2017年5月12日金曜日

あなたの長門有希の物語 上

これがたったひとつの冴えたやりかた。 -ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「たったひとつの冴えたやりかた」

サンタクロースをいつまで信じていたか、と言われると、どーでもいいことなので具体的には覚えていない。しかし、俺は心の底から、宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力や悪の組織が、ふらりと出てきてくれることを望んでいたのだ。しかし現実ってのは意外と厳しい。未来人も、幽霊も妖怪も超能力も悪の組織も存在しない。しかし、宇宙人はいる。俺は実際15年ほど人生を生きてきているわけであるが、いつだったかおばさんにつけられたキョンというあだ名以外、自分の名前を一切知覚することができないのだ。これは多分、宇宙人によるアブダクションで脳に植え付けられた金属チップが影響しているに違いない。
そんなことを頭の片隅で脳に刺激を与え続けるチップの傍らでぼんやりと考えながら、俺はたいした感慨もなく高校生になり––、
涼宮ハルヒと出会った。

記述がめんどくさいので脳に植え付けられたチップで俺の記憶が不安定になっている、ということにして、話は教室で担任の岡部が、みんなに自己紹介をしてもらおうと言ったところまで飛ぶ。俺は無難に自己紹介を済ませ、席に着いたのだった。
「東中学出身、涼宮ハルヒ」
お、俺の後ろの席の奴が“す”ずみや、という名前で、俺より前に中学の同級生だった国木田が自己紹介している、ということは、俺の名字はく〜すの間になる、ということだな。ということは、佐藤か鈴木の可能性が高いな。うん、俺の名字は佐藤か鈴木なのかもしれない。などということを考えていると、後ろの席の涼宮はとんでもないことをのたまったのだった。
「ただの人間には興味ありません。この中に、宇宙人、未来人、超能力者がいたら、私のところに来なさい。以上」
えらい美人がそこにいて、「ここ、笑うとこ?」と思った。
結論から言うと、それはギャグでも笑いどころでもなかった。
宇宙人以外はいない。俺は、そう思った。

そして話はゴールデンウィークまで飛ぶ。俺は小学の妹を連れて、田舎のバーさんちに行っていた。ゴールデンウィークに従兄弟連中で集まるのが家の年中行事なのだ。
そうして谷口のゴールデンウィーク明けの気力も萎えるようなやりとりをあしらいながら、高校へ続く地獄の坂道を登って行ったのだった。

「毎日髪型を変えるのは宇宙人対策か何かなのか?」
俺はなんの気の迷いか、ハルヒに話しかけてしまった。
「あんた、宇宙人?」
いや、違うが。
「じゃあ話しかけないで、時間の無駄だから」
と言ってそっぽを向いてしまった。
「私、曜日によって感じるイメージって、違うと思うのよね」
今度は急に話し出した。

「私、部活作るわ」
とハルヒが急に俺に言った、前後の記憶が曖昧なので、経緯はよくわからないが、確かにそう言った。多分言ったはずだ。「拙者、部活を作るでヤンス」だったかもしれないが、確かにそういう意味合いに取れることを言った。たぶん、そう言ったのだ。

というわけで、部活ができた。

部室には長門有希と言う文芸部に所属する女子生徒がいた。
彼女は「いい」と言った。実際のところ、彼女はよく「いい」と言う。あまり「わるい」とは言わないし「どちらとも言えないがややある」と言ったのは聞いたこともない。

なんか色々あって、本当に色々あったのだが、朝比奈みくる、という先輩が部員になった。そして、長門が本を貸してくれた。「夜は短し歩けよ乙女」と言う本だったのだが、巻末に住所が書いてあり、意を決した俺はその住所の宛先、朝倉涼子と文通を始めたのだった。後々これは長門が俺をおちょくるために、朝倉涼子の名前を騙って行った犯行であったと判明するのだが、それがわかるのは随分先の話になる。

