ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた、というのは有名な小説の冒頭であるが、俺は、なにやら胸騒ぎのする夢から覚めると、なにやら体に違和感を覚え、洗面所へ行って鏡の前で自分の顔をペタペタと触ってみるが、これはどうも、いや、どうみても、凡庸な俺の顔とは似ても似つかない整ったものであったので、これはどういうことだろうとまじまじと見てみると俺はどうやら長門有希に変わってしまっていることに気づいた。今日は珍しく妹が起こしに来なかったので難を逃れたが、もしこれが家族にバレたら愛しい息子が女になってしまったということで、後生大事に箱入り娘として育てられてしまうことは容易に想像できたので、俺は親や妹が起き出さないうちにこっそりと家を出て、長門のマンションへ向かった。
「入って」と言う長門の無機質な声は随分と俺に安堵感を与えた。どうやら俺が長門に変わってしまっても、長門は依然長門のままであった。これで俺の顔をした長門が、こんな高級マンションで一人暮らしをしていたとなったら、随分長門の境遇がいたたまれない。いや、谷口になるよりは幾分かマシだろうが、それにしたって、俺が部室の片隅で黙々と小説を読んでいる姿というのは想像できない。
いつぞやの時のように、長門はお茶を入れて対面に座った。
「長門、どういうことだか、お前は知っているか?」
と俺が問うと、長門は
「知らない」
と答えた。
そうか、知らないのか。早速暗礁に乗り上げたな。
「ただ…原因があるとすれば…」
「ハルヒか…」
しかし、一体なんだって、ハルヒは俺が長門になることを望んだんだ。しかも二人長門がいたとして、何になるというのだ。もし長門が二人いたとしたら、俺としてはそれはそれは頼もしいものがあるだろうが、何しろ片方の中身は俺なのだ、こちらに関しては、頼りにならないことは折り紙つきだ。
「危機が迫るとしたら、まず、あなた」
そうだったのか。
「とりあえず、どうすれば元に戻れるんだ」
長門は困ったような顔をして
「わからない」
と答えた。俺もわからない。
そしてわからないままに俺は、長門有希として学校に登校することになった。
長門が言うには、俺の姿はハルヒのトンデモ能力によって改変されているため、長門の情報改変能力では干渉ができない、とのことであったので、長門が俺の姿になって、言うなれば入れ替わって生活することになったのだ。
そんなこんなで、600年ほどの年月が流れただろうか。
長門有希になった俺は歳をとることもなく、その間にハルヒが死んだり、時間平面移動をしていない朝比奈さんの誕生に立ち会ったり、古泉が閉鎖空間で「ふんもっふ」と言ったり、色々あった。俺と長門は相変わらず高校へ登校し、代わり映えのない高校生活を過ごしている。俺は長門有希として過ごしているので、「そう」と「いい」と「待つがよい」と言う長門おきまりのセリフも随分板についてきた頃だ。
朝比奈さんの時代の未来人の過ちのせいで、地表の8割は焼け野原になり、人類はそのほとんどが死に絶えてしまった。
結局俺が長門になってしまった原因はわからないまま、ただ時間だけが過ぎて行った。
そうして55億年の年月が流れた。赤く、大きく燃える太陽が、まるで目と鼻の先にあるように感じる。俺は、長門と一緒に、地球の終焉を見守った。
随分前に人類も、そして地球上の生物全てが死滅してしまったのだが、こうして太陽系の歴史は誰にも見守られなかった、と言うことはなく、俺たち二人に見守られて、ゆっくりとその生を終えたのだった。
「わが赴くは長門有希の群」完