涼宮ハルヒはこの世界に存在していない。
俺はなんだか気を使われているような、ギクシャクした会話を谷口や国木田としながら、自分の後ろの席の机に置かれた花瓶に刺された花が窓から吹き込む風に揺れるのをいやでも意識せざるを得なかった。
という訳で、ハルヒは先日不意のトラック事故で異世界に転生してしまい、この世界にはいないのであるが、俺たちにとっては今日も今日とていつも通りの日常が過ぎていくというのは、至極当然のことであった。
古泉は盤面が真っ白に染まったオセロを前に長考の姿勢であるが、もはや俺の勝ちは確定したようなものである。朝比奈さんは2036年から第三次世界大戦を阻止するために現代にやってきたのであるが、ハルヒの存在が消えたことによってミッションを達成し、未来人としての役割を終え、未来へ帰ってしまった。古泉は機関としての仕事がなくなり、これ迄自身にのしかかっていた超能力者としての重荷をおろして、学生としての生活を謳歌している。後で聞いた話になるのだが、古泉は機関のいざこざで学校に潜入したエージェントであり、実は26歳であるということを聞いて随分と驚いたものである。古泉自身、閉鎖空間での神人への対応でまともな学生生活も送れておらず、遅くもやってきた青春を謳歌しているという訳だ。全く、ハルヒが周りにどれだけ迷惑をかけていたかが如実に現れた話であろう。
情報統合思念体はハルヒの消失によって自立進化の可能性が断たれてしまったとして、ハルヒを観測するために派遣されていた長門の立場は大変危ういものになってしまったのであるが、長門自身に生まれた感情というものに新たな可能性を見出し、長門は継続して高校に通うこととなった訳である。
「しかし古泉、俺はてっきり、お前のボードゲームの弱さは一種の演技だと思っていたんだが…」
古泉は白一色に染まったオセロの盤面に目を落として難しそうな顔をしている。
「いえ、どうも、人と競うというのが苦手でして…」
古泉は恐らく、人を蹴落とすというような行為がすべからく苦手なのだろう。人間は一種の苦手意識によって無意識に自分自身の行動に制約をかけてしまったりするものであるが、恐らく古泉のボードゲームの弱さもそれに由来するのだろう。でなければこれだけ頭の良い奴が万年成績中の下の俺よりも弱いはずがないのだ。
長門は隅の椅子で「究極超人あ〜る」を読んでいる。長門の本の趣味は随分と幅広くなってきており、最近は漫画から何から種類を選ばない。しかし、読む本読む本、基本的にアンドロイドものなのはどういうことであろうか。アンドロイドとして暮らしていく処世術のようなものを学ぼうとしているのかもしれない。もしかしたら近いうちに、自分から電源をとって炊飯器でご飯を炊き出すかもしれないな。
ともあれ、ハルヒと朝比奈さんが抜けて若干の寂しさはあるものの、平穏な日々というものは大きな安らぎを俺たちに与えていたのだった。
しかしその平穏も、部室に突っ込んできた一台のデロリアンによって長門に情報連結を解除された朝倉よりも粉々に破壊されることになる。
「キョンくん!今すぐ未来へきてください!」
デロリアンから飛び出してきた朝比奈さんは慌てた様子でそう言った。
「未来のキョンくんたちが大変なんです!」
朝比奈さんに連れられて、古泉、長門、そしてあまり役に立たない俺というメンバーで向かった未来を、俺たちはデロリアンの車窓から眺める未来は、まさしくディストピアと言って然るべき状況であった。
SOS団のマークを腕章につけた軍人の様な出で立ちの集団が街を闊歩し、人々はその姿に怯え、街と呼んでもいいかどうか判断に困る様な荒廃した家の並びにひっそりと息を殺して暮らしている。
「異世界に転生した涼宮さんが願望実現能力で世界を繋ぐ大穴を開けてこの未来では異世界との大戦争が起こったんです」
朝比奈さん曰く、この世界の人口はもはや戦争前の一割にも満たず、そこかしこで大規模な虐殺や異世界から持ち込まれた病原菌による対処不可能な疫病によってその残り少ない人類ですらもはや絶滅の危機に瀕しているという。ハルヒ、いつかやると思ってたが、ここまでとは…
そこからの描写はめんどくさいので色々省くが、長門が宇宙人パワーでハルヒを100グラム127円の合い挽きのひき肉よりも細かいミンチにし、情報改変能力によって全てをなかったことにして、朝比奈さんの能力によってまた俺たちは現代に帰ってきたのだった。
古泉は何の役にも立たなかった。
「二十世紀の長門有希」完