長門からFAXで公園で待ってる的なことを送られたので、俺は素直に公園に向かうことにした。やや小走りだった。書くのを忘れていたが、先週とか先々週とかは、ハルヒがバニーガール姿で客引きをして補導されたり、野球大会をやったり、閉鎖空間に閉じ込められてハルヒとキスをしたり、色々あった。いや、野球大会はもうちょっと先の話だったかもしれない、まあ、とにかく色々あったのだ。

公園で待っていた長門に声をかけると、長門は家に来て欲しいと言った。どう考えても公園のワンクッションが無駄だ、と思ったが、言わなかった。あと、なんかの宗教とか、マルチまがい商法の勧誘っぽいな、とも思ったけど、それも言わなかった。

長門の家は、なんだかピカピカしていて、今まで見たこともないような金属でできており、アダムスキー型をした、円盤みたいな変な家だった。長門がインターホンを操作して指紋認証をし、瞳孔のチェックを終えると、ドアが開いた。なんか地面に対して、ぐわってせり出して開いて、宇宙人が降りてくるみたいなタイプのドアだな。
長門の案内で、俺は居間のこたつ机に座った。おそらく案内されたのだから居間か、客間だろう、と思ったのだが、横の手術台のような机の上には内臓を抜き取られた牛が転がっているし、背の高いグレイ型宇宙人が理解できない言語で牛の大腸を引っ張りながら議論をしているところを見ると、ひょっとするとここは居間ではないのかもしれない。
俺はいつの間にか、手術台のような物の上に固定されていた。
「説明が面倒だから、あなたの脳にチップを埋め込んで理解してもらう…」
人形のような顔で、注射のようなものを構える長門はそう言ったのだった。
「やれやれ、またか」
俺はアメリカ人みたいな仕草で少し肩をすくめる。腕に少しだけ痛みが走り、俺は意識を手放したのだった。

 目を醒ますと、なんだか当社比で5倍くらい頭が良くなったような気がした。試しに2桁の暗算ができるかどうか試して見たが、22×42が一向に解ける気配がないので、どうやら頭が良くなったというのは錯覚らしい、ということがわかる程度には頭が良くなっていたことがわかった。

「情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースか」
俺は理解した内容を長門に伝える意味で、口に出して見た。
「それが長くてめんどくさかったから、アブダクションで伝えた」
と長門が言った。
「面倒くさいから今後それに対しては、アレと呼ぶことにする」
長門は随分と面倒くさがりのようだった。
「アレによって作られた対あれコンタクト用あれインターフェース、それが私」
随分略したな。
「あれ、ってのはどれのことだ?」
そう聞くと長門は俺を指差して
「それ」
と言うのだった。

「あの、あれが、あれで、その…あの…」
長門はなんだかボソボソと話したが、先ほど脳に埋め込まれたチップによって、長門言わんとしていることが次々と頭の中に浮かんてくる。なんと涼宮にそんな能力が。俺は大変驚いた。宇宙人なんてのは、ありふれた存在で、言ってしまえば宇宙に住んでいる以上、地球人だって宇宙人なのだ。と言うわけで、俺はそんなに驚かなかった。タオルさえ持っていれば、宇宙では何も困ることはないのだ。

その日は、長門の淹れてくれたなんとも形容しがたい液体を飲んで(ライチとプリンとサバの味噌煮をミキサーで混ぜたような味だった)帰った。

そんなわけで、翌日も長々と続く地獄のような坂道を登って学校へ向かった。神道的な観念で考えれば、登っていけば天国、降っていけば地獄へと行く構造になっているはずだが、登っているのに地獄とは、これいかに。谷口は失敗したナンパの話を陽気に国木田と俺に披露している。そういえばこいつは、初対面から異様に馴れ馴れしい奴だったが、よくよく考えるとひょうきんで気配りのできるいい奴なのかもしれないな。学年の女子全員をランク付けしてノートにまとめて名前を覚える、と言う変態行為を大っぴらにしてさえなければ、それなりにモテるのではなかろうか。などと、益もないことを考えながら、俺は無心で坂道を登った。

