念を援用するが[フータモ,2015]、ここにおける、トポスとはどのようなものであるか。
クルツィウスの言う「トポス」というのは、ぼんやり理解しようとすると、コンテクスト、であるとか、オマージュであるとか、これは少しニュアンスが離れるが、パスティーシュであるとか、そういう考え方に近いもののように理解できる。
これはより厳格なアリストテレスの「トポス論」と比較すると、幾分かフランクな理解であるように思う。
そもそもフータモも自著において言及する通り、クルツィウスは「ヨーロッパ文学とラテン中世」において、文学と美術を大きな隔たりのあるものとして考えており、文学は思想を担うのにたいし美術は思想を担わない[クルツィウス,1971]とまで言い切っている。
この限定的な論をメディア“アート”に接続することには、幾分かの疑問が残るが、この話に関しては、フータモの「メディア考古学」第二章に詳細に記されているのでここではこの程度で終わるものとする。
クルツィウスの“トポス概念”というのは、表現というものには一種の作法、というか、文法(言語学的なニュアンスではない)のようなものがあって、それは表現における決まりごととして度々文章の中に現れる、と言ったような考え方と言えるかもしれない。
例えば、クルツィウスは「知識を所有した場合、これを他人に告げる義務がある」という表現をトポスと捉え、この現代ではプログラミングにおけるオープンソースで提唱されるような思想はテオグニス、ホラティウス、セネカなどの文章、また聖書の「隠された知識、埋められた宝は、何の役に立とうか」という記述まで遡りうることを指摘している。
フータモの論考では、この記述されたものにおけるトポスを、例えば広告のイラストレーションや、映像にまで応用可能であることを指摘している。フータモが提示した様々な例は、“考古学的”な検証によって視覚表現という言語によらない表現がどのようなトポスによって構成されているかという豊かな事例を示している。
フータモの言うメディアの考古学的視点とはつまり、メディア表現におけるこのトポスの参照事例との接続と捉えることができる。詩、文学と同じく、視覚メディア、あるいはスターンの論考するような聴覚メディアにおいても[スターン,2015]、この“トポス概念”は応用可能なものであることを示すとともに、それらの現れは、表現と、そしてハードウェアの考古学として体系化できることを示していると言えるだろう。
フータモはこのトポスの形成が、必ずしも太古の、すなわちクルツィウスの言うようなラテン中世にまで遡る必要はなく、より近い時代においても起こりうることを指摘している。スターンは音響再生機器の歴史を紐解きながら、人類がその歴史において、聴くという行為をどのように変遷させてきたかを論じたが、これもまた、いうなればハードウェアの考古学であると共に、聴覚文化というものが、どのように“聴く”という行為の中でトポスを形成してきたかを示していると言い換えることもできるだろう。
・メディアの異なる用いられ方
フータモはメディア考古学においてフーコーの「知の考古学」[フーコー,2014]を参照しながら「勝利を収めた」テクノロジーを中心に構成された直線的な歴史観に異をとなえ、その学術的役割をその直線的な歴史(言うなれば工学文化における効率、生産性等を重視する神話[久保田,2017]に由来するもの)から抜け落ちてしまっていたものの再発見に見出している。それはすなわち、過去から見ればスペキュラティヴ・デザインにおける「望ましい未来」[ダン&レイビー,2015]の積み重ねである現在を、過去の様々な考古学的な結節点から「起こりそうな未来」「起こってもおかしくない未来」そして「起こりうる未来」までを再考すると言うことに他ならない。フータモがデマリニスと岩井俊雄を並べて論述しているように(この二人の作家を並列に語ることにもいささかの疑問が残るものの)、メディア考古学的な作品と言うものは、ハードウェア的にも、そしてトポスの形成の仕方としても、考古学的な検証を元にした“ありえたかもしれない”メディア表現の形を示していると言えるだろう。(もっとも、作品として成立した時点で、それはもう“ありえた”ものであると捉えるべきなのかもしれない)
項が足りないので、ポプテピピックとデビルマンについては、次の機会に論ずるものとする。(項 (ページ)と言う概念の存在しないインターネットにおいて、このような文面を用いるのも、また紙の時代から続くトポスの一つであろう)
参考文献
E.R.クルツィウス,南大路振一,岸本通夫,中村善也,ヨーロッパ文学とラテン中世,みすず書房,1971
アンソニー・ダン,フィオナ・レイビー,久保田 晃弘,千葉 敏生,スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。—未来を思索するためにデザインができること,ビー・エヌ・エヌ新社,2015
エルキ・フータモ,太田純貴,メディア考古学 過去・現在・未来の対話のために,NTT出版,2015
久保田晃弘,遙かなる他者のためのデザイン ―久保田晃弘の思索と実装,ビー・エヌ・エヌ新社,2017
ジョナサン・スターン,中川克志,金子智太郎,谷口文和,聞こえくる過去 音響再生産の文化的起源,インスクリプト,2015
ミシェル・フーコー,真改康之,知の考古学,河出書房,2014