何事もなく授業が終わり、部室で朝比奈さんとオセロに興じていると、涼宮が転校生がやってきて不思議だ、などと言い出し、部室から飛び出して行ってしまった。
長門がオセロをやりたそうにこちらを見ているので、長門と交代することにした。
「ルールはわかるか?」
否定。
朝比奈さんと協力して長門にオセロのルールを説明していると、涼宮が転校生を連れてきた。
「即戦力の転校生!」
「古泉一樹です。」
そのイケメンは古泉一樹と名乗った。口頭なので古泉なのか小泉なのかイマイチ分からなかったが、確か、古泉だったと思う。
そうして、涼宮は、週末は不思議を探しに行く、と言った。多分、言ったはずだ。カナダにメープルシロップを採りに行く、とは言わなかったはずだ。カナダに行った記憶はない。あと遅刻したら死刑と言われた。

週末になると、俺たちは駅前に集まった。俺は遅刻の濡れ衣を着せられ、死刑に処せられた。グッバイハルヒ、フォーエバー。
ハルヒはくじ引きで班分けをする、と言った。ババ抜きかチキンレースか、血抜き麻雀だったかもしれないが、確かくじ引きだったと思う。俺はティッシュ箱に入れたくじに折り目をつけることで、涼宮とのチームを避け、なんと朝比奈さんと一緒になった。

「マジデートじゃないのよ!遊んでたら殺すからね!」
と涼宮に言われた。
朝比奈さんとの甘酸っぱい柑橘系の匂いのするような散歩の後、俺たちはベンチに座って、将来の夢について話した。朝比奈さんは自分のことを未来人だ、と言ったが、未来人などいる訳がないので信じなかった。頑なに信じなかったら、朝比奈さんは未来人であることを証明する、と言って道端に停めてあったデロリアンに乗り込もうとしたが、それは窃盗罪にあたるので、無理やり止めた。
「あれは私の車で、タイムマシンなんですよ」
と必死に訴えるのだが、朝比奈さんの年齢で免許を持っているはずもない。
朝比奈さん、歳いくつ?と聞いたら
「禁則事項です」
と答えた。
午後も班分けが行われ、俺は長門と一緒になった。
確かこの時の班分けは血抜き麻雀で決めて、半荘六回戦の闘牌で19年もの年月がかかったような気がするのだが、ひょっとすると俺の覚え違いであったかもしれない。

長門と一緒にどこかに行く、となったら、どこに行くべきであろうか。
そういえば言っていなかったが、長門はどうやら本を読むのが好きなようなので、一緒に図書館に行くことにした。
長門は
「いい」
と言った。その時は肯定の意味ととったのだが、ひょっとすると、あの「いい」は「行かなくていい」という否定の意味合いであったのかもしれない。

長門は図書館に着くと、延々と電話帳を読んでいた。
俺は長門の横で、大量に並ぶ名前と電話番号を眺めていたのだが、気がついたら眠ってしまっていたようだった。ハルヒからの電話で目が覚めた。
大変おかんむりのようだったので俺と長門は急いで図書館を出ることにした、しかし長門は電話帳を離すことをしなかったので、仕方なく俺は長門の図書カードを作ってやり、こと無きを得ることになった。長門が住所を金星のもので書いたので、えらい時間を食ったのだが、まあなんとかなった。図書館の司書さんは、長門が延滞をした時に取り立てるために、今後頑張って金星へのアクセス手段を確保しなければならない訳で、なんだか申し訳なくなってしまった。

結局また駅前に集まって、怒髪天を突くがごとく怒り狂ったハルヒに遊んでいたと判定されてしまったため俺は殺されてしまい、ここからは俺は幽霊として話が進んで行く訳だ。冒頭に否定した話だが、幽霊もいるじゃん、と思った。いや、これは嘘だ。


「あなたの長門有希の物語 上」完